意思による楽観のための読書日記

わたしの京都 渡辺淳一 ***

昭和26年、高校の修学旅行で京都に初めて行ったときの思い出、琵琶湖の明るさと春の京都の桜の華やかさ、これで千年の都京都の魅力にとらわれた話、札幌の4月といえばまだまだ山には雪、里にも残雪が残っているのに、京都では桜が満開、この差はなんだ、という気づき。壬生義士伝で新撰組の南部藩出身の吉村貫一郎が京都の桜をみて、「南部の辛夷は北に向いて咲く、だがらづえーんだ」という科白を思い出す。渡辺さんが北大の教養課程を終えて、大学専門課程へ進むのに京大を受験するために京都にきて財布をなくし、1ヶ月も安宿に泊まってついでに京都観光をした話も、渡辺さんの人柄が京都の宿のおばちゃんの好意につながった、ということが読者にはわかる。京都ことばには「否定語」がない、という話。京都の人は他人にものを取ってもらうときに「ちょっとそこのもん取ってくれはらしまへんやろか」などというが、くれはる、という丁寧語にしまへんという否定形を挟んでやろか、という疑問型で相手の気持ちを聞く形にして、取ってください、というお願いをする。京都弁には命令形もないことに僕も気がつく。渡辺さんが35歳の時に知り合った祇園の芸妓に多くのことを教わったという話、これも渡辺さんの小説ににじみ出てきていると感じる。東京のクラブは客の数で課金するが、京都の御茶屋は付いた芸者の数と時間でお線香代として課金される、という話、請求書を送るにしてもふと庭に落ちていた落ち葉を入れてくるのは祇園のお茶屋、コンピュータで出力された紙を送ってくるのは薄野のクラブ、請求書送付にかかっている費用は変わらずとも、払う方からすれば祇園に先に振り込む、こうした多くのトピックスで著者がいかに京都に関心を持ち続けていたかを訴えている。京都出身の僕としては面はゆい部分も多いが、その通りですよ、ともいいたくなる僕は、渡辺さんからすれば典型的な京都人でしょう。
わたしの京都 (講談社文庫)
懲りない男と反省しない女 (中公文庫)
男というもの (中公文庫)
鈍感力
これだけ違う男と女 (中公文庫)
秘すれば花 (講談社文庫)
愛の流刑地〈上〉 (幻冬舎文庫)
愛の流刑地〈下〉 (幻冬舎文庫)
夫というもの (集英社文庫)
光と影 (文春文庫)
遠き落日〈上〉 (集英社文庫)
遠き落日〈下〉 (集英社文庫)
失楽園〈上〉 (角川文庫)
失楽園〈下〉 (角川文庫)
シャトウルージュ (文春文庫)
うたかた (集英社文庫)

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