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意思による楽観のための読書日記

戦国北条家の判子行政 現代につながる統治システム 黒田基樹 ***

現代の課税、徴収、督促、延滞料、公共事業、母国防衛などの国家統治の仕組みのルーツは、戦国時代から始まったという内容。筆者の得意とするのは北条氏文書であり、基本的に北条氏を例に取った解説である。本書内容には土地所有と領地支配構造の歴史的変化が背景にある。

奈良時代に始められた律令制・土地国有制は、開発した田畑の私有制を認めたが、租税徴収やその土地管理のシステムは時間とともに有力寺社や豪族管理による荘園制へと移行した。平安時代には、朝廷は主要な収入源である荘園からの上がりを、確実に朝廷への収入とすべく、その存在や管理が不明確になった荘園を整理する「荘園整理令」を度々発令した。一方、荘園からの収入により藤原氏支配は強まっていったが、その弱体化に向けた変化は後三条天皇による荘園整理令がきっかけとなる。荘園整理令は、朝廷による新たな荘園存在の公認でもあり、従来藤原氏や有力寺社による荘園を、地方豪族が所領、領地として管理し保有するきっかけともなった。

鎌倉政権は承久の変を経て、武家政権による国司・地頭任命権を朝廷から取り上げ、朝廷の支配力は完全に武家政権に移った。その後の室町時代の守護大名による領地支配を経て、荘園では、その後の鉄器の普及による灌漑や農作技術向上、防衛力向上に伴い、新田畑開拓が進み、国司や地頭による地方へとその支配力が分散していった。応仁の乱以降は中央の室町政権の支配力は雲散霧消、守護大名も力をつけた地方豪族による下剋上の動きから戦国大名の群雄割拠が始まる。ここからが本書内容となる。

農民にとっては、自分が耕作する土地と自分たちの生活を本当に守ってくれるのは誰か、これが最重要ポイントである。種籾や農業経営が自力では難しかった平安時代から、室町時代には自力耕作、経営、一定の防衛までを自力で行うまでになっていたのが戦国時代の農村だった。室町時代になると村落共同体の自立化も進み、「惣」と呼ばれる自治組織も成立、水利権や入会権なども確立した。しかし、村落やさらにその範囲を超える水利、洪水対策、領地防衛、さらには大規模な水田開発などは、その地域を支配する戦国大名に期待するところだった。また、村落間の土地所有権争いに対する裁判、流通している宋銭、明銭と悪銭などの貨幣経済の管理も納税と現物納を管理する領主の仕事であった。

検地、石高制などは秀吉以降が有名だが、実際には戦国大名は課税、徴税、防衛、農地開拓、灌漑、洪水対策、市場関与、目安箱と裁判制度導入などを実施せざるをえない状況にあった。本書では、北条氏文書から、納税通知書、その証明となる花押にかわる判子導入、目安箱導入と評定衆による裁判制度導入、一律税率設定と減税制度、飢饉や災害による免税、滞納分の債務化、税徴収方式の徴税から納税への変更、撰銭令と銭納から現物納への以降・村ごとの検地による石高制導入、「御国のため」論理による動員開始、農民自らが受益者とはならない領地全体のための公共工事への負担、などを紹介している。その嚆矢は北条氏の初代伊勢宗瑞(北条早雲)であり、それらを制度として定着させていったのが二代氏綱、三代氏康である。初代の文書に記された判子は「禄寿応穏」、つまり領民の禄(財産)と寿(生命)を保証して平穏無事の社会にする、という宣言でもあった。本書内容は以上。

解説はすべて実際の文書を示して行われており極めて実証的。具体的であり説得力がある。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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