
ものすごく予定が狂い
「こうなったらインビクタスを公開早々、週末の混んでる新宿で一人で見てやる!」
と自虐気味に新宿ピカデリーへ。
冒頭の、記録映像っぽいトーンの初登場シーンが、
本物のマンデラだと数秒間勘違いしてしまう程
モーガンフリーマンがハマりすぎ。
タイトル名にもなってる
ヘンリーの詩を体現したマンデラを、
わかりやすく描くための題材としてのラグビーで、
スポーツ映画って感じではなかった気がする。
(しかしオールブラックスのロムー役は、あれほんものですか??
似すぎてた気がするんですけどw)
自伝『自由への長い道』を読んでから見たかったのだが
amazonでも品切れで絶版ぽくて断念。
「インビクタス」というタイトルは途中で変更されて決まったらしいが、
この詩は今までのイーストウッド映画(とは言っても全作品を見てませんが)にも
当てはまるような価値観があり、
これを支えに立ち上がったマンデラを
イーストウッドが描きたいと思った所に妙に納得してしまう。
(「赦し」という要素も大きいと思ったけど、
最近見た「シークレットサンシャイン」と比べていろいろ思ったりしました。)
そして、おそらくあれは絶対にそうに違いないんだけど、
同じ回にマーシーが来ていた(ブルーハーツじゃないよ)。
そして、おそらくあの回に一人でこの映画を見に来ていたのは
オレとマーシーだけなんじゃないのか?
と思うくらいカップル多し。
(この映画カップルで見て楽しいのかね?現に隣の女の子がっつり寝てたし。。
しかもボクの肩で。)
「『インビクタス』を一人で見に来ていたマーシー」
を、場内が明るくなってはじめて発見した時、
この映画がボクの中で血肉化された。
マンデラのような大きな問題を抱えてはいない
ボク(やマーシー)の、ボク(ら)なりの
「負けざる魂」を、
映画化されることのない俗な日常レベルで体現していくこと。
それが「我が魂の指揮官として」
ボクに(そしてたぶんマーシーにも)
課せられてる課題なのだ。
この映画は一人で見るのが正解だな。
とマーシーに出会ってさらに確信したのであった。
原文と訳がネットに上がっていたので、
忘れないよう上げておこうっと。
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私を覆う漆黒の夜 鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する 我が負けざる魂〈インビクタス〉に
無残な状況においてさえ 私はひるみも叫びもしなかった
運命にうちのめされ 血を流そうと決して頭は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には 恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお 私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと いかなる罰に苦しめられようと
私は我が運命の支配者 我が魂の指揮官なのだ
Out of the night that covers me, Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be For my unconquerable soul.
In the fell clutch of circumstance, I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance, My head is bloody, but unbowed.
Beyond this place of wrath and tears Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years Finds and shall find me unafraid.
It matters not how strait the gate, How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate: I am the captain of my soul.
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー