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意思による楽観のための読書日記

明治の技術官僚 柏原宏紀 ***

幕末、先進的な技術を習得するために英国留学を密航により決行した五人の長州人がいた。「長州五傑」と後に呼ばれることになる、天保年間に長州で生まれた伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助である。1863年、長州による攘夷運動の最中に、長州藩は藩をあげてこの五人を支援し密航させたという。ジャーディン・マセソン商会が密航と留学を全力で支援した。その時から日本市場における可能性を見出し、先行投資をしたということか。しかし伊藤と井上馨は日本における攘夷運動の高まりを知り、このままでは長州藩はダメになると、藩命に反する形で1864年には帰国してしまう。残る3名に当初の目的を果たすよう言い残したと言うが、密航、そして帰国ともに相当な覚悟が必要だったはず。遠藤は1866年帰国、遠藤と山尾は1867年帰国した。それぞれの帰国時期は、藩そして新政府の中での政治的ポジションに影響した。その後、五人の中では伊藤と井上馨は政治家になり、山尾、井上勝、遠藤は技術官僚となり明治政府で活躍する。今では、官僚と政治家は明確にその役割を分けられているが、維新当時の日本政府ではまだそれは混然としていた。

伊藤は初代総理大臣となり、大日本帝国憲法制定に尽力、千円札にも採用された。井上馨は初期の大蔵省を整備し鹿鳴館外交でも知られた。留学経験はその後の「一つの専門性」として意味を持った。新政府における外交担当者、岩倉使節団担当、大久保利通とのつながり、憲法調査、経済制度導入などである。

残りの3名は知名度こそ低いが、明治新政府に大いに貢献している。井上勝は鉄道技術を学び、日本における鉄道導入に貢献したとして、東京駅前に銅像が立っている。遠藤は近代的な造幣事業のスタート段階で大きな役割を果たし、山尾は鉄道、電信、造船など西洋を範として進められた事業を統括する工部省の創設、理系の知識や技術を指導する工部大学校の設立に尽力した。つまり、山尾、井上勝、遠藤はそれぞれが鉄道、造幣、造船という技術分野で初めての技術官僚となった人物である。留学で得た知識は明治新政府でも重用され、長く老年になるまで政策運営にあたった。

5人とも大蔵省や工部省で官僚としての働きをこなした。組織編成やインフラ整備おいては西洋から得た知識は大いに役立った。工部省では全国交通網整備、民間に払い下がられることになる諸工場創設、鉱山開発など日本中のインフラ整備に貢献した。予算制度定着も井上馨による貢献がある。積算根拠に基づく予算請求や大蔵省による査定、収入に見合った支出計画策定という予算管理制度はこの頃に始められた。内閣制度、憲法、公選による議員選出などの基礎は伊藤により整備された。不平等条約改正の糸口は井上馨により始められた。近代日本の国家形成に大いなる貢献をしたこの五人。時代を象徴し代表する男たちだった。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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