意思による楽観のための読書日記

塩狩峠 三浦綾子 ****

長野政雄という実在した人物をモデルにして書いたという。しかしあくまで原型として書かれたといい、小説は創作である。しかし、何とも感動的なラストである。しかし、そこに至る前振りは長い。

永野信夫が主人公、時は明治10年、実家は東京、父は銀行員で裕福なうちである。しかし母の菊はキリスト教信者、当時は耶蘇教といえば邪教といわれ、近所でもいやがられていたという。祖母のトセは耶蘇教をいやがり、菊との同居を拒否、困った父は別宅に住まわせていた。信夫は母は死んだと聞かされトセに育てられる。信夫はトセに古き武家の儒教的教育を受ける。トセが急逝したときに、菊が生きていて、妹の待子がいることを信夫は知らされる。実は父も母も、妹の待子もキリスト教徒だということを知り、信夫は戸惑う。信夫はトセに仏教徒として儒教的価値観をたたき込まれてきたからである。

親友の吉川と交友が信夫の救いであり、その妹ふじ子に淡い思いを抱く。しかし、吉川は少額4年でエゾに引っ越してしまい、しばらく音信不通になる。その後数年を経て手紙を交換するようになり、文通により友情を暖めあい、悩みを打ち明けられる親友としての友情は続く。20歳になるときに父が急逝、信夫は裁判所に勤め、母と妹を養う身となる。

ある時、親類の葬儀のために吉川とふじ子が東京に状況、久しぶりの再会で友情を確認、信夫はふじ子に強く惹かれる。この再会がきっかけとなり信夫は札幌に仕事を求め行くことを決意する。妹の待子が岸本という男と結婚し母と同居してくれることになったからである。札幌での仕事は鉄道職員である。吉川やふじ子と再会、喜び合うがふじ子は結核を患いカリエスになって寝たきりになっている。いつ死ぬかもしれないふじ子を見た信夫は、札幌一の医師に相談、栄養をつけ体を清潔に保つことが病気を快方に向かわせる唯一の方法だということを聞く。体を丈夫にした暁には結婚したいとふじ子と吉川に伝える。ふじ子がキリスト教徒になっていたことを知った信夫は自分もキリスト教徒になることを決意する。

旭川に異動した信夫は当地で日曜学校の先生となり、キリスト教布教をしながら、札幌のふじ子の回復に努めついに回復、結婚の約束をする。二人は周りからも祝福され、結納の日、鉄道で移動する信夫が乗った列車が坂道で暴走、ハンドブレーキで列車を止めようとした信夫は最後には体を線路に投げ出すことで列車を大事故から守るが死んでしまう。しかし、永野信夫の犠牲的行為は大きく報道され、この事故をきっかけに札幌、旭川でのキリスト教入信者数は激増したという。

「信徒の友」という雑誌への連載小説であり、信仰の臭いはするが、嫌味はなく、筆者の信仰の深さ、他宗教との共存の姿勢も良く感じられるため、読後は感動の気持ちを抱く。たまたま明治10年から40年頃の物語を「春高楼の」と立て続けに読んだのだが、明治の頃の結核の流行、北海道開拓など時代の背景にふれることができた。江戸時代が終わり、富国強兵、殖産興業、成長の途中にある日本を人間の側から、当時の文化を東京と北海道からみることができた。信仰があることの強さは、戦国武将の高山右近と信夫、母の菊、同じような強さだと描いている。「信徒の友」としては大成功の連載だったのではないか。
塩狩峠 (新潮文庫)

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