意思による楽観のための読書日記

知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎 浅井建爾 ***

廃藩置県、版籍奉還から明治政府による中央集権への移行の課程で、3府302県もあった府県が、財政上の問題から半年で3府72県に集約され、様々な綱引きの経緯があって、太平洋戦争後になり現在の道都府県(沖縄は1972年)に落ち着いた。

廃藩置県直後に誕生した県には難読地名も多い。東北の斗南(となみ)、胆沢(いさわ)、登米(とよま)、関東の忍(おし)、壬生(みぶ)、志筑(しづく)、中部の挙母(ころも)、近畿の三田(さんだ)、出石(いずし)、櫛羅(くじら)、中国の母里(もり)、成羽(なりわ)、九州の杵築(きづき)、飫肥(おび)。

そして現在の都道府県になるのだが、現在の名称で旧藩名を残す地名はない。新体制への移行を果たしたいという意志が働いたという。72県から現在の都道府県に集約されたときに廃止された県名には、次のようなものがある。盛岡、水沢、仙台、酒田、置賜、磐前(いわがさき)、若松、宇都宮、新治、入間、印旛、木更津、足柄、相川、柏崎、筑摩、新川、七尾、金沢、足羽(あすわ)、敦賀、浜松、額田、名古屋、安濃津(あのづ)、度会、長浜、大津、堺、豊岡、飾磨、北条、深津、浜田、名東、松山、宇和島。小倉、三潴(みづま)、伊万里、八代、美々津、都城。これらはいずれも現在でも残る地名である。

隠岐が鳥取ではなく出雲であった島根に属したのは「隠岐騒動」の結果であり、淡路島が旧来の徳島ではなく兵庫に属しているのは「稲田騒動」の結果である、などというのは幕末から明治にかけての歴史を紐解くと出てきた話である。佐賀も江藤晋平が起こした「佐賀の乱」の結果三潴や長崎に編入された時期もあったという。西南の役をおこした鹿児島も美々津、都城、鹿児島、宮崎が入り乱れて一時は全部ひっくるめて鹿児島県、という時代もあったという。

埼玉と東京の境に位置する保谷や大泉は元は入間県、浮間も埼玉だったらしい。今は秋田県の鹿角地区は元は陸中というから岩手県であった。戊辰戦争で官軍が陣を張ったのが鹿角、その結果盛岡には属さず、九戸、八戸、三戸、江刺と属する県が変わり、官軍側の秋田県に落ち着いたという。

川に沿った県境には不思議な例が多いともいう。福岡と佐賀の間の筑後川を挟む県境は川を何度も行き来している。埼玉と茨城を挟んで流れる利根川流域には両岸に同じ地名が連なっている。これは川の流れが氾濫のたびに変わったことを示している。東京と神奈川の間の境川でも県境が何度も川をまたがっている。

まあ、話の種にはなる、という程度か。
知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎 (じっぴコンパクト)

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