粟田真人は、白村江の戦い以降、長く途絶えていた遣唐使の責任者として、33年ぶりに唐の国に派遣された。白村江の戦いで唐と新羅合同軍に破れたため、以来途絶えていた唐との国交を回復するのが使命。藤原不比等からは、国交正常化を求められているが、冊封関係になったとしても対等関係を守ることという難しいミッションを与えられ、国書を唐の皇帝に手渡すことを言い渡されている。
粟田真人は66歳、もう決して若くない。真人の秘書として同行するのは山上憶良。唐は、則天武后が皇帝に即位して、国内は密告政治がはびこり、何をするにも賄賂が必要となり、真人が以前唐を訪問したときと国内事情は大きく変わってしまっていた。真人は使命を達成できるのか。
当時の遣唐使、いかに大変だったのかが冒頭描かれる。国交が正常に持てていないため、朝鮮半島経由、済州島への立ち寄りができない。四隻にわかれて博多から五島列島を出港したあとは、揚子江の河口、今の上海に到着できるかどうかは、以前の経験、水先案内人、そして占い師次第、という心細い限りである。嵐がおさまるのを待ち、対馬海流を乗り切ったら、中国大陸のどこかには到達できるはずだが、そこがどこなのかが分からない。そうこうするうちに、海賊もやってくる。上陸してみると、もう一隻の遣唐使船も到着していた。再開した一同は大喜びする。
しかしそこは唐の国の出先で、外交担当は別の場所だと。揚子江河口から出てくる真水の流れを頼りに、ようやくたどり着いても、首都である西安には陸路で一ヶ月もかかる。日本からの使者が来たので、皇帝に会えるかどうかを問い合わせるだけでも二ヶ月以上かかってしまう。おまけにそれを依頼するのに賄賂が必要。真人たち遣唐使一行は言われた賄賂を支払い、その答えを待つ。様々な人との出会いがあって、皇帝にたどり着くまでだけでも大変な労苦だった。その後も、密告や賄賂がはびこる唐大国とのやり取りは大変な労力だった。それほどまでにしても、大国唐と国交を結ぶことは当時の日本にとって重要事項。
歴史の時間に一時間ほどの授業で過ぎ去ってしまう遣唐使、こうして小説になってみると、当時の人達の切迫した事情と日本が置かれた国際的情勢に思いを馳せることになる。現在の朝鮮半島情勢も切迫しているが、日本は歴史的にも、長いあいだ中国大陸と朝鮮半島の政治情勢に大きな影響を受けて来たことがわかる。こういう難しい政治状況を考えるときには、二〇〇〇年ほどの東アジア歴史を振り返ってみるのも必要なのかもしれない。