とても良く構成された「落語ミステリー人情噺」、作者のミステリーの力量と落語力がうかがえる。3つの中編「多賀谷」「三題噺 示現流幽霊」「鍋屋敷の怪」はいずれも、脳梗塞で口元がおぼつかなくなり、リハビリ中で復帰を目指す山桜亭馬春師匠のカムバック高座に向けたお話。惣領弟子の福之助とその妻で寄席の事務とマネージャーを務める妻の平田亮子が師匠の復帰に努力する。へそ曲がりで頑固者の師匠は、素直に感謝の気持を表す代わりに、偏屈ぶりを発揮して弟子夫婦を困らせる。復帰の高座にかけるお題目は何にしますかと問うと「海の幸」、誰もその噺を知らない。ミステリーなので、ここでネタバレはしない。
師匠が落語に詳しいのは当たり前としても、妻の聞きかじりの知識では謎解きには至らない不可思議な出来事を、2つ目の福之助もよほどの勉強家であるらしく、謎解きに落語のネタが絡んできても思い当たることがあるらしい。詐欺師の苗字が多賀谷だという話しと色物の手品芸の仕掛けを絡めた「多賀谷」。三題噺に偏屈なお題を出されて困ったというネタが、示現流、上野のお山、陰間の幽霊。これを十年越しに再チャレンジしようという「示現流幽霊」。そして、復帰の高座に上がるのを、師匠は偏屈ぶりを発揮して、無理やりアレンジしてくれた弟子に、いたずらをして大恥をかかせた上で仕返しをしたふりして感謝する、という離れ業を師匠が演じる「鍋屋敷の怪」。
いずれも手が込んだ仕掛けが随所に仕込んであって、落語好き、ミステリー好き、愛川晶ファンならずとも、うーんと唸って拍手を送りたくなる。解説を担当する柳家喬太郎も感心する作者の真骨頂は、作品の各所に現れる落語通ぶりと落語界への愛の深さ。師匠の馬春、弟子の福の助、その他の落語界の登場人物にはそれぞれモデルがいそうな気もするが、それは不明。最後の特別編短編で、「海の幸」の謎が解き明かされるあたりも気が利いている。コンサートならアンコールで、本日の裏テーマが明かされるという趣向。本作を読めば、落語家の中には愛川晶に創作噺を依頼する噺家がいてもおかしくはない。