
日本初の「本格的な」フォートリエ回顧展が東京ステーションギャラリーで始まった(1959年に南画廊という所で展覧会はしているらしい)。ということで天気の良い週末の、キャリーケースを引きずる人達の旅気分に充ち満ちた東京駅へ(たまに味わうこの雰囲気が好き)。
1898年パリに生まれて具象画から始まり、途中、生活のためにジャズクラブを経営して絵画から遠ざかり、第二次大戦を経てアンフォルメルへと変貌していく作風を時系列で見ていくことができる構成になっていた。会場に入ってまず最初に目にするのが「管理人の肖像」。少し前に原美術館で見たミヒャエルボレマンスにも通じる、静かだけどどこか異様な空気が漂う結構なサイズのこの絵をしばし見入る。肖像画や裸婦、静物の具象画が並ぶ第一章には「愚か者」「左を向いて立つ裸婦」「兎の皮」「化粧(体を拭く裸婦)」など好きになった作品がいくつかあった。
見物だったのは戦中期の連作「人質」が並ぶ第二章だった。ゲシュタポの手から逃れるためにパリから脱出し避難先で制作されたこの連作は顔を半分失った者や銃殺された者などが抽象的に描かれているのだが、抽象的ゆえに人というより「物」感が漂っており、そこにリアリティを感じてしまった。かつて人であった物。ゆらゆら帝国に「昨日までは生き物 今日になれば物」と歌った曲があるのだが、この連作を見ながらずっとそれが頭で流れていた。顔半分が厚塗りで描かれ、かつてあったはずのもう半分の輪郭がうっすらとひかれていたりする描写も印象的だった。画題ゆえに感じられそうな生々しさや残酷さはなく、唯々静かな(もっと言うと冷めた)印象を受けるところに妙なリアリティがあった。抽象化がより進んだ戦後作品が並ぶ第三章に果物(「趣旨のある果物」)を描いた作品があったのだが、これなんか「人質」シリーズとして並べられたって納得してしまう気がした。フォートリエはこれを描いた時に「人質」のあの頭たちを一瞬思い出したりしたんじゃないだろうか?
【雑 感】
ポストカードのラインナップに自分の好きな作品が全くなかった…
アンフォルメルの先駆的存在として有名だからなのか第一章の作品がほとんどなかった。
自分だったら「管理人の肖像」は絶対に作った。

ジャン・フォートリエ展
東京ステーションギャラリー
2014年5月24日(土)~7月13日(日)
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