京阪石坂線。
現、大津京駅。
旧、皇子山駅。
ホームに、謎のポール。
これはなんだ。
話は変わるけど、市役所前駅は、前は別所駅と言った。
場所も少しずれた、浜大津側だった。
前の駅の痕跡はある。
私には、前の駅を利用した記憶がある。
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この前日。
スケート教室。
追記:上栄町駅は、昔、長等公園下駅という駅名だった。
これは、私が生まれる前のことで、記憶はない。
京阪石坂線。
現、大津京駅。
旧、皇子山駅。
ホームに、謎のポール。
これはなんだ。
話は変わるけど、市役所前駅は、前は別所駅と言った。
場所も少しずれた、浜大津側だった。
前の駅の痕跡はある。
私には、前の駅を利用した記憶がある。
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この前日。
スケート教室。
追記:上栄町駅は、昔、長等公園下駅という駅名だった。
これは、私が生まれる前のことで、記憶はない。
「大津市歴史博物館」の開催する講座には、館内での座学と実地を歩く二種類がある。
本日はタイトルの講座に行った。
昼飯に市役所前の「とんかつ棹」で、特ロースをさくっと。
れきはくまで歩くが「まじで10月か!」と怒りたくなる暑さと日差し。
早めについて常設展示を鑑賞。
2時開始の講座を待つ。
この屋外講座には、2009年2月15日に「大津城址を歩く」、2013年3月30日に「かつての湖岸ラインを探る」というものに参加している。
大津城址の体験記はこのブログの過去ログにもある。(10年前だなあ~)。
2013年のほうは書いていない。(職を変わったときだ、のんびりしとるなぁ)。
江若鉄道というのは、近江と若狭をつなぐことを目的としていたが結局、近江今津までしか伸びず、最終的に国鉄湖西線に役割を渡して廃線になった。
廃止になったとき、私は10歳、京阪浜大津駅を通って小学校に行っていたので、江若浜大津駅は入ったことはないが前は通っていた。
三井寺下駅は、最初の大津起点駅。
車両留置場所を含め広大な土地を有していたが今はなし、しかし道端のここそこに、痕跡を残している、それを見て回ろうという講座だった。
言わば「ブラタモリ」的なものだ。
実際、「これって、そうなんや~!!」な物件が次々・・・。
道と境界杭、土蔵は残っているということだ。
私がお買いものののため、車で大津京駅付近のスーパーに行く道路(ヴェルツルグ通り)は、駅跡、線路跡だった。
三井寺下駅から延伸した浜大津駅まで廃線跡を歩いて解散、歩き2時間。
疲れたぜ、春先に病気してからすっかりやきがまわっちまった。
期待の嵯峨野線新駅に行ってきた。
JR京都駅30番台ホームから出発する電車は外国人で満員だ。
みんな嵐山で降りるのだろう。
出発後、ひと駅めで降りて、「京・朱雀すし市場」へ。
中央市場直送のとれとれ魚を、おなかいっぱい食べた。
近大マグロもトロリと。
「小学生に、弾丸をぶつけることに成功」
とニュースで言っていた。
ぶつけたのは「はやぶさ2」という。
(゜_゜) ?
「小学生」じゃなくて、「小惑星」だった。
今日もモンテルは街歩き。
出かければ見つかるもんだなあ~。
歩けば棒に当たるんだよ。
山科京極通りで見つけた。
「韓国の味 チジミ ゴマの葉 キムチ ハイヒール」。
なんでしょうねぇ、ハイヒール。
(゜_゜)
ダジャレですかね。
足を食うと言ったら・・・豚足?
ニワトリやアヒルの足も中華じゃ食うよね。
韓国の食べ物「ハイヒール」って何でしょう。
いったい、何回眼鏡の上に座ったら気が済むんだ!
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当時流れていた「ハズキルーペ」という眼鏡のコマーシャルである。
最近(2022)はすっかり姿をひそめて「博士ルーペ」というのが幅を利かせている。
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この日のスケート。
マンホール・マニアというのがあるらしい。
町歩きの一種だ。
町中のマンホールを見る。
珍しいマンホールを見つけて、その鉄製の円盤の、写真を撮ったり、拓本をとる?。
マンホールとは、マン(人間)が入るホール(穴)だからマンホールだという。
・・・とすると、マンホールとは地面にあいた人間が入る穴がマンホールということになる。
私が「マンホール」と認識していた鉄板はマンホールではなく「マンホールのふた」だった。
この日のスケート。