『三楽菜園』も夏野菜の植付けも終わり、園主は毎日、除草作業に追われています。「雑草」という名前の草はないので、頑張って、汗を流してください。
葱坊主
草取る人の
草取る人の
汗見てる
5月5日(日)、十連休も残すところ二日、「川越散策」。「小江戸川越春まつり フィナーレイベント」の最終日とあって、街全体がお祭りムード一色。

正午に近い時間で、「時の鐘」を自動で打ち鳴らす様子が見られる、というので一休み。

目的は、喜多院の「五百羅漢」。いろいろな表情があり、いつまで見ていても飽きなかった。自分に似ているものはないかと探すのも一生懸命。笑ったり、泣いたり、怒ったり、ヒソヒソ話をしたのと様々。何か知り合いに似てるのを発見したりと、面白い時間を過ごした。家内は干支(えと)にちなんだものがあるというにわか知識で、あちこちと探した。観察のしがいがあったようです。

昼食は名物の「うな重」。次は、15種類約2万本のつつじが咲き誇り、「つつじの寺」として広く知られ、樹齢千年を超えた杉木立に囲まれた「塩船観音寺」。時期的には、「花まつり(お釈迦(しゃか)様の誕生日)」の4月8日から、5月上旬にかけて『つつじまつり』が行われており、最高のタイミングでの訪問。


しかし、午後の訪問となり、杉木立の影がツツジを被(おお)い、写真撮影にはちょっぴり残念。暑い日だったので、日陰を求めての散策は良かった。約2万本のつつじが、一望に見渡せるすり鉢状の境内に早咲き・中咲き・遅咲きと順に開花。

「令和元年元旦」の記念に御朱印をいただくのもお祝いかなと、5月1日にお参り。真言宗本山 水戸大師 「六地蔵寺」は、807年に開山。本尊である「六地蔵菩薩」は、安産祈願・初参り(お宮参り)・子育て・心願成就に霊験あらたかな地蔵菩薩。我が家の三人の子どもの出産前に安産祈願し、出産後はお礼参りに伺ってきました。境内には、樹齢200年の水戸光圀公ゆかりのしだれ桜、樹齢1,000年を前後する大杉、大銀杏(いちょう)等、四季折々の緑と花々に彩られ茨城百景に謳(うた)われてます。

次の日、八溝山にある『日輪寺』へ。、茨城県久慈郡大子町の八溝山の中腹、八合目付近にある天台宗の寺院。山号は「八溝山」。本尊は「十一面観音」であり、坂東三十三観音霊場第21番札所です。寺伝では、7世紀後半に創建。その後、廃寺。807年に弘法大師空海みずから刻んだ十一面観世音を本尊として再興。平安から鎌倉にかけて修験者など行者を中心に霊場化。

水戸から、ナビを頼りに行くと、福島県の矢祭を通り、東館、塙町を通過し、車が一台通れるかどうかの山道を20㎞ほど走り、頂上に到着。眼下に関東平野を眺望し一休み。運転の緊張感をほぐし、少し下ると到着。ふだんは、住んではいないのですが、この日は、住職さんがおり、直接御朱印を書いていただけました。帰路はご住職に教えていただいた新しく完成した道路を下り、往路の半分の時間で、素晴らしい道路を走りました。

そこから、常陸太田市にある『佐竹寺』に向かいました。寺記によれば807年に開創。源義光の孫の源昌義は、この寺で節が1つしかない竹を見つけ、これを瑞兆とし、佐竹氏を称したとされる。関ヶ原の戦いの後、佐竹氏が出羽に移封されたことにより衰退。江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑(にぎ)わいがあった。明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺。現在は屋根が茅葺(かやぶ)きであり、傷みも激しく再建が待たれる。
ここでは、あごひげが立派なご住職自らの筆による御朱印をいただけました。
「令和元年元旦」はお祝いの気持ちを込めて、「御朱印」を頂くドライブとなり、走行距離は280㎞ となりました。山道あり、渋滞ありと気疲れする運転に、ダウン。私たち夫婦というより、我が子や、孫たちにとって安心して、生活できる時代になってほしいと思います。しっかり「願掛け」しましたので心配もないでしょう。ぐっすり寝ることができました。