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『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

初詣

2020年01月09日 | 探訪記

令和二年、ブログ始めは、初詣旅始め。1月6日(月)に、浅草寺、明治神宮、川崎大師の人気初詣スポットへの参拝。今年も、「浅草寺」の正月初詣の参拝客数は例年通り約290万人といわれており、明治神宮300万人、成田新勝寺310万人、川崎平間寺(川崎大師)305万人に並ぶ人気。

 初詣

 願掛け忙し

 御朱印記帳

 

 

お寺参りする前に築地でお食事。お店は『すしざんまい別館』。前日東京中央卸売市場の豊洲市場(東京・江東区)で、元号が令和となって最初の初競り。注目のクロマグロは、青森・大間漁港から届いた重さ276キロのクロマグロ。1キロ当たり70万円の値で落とされ、1体での総価格では1億9320万円。そのマグロが口に入ったか?

競り落としたのは、マグロ大王の異名を持つ木村清社長(67)の率いる寿しチェーン「すしざんまい」(全国57店舗)。昨年も、クロマグロ1体での史上最高額となる3億3360万円で競り落とし話題。

 

 

先ずは、『浅草寺』。創建は628年(飛鳥時代)。江戸時代には、江戸の鎮守として、将軍家からの絶大な崇敬を受け、繁栄を極め今日に至る。

御本尊の聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)は、仏さまの中でも最も慈悲深く、商売繁盛、家内安全・学業成就・厄除け・病気平癒などあらゆる願い事をかなえてくれる。

 

 

「浅草寺」といえば、「仲見世通り」。近年、浅草寺の境内は外国人の観光客が目立ちますが、日本人で境内が埋め尽くされる日が、正月初詣の時期。とはいえ、外国人も分かる程度には、参拝していた。お詣りもそこそこに、御朱印記帳へ。時間ギリギリでgetできました。

 

 

続いて、「明治神宮」。東京で最大の神社。明治天皇と正后昭憲皇(太)后を祀るため創建。近代になって新たに創られた神社であることから、明治という時代を体現する天皇を象徴する、伝統的な祭祀空間の「内苑」、近代的(西洋的)な公園空間の「外苑」で構成。

 

 

参拝客は確かに多い。参りするにも並んで時間もかかった。御朱印帳も購入予定でしたので、家内は最初から御朱印記帳へ。最終的には出発の時間には間に合わないと判断して、お詣りを済ませた。

 

 

最後は、私も家内も初めての「川崎大師」。真言宗智山派の関東三大本山の一つで、真言宗の祖・弘法大師が御本尊。数ある寺社の中で、なぜ川崎大師にお参りする人が多いのか、地方在住の私たちには大きな疑問。訪れてみて思ったことは、庶民の間に広く深く浸透した、御大師様への信仰がもとになっているのではないでしょうか。

 

 

縁があるのか、御朱印帳の購入も御朱印もすぐに手にすることができた。ゆっくり参拝し、仲見世をゆっくり覗きながら、家内とも今年ののスタートを、あれこれ思い巡らす時間もとれた。

 

 

 

【余 録】

「初詣」といいますと、昔からの習慣のように思ってしまいますが、実はそんなに古くはないらしい。江戸時代までは一家の主人が家を代表して、年末から元旦にかけて地元の氏神様に泊まりこむ(年篭り)という習慣があった。それが泊まり込みをせずに、「年末」と「元旦」に分けてお参りするようになり、この元旦参りが、「初詣」のもとではないかといわれている。

 

 

 

 

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夕陽

2019年12月10日 | 探訪記

 11月30日(土)、伊豆修善寺へ紅葉狩り。


常磐高速道路の「つくばジャンクション」から圏央道へ。晴天に恵まれ「旅日より」。すると直(す)ぐに、進行方向の左側に見えました。初めての気づきにビックリ。「富士山」が見えた。バスが進むにつれ、正面には雪を被った「日光連山」。そして、「海老名インターチェンジ」から東名道を通り伊豆半島へ。「富士山」を見たいという妻の希望で、今年一年間、3.4回ほど足を運びましたが、今回はこれ以上の「富士山」はないと妻の弁。今年最後に、大満足の「富士山」。当初の目的だった「紅葉狩り」は?
 


レストランは熱々バイキング! リニューアルオープンした道の駅「伊豆のへそ」。伊豆の真ん中を流れる狩野川近く。敷地内にバームクーヘン工場があり、出来立てバームクーヘンを直売。「伊豆のへそ」とは? 伊豆半島の真ん中あたり、そして近くにある大きな岩山、城山がまるで伊豆のおへそ(でべそ?)のようだからということ。レストランはブッフェレストラン、テッパンバイキング。シェフがその場で、鉄板で焼いてくれて、美味しく楽しむことができました。
 
 夕陽受け
 
 背丸める影 
 
 妻菜摘む


続いて、修善寺自然公園『もみじ林』。公園中央部と修善寺虹の郷内には、それぞれ1haに約1000本のもみじ林があり、このもみじは大正13年(1924年)町制施行記念に植樹されたもの。11月中旬から12月上旬にかけて鮮やかに紅葉し、「もみじまつり」も開催。もみじ林の北側にある「富士見台」は、空気の澄んだ日には富士山を眺望、この日は文句なし。写真撮影も最高。



最後の楽しみ、18回目を迎えるイルミネーション「ひかりのすみか」。新しい時代への思いを込めた「希望~光の彼方へ~」がメインテーマ。光の閃光「スーパーサーチライト」が時之栖の上空を照らし、壮大な宇宙・銀河・星空をイメージした世界が敷地全体に。注目は日本一の高さを誇る噴水ショー会場、「王宮の丘」にできた新たなスポット「LIGHT OF MAGIC WONDER CIRCUS」。また、樹齢120年のモミの木は、宇宙空間をイメージしたカラーに彩られ、初夢の橋には、無数の星が織りなす「星屑ロード」も初登場。


初夢で見る縁起物、「一富士二鷹三茄子」のモニュメントもgood。初夢は、新しい年を迎え、最初に眠った日の夜に見た夢。富士山は「不死」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という意味。続きは、 「四扇(しおうぎ)」「五煙草(ごたばこ)」「六座頭(ろくざとう)」、「扇」は、儀式や踊りを舞う際に使用する小道具。「タバコ」もおまつりやお祝い事などで人が集まる際には、なくてはならないもの。このため縁起物。「座頭」とは、髪の毛を剃(そ)った盲人のことを指し、「毛がない」ことから「怪我ない」とされ、家内安全を願う象徴。さあ、来年の初夢で見たい縁起物は?



【余 録】今年も残すところあと一か月。夫婦ともに、年齢相応に病院にお世話になるようになってきました。私が具合悪いときは、献身的に世話をしてくれました。家内のときは、私自身が、自分でできることは自分でするようにはしました。家内の手助けまではできませんでした。家庭円満、家内安全、成就のために、日々誠実に頑張っていることが、今回の旅で報われたのでしょう。雄壮でいて、神々しい雪を被った富士山ですが、今日は一日中我が家の悩み辛(づら)さなどは些末(さまつ)なことだといわんばかりに、温かく包み込んでくれているようでした。


 『千両箱 富士の山ほど 積んだとて 冥土の土産に なりはすまいぞ』

上述の道歌のような「千両箱」は無理なので、「富士山」くらいの千両箱の「高さ」はあきらめ、思いの深さで「感謝」したいと思います。しかし、なかなか実行には到(いた)らず、「気持ち」で終わっています。馬齢を重ねるとともに 、「これで良い」のではなく、「これが良い」と思うようにしています。

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小春の日

2019年11月16日 | 探訪記

11月13日(水)は、「茨城県民の日」。家内とともに福島県白河市に「御朱印巡り」。9時に出発し、休憩、寄り道して、白河市に入ったのは、11時半を過ぎていた。先ずは昼食に「白河ラーメン」。特徴は、麺にあるようです。喜多方ラーメンも縮れている麺ですが、白河ラーメンはさらに縮れているとのこと。手打ちで麺を手もみして縮れさせる伝統的方法。スープは鶏ガラ豚骨。喜多方ラーメンよりもやや濃いめ。炭で燻したチャーシューもgood。シンプルな「中華そば」が一番人気、ワンタン麺も人気を二分。勇んで、人気上位のお店に行ってみると、「臨時休業」。




そこで、「成田山圓養寺」に。昼食時間のお詣りでしたが、ご住職がお寺の歴史などのお話をしてくださり、缶の御茶まで下さいました。こんなに親切にして頂いたのは、初めての体験。


 
続いて、「開会山妙関寺」。門をくぐると、白河市指定天然記念物の樹齢約400年と推定されるベニシダレザクラ「乙姫(おとひめ)桜」がそびえ立っています。ここでも、親切にお話をしてくださいました。


次は、すぐそばにある「月心院」。「本堂に上がってお詣りしてください」と、親切にして頂き、お菓子まで頂戴しました。


そこから、「皇徳寺」。ここには、民謡『会津磐梯山』に出てくる「小原庄助」さんのモデルではないかと言われる、戒名「米汁呑子信士」さんのお墓があります。辞世の句は、『朝によし 昼になおよし 晩によし 飯前飯後 その間もよし』。ここまで好きだと、羨ましいかな。墓石の形はとっくりとさかずき。


ここで一時を過ぎ、昼食タイム。近くの人気店「茶釜食堂」。50年以上前から続くお店で、「昔ながらの支那そば」が有名。のど越しの軽いワンタンが入ったワンタン麺は、やはり人気。厚めに切られたバラ肉チャーシューがたっぷりのチャーシュー麺も人気。家内は「昔ながらのラーメン」、私は「チャーシューワンタン麺」(写真)。ちょっと薄味で麺が柔らかめで、美味しかった。
 
店を出て、目の前にそびえる「小峰城」。日本100名城のひとつで、東北では珍しい総石垣造りの城。盛岡城、会津若松城とともに東北三名城のひとつ。天守相当の御三階櫓は戊辰戦争の際に焼失、1991年(平成3年)に復元。



雨もぱらつき始めたので、足早に見学を済ませて、「南湖神社」。秋の気配が漂う「南湖公園」の中にあり、ご祭神として松平定信(白河楽翁)をおまつりしている。日本最古の公園である「南湖」を築庭し、身分制度の厳しい時代に一般庶民にも開放。「偕楽園」と同じかな。


楽翁を敬慕する白河市民を始め、各地の崇敬者と、当時のわが国財界巨頭渋沢栄一の尽力により、大正9年神社設立が認可、大正11年御鎮座大祭が執行され、今日に及んでいる。
 
帰路は、道の駅「東山道伊王野」で、つるし柿用の渋柿を買って、帰水は午後6時近く。

今回の福島県白河市、御朱印巡りの旅は、訪れたお寺や神社の住職・宮司様の対応が、親切丁寧で、幸福感に満たされ、「感謝」ばかりです。さりげない日常の「利他」に触れた。
 
 小春の日
 
 ほっこり醸す
 
 御朱印かな




【付 録】

11月2日(土)は、家内と長姉と孫の珍道中。笠間の「菊祭り」で三世代の天気に恵まれたドライブ。





昨日は、道の駅「伊王野」と、14日(木)「茂木」で娘と買ってきた柿で、干し柿作り。我が家の風物詩。

今年の「ゆず」も、よくできました。近しい人に「お福分け」。残りは家内がゆずジャムを作ります。ちょっと苦みがあってなかなかのものです。


年の瀬に向けて、日常生活もイノシシ年の締めくくり。悔いのないようにしたい。慌てることなく、ゆっくりと仕上げのポイントに着地。「跳びすぎて、着陸地点 見失う」には、なりたくない。

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なかがわ水遊園

2019年08月19日 | 探訪記
8月17日(土)、お盆も過ぎ月曜からは仕事始め。家内のネット情報で栃木県大田原にある「なかがわ水遊園」で、めだか展示をしているとのことなので出かけた。17日、18日は、暑さが戻りかなりの高温が予測。


家内の思わく通り「めだか」に惹(ひ)かれ出発。久しぶりに道の駅「北斗星」に寄り、馬頭温泉街を抜けて水遊園。道路はほとんど対向車もなく空いていたので、さぞかし水遊園も混雑していないだろうと、家内予測。

到着してビックリ! 広すぎる。駐車場、施設、池、芝生スペースなど、どれを見ても広大すぎ。挙げ句の果ては広大な駐車場は、駐車場所を確保するのが精一杯。家内予測が大外れ。園内の水族館は! ただ幼児が多いので、ガラス越しの水槽を覗(のぞ)くには問題なし。

常設展示の水族館を見た後、特別展示の「めだか展」へ。小さな水槽に2~3匹ずつ入れて展示しているので、ちょっとがっかり。「ブラック系」や「松井ヒレ長系」は少なかったので消化不良。でも、頭上を悠然と泳ぐカピバラには驚き。

せっかく大田原まできたので、黒羽まで足を伸ばし、もう一つ期待していたものを探しに。30分ほど道すがら、家々のキョウチクトウの白い花が、季節の変化を感じさせる。那珂川に沿って走る車中からは「鮎の友釣り」。


 運転中
 
 季節変わりか
 
 キョウチクトウ

市内に入ると、目的のものはすぐに見つかった。私だけそこで食し、夕食のおかずの一品にと購入。幸いに卵を持った鮎が手に入り、最高の季節の味を楽しんだ。魚体の3分の2ぐらいが卵巣で、本当に何年かぶりの卵を持った鮎とのご対面。


ちょっと興奮しすぎていたので、写真撮影を忘れてしまいました。水槽を優雅に泳ぐ鮎を掲載します。返す返すも残念の一言。今夏もう一度行くか、来年に期待するか、ちょっとうれしく悩んでいます。

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出雲・姫路行

2019年08月18日 | 探訪記
【三日目/出雲大社・姫路城】

 7月27日(土)、先ずは「出雲大社」へ。縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(いづもおおやしろ)」は、『古事記』に創建が記されている。主祭神はだいこく様の「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まり。



神話では「因幡の素兎」が有名。サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられ、そのとおりにしたところ傷は酷く悪化してしまった。ウサギが痛みで泣いているところを遅れてきた大国主大神がやって来て、“真水で塩を洗って蒲(ガマ)の穂に包まれると良い”と教えたところ、ウサギの傷が癒えたという話で、大国主大神の優しい性格がうかがえる。また大国主大神は、多くの女神と結婚してたくさんの子供をもうけた。縁結びの神様と言われる由縁。(出雲観光協会HP)



ガイド情報。参拝は「二礼二拍手一礼」が一般的ですが、大社では「二礼四拍手一礼」。最後の一礼の時、「住所・氏名」を囁くそうです。



TVなどで正面に日本最大級の大注連縄(長さ13.6m、重さ5.2t)が映される建物は「神楽殿」。そして、「御本殿(国宝)」は、「大社造り」と呼ばれ日本最古の神社建築様式。1744年(延享元年)に再建されたもの。平成の大遷宮で大屋根や千木などが新装。高さは約24m、厚い桧皮葺き屋根の棟の上には、長さ7.9mの二組の千木が交差。御神体は稲佐の浜のある西の方角を向いて鎮座。


日本一といわれる規格外の大きさの国旗は、畳75畳分(約14m×9m)、ポールの高さ47m。



松江から昼食も車中で摂り姫路へ。日本に残された現存12天守の一つに数えられ、わずか5つしかない国宝の天守閣を誇る姫路城。白く優美な姿は白鷺が舞う姿にも例えられ「白鷺城(はくろじょう)」の愛称。

西日本は梅雨明けしたばかり、晴天に恵まれ、ガイドさんは「熱中症」対策で水分摂るようにとの話。駐車場から城入り口まで15分程度歩き、玉のような汗が流れる。旅行最後の観光。暑さと階段を上ることの疲労感で、途中脱落の人もおり、名乗り出ようと思いつつ。40年前に来たとき、今のように整備されておらず迷いかけたことがよぎり、天守閣へ一段一段登る。突然、涼風が城内に流れた。そこからは涼風に誘われ、あっという間の天守閣。若いときの悔しさを一つ晴らすことができた。

歴史は、南北朝時代赤松氏が14世紀に砦を築いたのが始まり。その後黒田家の居城。大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公・黒田官兵衛がこの姫路城で生まれたという逸話も。

城が現在の姿になったのは、関ヶ原の合戦後、姫路城主となった池田輝政の時代。輝政は姫路城大改築に取りかかり、8年もの歳月を費やして1609年、燦然と輝く純白の巨城を完成。


 
 熱風を
 
 まとう白鷺
 
 天の涼

その後、第二次世界大戦では姫路大空襲に見舞われ、街は焼け野原となったが、城は奇跡的に残った。戦火をくぐり抜けた姫路城は、世界に誇る美しい建築物として、大切に守られ、400年以上が経過した現在でも、その美しい姿を残している。平成の大修理により、築城当時の眩い輝きが蘇った。

国宝姫路城は、奈良の法隆寺とともに、1993年に世界遺産にも登録。日本で初の世界文化遺産となり、大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもの。現在指定されている世界遺産は、エジプトのピラミッド、フランスのベルサイユ宮殿、中国の万里の長城など。




帰路は、神戸発18:45のSKY航空。今回の旅は、全てが有名観光地ばかりで、映像の世界でしたが、これからは、家内も旅行話題についていけるでしょう。



【余 録】

『太陽の徳 広大なりといえども、芽を出さんとする念慮(心中に思うこと。心にかけること。また、その想念)、育たんとする気力なきものは仕方なし』という二宮尊徳の言葉があります。
 
夫婦にとって、残された人生、昏(く)れるのにはまだ遠く、日が残されていると思い、今までは「知識」だけだったことを、今後は体験したり、探訪したりしたい。そして、「游」【興のおもむくままに行動して楽しむ。広く楽しむ行動を含み、子どもばかりでなく大人が運動、行楽などすることをいう】を求め、「感謝」を伝えたい。木も植物も育つ場所は選べない。与えられた環境で、精一杯のことを求める気力があれば「大丈夫」。

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黄門祭り

2019年08月17日 | 探訪記
水戸の夏を代表する「水戸黄門まつり」は、昭和36年の開始から市民の参加を中心に57回となり歴史を重ね、花火大会や神輿渡御・山車巡行など多彩な催し。7月20日(土)は、水戸が誇る日本一の花火師「野村花火工業」による花火大会。

今年は8月3日(土)、4日(日)。初開催、伝統工芸品「水府提灯」より、日本三大提灯産地の一つとされた提灯を活用。水戸藩第9代藩主徳川斉昭公の思想「一張一弛(いっちょういっし)」になぞらえ、弓を張りつめるように気を引き締める「一張」と、弓を弛めるように楽しむ「一弛」の双方が大切であるという、斉昭公の思想になぞらえ、提灯行列を前後半に分け、前半の「一張」では、水戸黄門様御一行や、観光大使が提灯の灯りに照らされ幻想的に練り歩く。後半の「一弛」では一変し、水戸太鼓や山車が豪快に繰り出す。

 

水戸市にとって市制施行から130周年の節目。

記念すべき年に製作された日本最大級の「ふるさと神輿」が初披露。約500人で担ぐ高さ約4メートル、横幅約2.7メートルの巨大神輿は圧巻の光景を披露。

39チーム総勢約2.800人が課題曲に合わせ、それぞれオリジナルの衣装・振り付けで舞い競う。

 激リズム
  
 揃い浴衣で
 
 踊る舞い




8月4日(日)19:00~まつりフィナーレ直前に、山車13基が大集結し、北関東最大級の太鼓の大叩き合い。山車に囲まれ太鼓の音が全身に響き渡る瞬間は、魂を揺さぶられ圧巻。
 
 
【我が家恒例の夏季風景】~~三楽菜園の一コマ~~

■南高梅の自家製梅干し、昨年度は上手くいかなかったのですが、今年は最高の仕上がり。

 

■「ミニひまわり」は、毎年花が終わると種子を取り、4~5年ほど菜園の夏を彩っています。



■「トマト」は、ハウスと露地栽培をしています。梅雨明けまでは、黒く腐ってしまったが、今では毎日、これくらいの収穫があり、食べ飽きることなく、美味しく頂いています。



■「小玉スイカ」は、種なしスイカでシャキシャキ感いっぱい。重さは3.3kg。



■ブルーベリーは、甘さは例年と同じ、2~3日で写真くらい収穫量です。毎朝、家内が作る特性スムージーにして美味しく頂いています。



【余 録】

日本人の平均寿命まで、残すところ10年とちょっとという年齢になって思うことがある。それは、今までの生活で培ってきた、先人たちが築き上げてきたルーティーン(決まった手順、お決まりの所作、日課)が、あっという間に「砂上の楼閣」と化してしまう。

「不確実性」という言葉が、堂々と一人歩きし、正当に評価されている。そのため、老若男女問わず、受け入れていかなければならない。若者は「対応」が、老人には「耐性」が求められる。

夫婦で我が子や孫たちを見て、自分たちのしてきたことと比較し、すぐに言葉にするのではなく、一呼吸の間が必要かもしれない。書物や体験から得た知識は、所詮「日下の燈(にっかのとう)」に過ぎない、といった「大人」がいた。基準である「太陽(自然)」に照らす一作業が必要であるということなのでしょう。

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松江行

2019年08月16日 | 探訪記

【二日目/鳥取砂丘・足立美術館・松江城】

 7月26日(金)、城崎温泉を後にして、日本海に沿って鳥取へ。「鳥取砂丘」の規模が興味津々。駐車場からリフトに乗って砂丘入り口へ。眼下に広がる砂丘。まさしく砂丘。

 

 

 

先ずは下り、そこから砂山を登り、砂丘のてっぺんに立たなければ日本海は見ることができない。

私はパス。家内は砂丘からの日本海の写真が撮りたいとチャレンジ。そこにはオーシャンブルーの夏景色が、遙か彼方まで広がっていた。「熱中症」注意のなか、往復30分ほどの砂山登山。ただ拍手。

 

 

 

 砂丘裏    

 オーシャンブルーに    

 夏の雲

 

 

 

バス車中で、家内は「鬼太郎丼」、私は「かに寿し」のご当地弁当の昼食。島根を目指します。

 


今回一番期待していた「足立美術館」到着。島根県安来市にある、近代日本画を中心とした美術館。地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)が、1970年(昭和45年)に開館。質量ともに日本一として知られる横山大観の作品は総数130点、ほかに近代日本画壇の巨匠といわれる竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園らの作品のほか、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵。

美術館の日本庭園は、米誌ランキングで16年連続「庭園日本一」に、フランスの『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』では山陰唯一の「三つ星」として掲載。庭園は「枯山水庭」、「白砂青松庭」、「苔庭」、「池庭」、などに分かれ、面積5万坪に及ぶ。全康自らが、全国から捜した庭石や松の木などが植栽。

 

 

感動は、専属の庭師や美術館スタッフが、毎日手入れや清掃を行っていて「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の考えに基づいた、絵画のように美しい庭園。ゆえに、国内はもとより海外でも評価が高い。 また、借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は、一見の価値あり。

 

 

続いて「松江城」へ。松江城が築かれたのは関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府が開かれたのち。出雲・隠岐2カ国を所領した堀尾吉晴・忠氏によって、1607年より築城を開始。宍道湖を見下ろす見晴らしのよい丘に築かれ、完成まで4~5年の歳月。400年以上の年月を繋いだ松江城の天守は、2015年に国宝指定。

今宵の宿、玉造温泉『紺屋』。出雲神々縁結びの宿「紺家」、「出雲国風土記」には、神の湯と記され、宿は江戸時代の享保年間より藍染屋を営み、湯治に訪れる人々に宿を提供。明治に旅館「米子館」を創業。昭和に、藍で染めた布を美しい紺色に仕上げていた藍染屋(紺屋)として、屋号を「こんや」と改名。

 


部屋に置かれた「福おみくじ」では、家内は「雪中松柏」、私は「泰然自若」の導き。期せずして、夫婦伴に「耐性」が求められているようです。残された日々の戒語として、励まなければと思う。神々のさとで、家内との長きの縁に感謝し、明日の大社参拝での「願いごと」に夢馳せ、眠りに就いた。

 

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天橋立行

2019年08月07日 | 探訪記
【第1日/天橋立・城崎温泉】7月25日(木)、茨城空港AM7:35離陸。神戸空港へ、九時ちょっと過ぎにはバスに乗り換え、「天橋立」へ。恒例の「股のぞき」をして、天国への道を確認。昼食も美味しくいただきました。



そこから、今晩の宿、城崎温泉「赤石屋」へ。この温泉地は、「七つの外湯巡り」。旅館に宿泊して旅館の露天風呂を堪能し、豪華料理を堪能する」、といった贅沢な過ごし方もありますが、「7つの外湯」を順番にめぐる温泉三昧な過ごし方も有名。

老夫婦が「外湯めぐり」を楽しみながら、城崎の温泉街を浴衣で下駄の音を鳴らし歩く時間は、まさに「人生の極み」そのもの。頑張りましたが、三湯しか入浴できませんでした。温泉の効能で、夫婦が健康で、円満に終活できることを期待して。
 
 湯に火照る
 
 浴衣の肩に
 
 城崎柳


先ずは、「御所の湯」へ。火伏防災・良縁成就、 美人の湯の効能あり。「御所の湯」の名は、南北朝時代の歴史物語「増鏡」に後堀河天皇の御姉安嘉門院が入湯された記事に由来。



続いて、「一の湯」、合格祈願・交通安全、開運招福の湯のいわれあり。江戸中期温泉医学の創始者後藤艮山の高弟香川修徳が、その著「薬選」の中で当時「新湯」といったこの湯を、天下一と推賞したことに由来。桃山様式の歌舞伎座を思わせる建物で町の中央に位し、名実ともに城崎温泉の象徴。


夕食を済ませてから、宿のすぐ脇にある「地蔵の湯」へ。家内安全・衆生救いの湯です。江戸時代、村民多数の入浴が見られ里人の外湯として親しまれていたそうです。そして、この湯の泉源から地蔵尊が出たのでこの名があり、庭内に地蔵尊をまつっています。


【余 録】

「再雇用」という立場で、就労していて思うことがあります。管理職の方々や、若い皆さんから頼まれることは、何となく「試されている」のかなと。悪気はないでしょうが、そういう気持ちで、対応してお返ししています。その時に、先送りをしないで、すぐにやるようにしています。
 
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梅雨寒

2019年07月01日 | 探訪記
6月23日(日)、誕生日。70歳がもう少し。『論語』では、「七十にして 心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」。意味は、自分が行うすべての行動は、道徳の規範から外れることはなくなった」。と孔子は書いているが、あと2、3年では私にはできそうにもない。
 
 
誕生日に合わせて、高級嗜好品「サクランボ」を、お腹いっぱい食べさせてくれるツアーを、我が良妻が申込みしてくれた。山梨に行き、「ナポレオン」、「紅秀峰(べにしゅうほう)」、美味しさの定番「佐藤錦」、よく食べました。今まで食べられなかった分も含めて、これだけ食べれば大満足。家内に感謝です。
 
サクランボのビニールハウスは防寒対策ではないそうです。これは雨対策だそうです。熟した実が雨に濡れると、黒く変色して食べられなくなってしまうので、このようにしているそうです。
 
 
 梅雨寒や
 
 夫婦正座で
 
 紅茶飲む
 
ついでに、大月市の「猿橋」という、珍しい造りの橋も見てきました。いつまでも記憶に残る誕生日となりました。お返しが大変になりそう。
 
 
【愛 語】
 
私の70歳になってからは、「これでいい」ではなく、「これがいい」と、「自分の意志」をきちんと表現できるような生き方を目指したい。あと2、3年努力してみたい。
 
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梅雨

2019年06月25日 | 探訪記
6月20日(木)は、長姉と家内の珍道中。今回は、近所の花巡り。

先ずは、水戸市にある「保和苑」。徳川光圀公(水戸黄門)が寺の庭を愛されて「保和園」と名付けられたことが始まり。昭和初期には地元有志により、拡張整備されて純日本庭園になり、名前も「保和苑」。
 昭和25年、「桂岸寺」より水戸市へ移管され、昭和36年、地元と市による「保和苑周辺史跡観光連絡協議会」が発足し、運営。昭和30年代、苑を拡張してあじさいの植栽。1.5haの敷地に、約100種6,000株のあじさいが咲き競い「あじさいまつり」が盛大に開催。


足を伸ばして城里へ。「青山花しょうぶ園」は、美しい緑に囲まれた休耕田を利用したしょうぶ園で、約70種16,000株が植えられています。水辺に広がる光景は正に幻想的。美しく色鮮やかなしょうぶは、花言葉通りに、訪れる人を「やさしい心」にしてくれるようです。また、しょうぶ苗の販売なども行われます。
 
 
 菜園を
 
 我が者顔に
 
 梅雨野菜



話変わって菜園では、「インカのめざめ」収穫。北海道でも、なかなかお目にかかれない貴重種。アンデスで、晴れのお祭りにしか食べられなかった高級ジャガイモを、日本向けに改良したじゃがいも。 栗かさつまいものような風味と、じゃがいもとは思えない鮮やかな黄色が特徴的。レンジで加熱しても、揚げジャガ、茹でじゃが、サラダなどにジャガイモの糖度は一般的に5度程度なのに対して、インカのめざめは6~8度と糖度が高く、甘みと濃厚な味わいが特徴。

ねっとりした口当たりとさつまいものような食感がある。表皮は、普通のジャガイモとあまり変わらない色ですが、ひと回りほど小さめで、大きさに大小あり。我が家では、調理法を変えて食卓に並び、美味しくいただいています。「感謝!」


梅雨時期、我が家の風物詩。ハナタカさんの「南紅梅」の梅干しづけ。昨年は原因不明で上手くいかなかったので、今年こそはと意識高し。

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