
写真集にハマって以来、洋書のセールというものが気になるようになってしまった。
これもだいぶ前、松も明けないうちだったと思うが、洋書が30~70%オフ、しかも飯田橋の美術系古書店アルテリアも出展していると聞き(この店でこの祭りの情報を得た)、「行かいでか!」とのこのこ丸の内まで。
ロバートフランクのアメリカやだいぶ昔に日本でやったルーチョフォンタナ展の図録など気になるものが多数あったが、先日の暴挙を繰り返すとさすがに(お財布が)ヤバいので今回は見るだけに。
と思っていたのにアントニオロペスの画集とシンディシャーマンの写真集とスティグリッツが発行していた雑誌「カメラワーク」に掲載されていた全図全写真がのったピクトリアルガイドというのが激安だった(あわせてもCD一枚より安い)のでついヤッてしまった。
洋書そるど市2015
丸善丸の内オアゾ
会 期 2015年01月07日~01月13日
時 間 9:00~21:00

本当は昨年末に仕事納めのご褒美として一冊だけ写真集を買おうと思って新宿南の紀伊國屋に行ったのだが、「初売り洋書20%オフセール」というポスターを見て、この店が夏と正月に洋書セールをやっていた事を思い出した。「2割引はデカい!ど、どれを買おう…やっぱヴィヴィアンマイアーかドゥパルドンか?…いやブラックモンも欲しいけど高い…けど2割引なら…」という幸せな選択の時間を過ごしながら年があけるのを待っていた。
そして気づいたら↑が入った袋を持って新年の東京に立っていた。
カラッと晴れた正月の東京(一年で一番好きな東京)、もうこれだけでテンション4割増の中、初売りという名の祭り、それも本の祭りとあっちゃ正気でいられる訳がないのはわかっていたけど。まさか全部買うとは思わなかった。そこから財布のひもが完全にブチ切れ、近所のなじみの古本屋に寄ったら「中村宏図画事件」「立ち入り禁止をゆく」「On Reading」が超格安で売っており、「うるせーー!!」と誰に対してなのかわからない言葉を心で発しながらレジへ向かう。さらに都築響一が「HENRY DARGER'S ROOM」の新品をネットで再版していることを知り、「うるせーーーー!!!」とその場でクリック。こんなに興奮した買い物は久々だ(初ボーナスで買ったゆらゆら帝国のインディーズ盤2枚5万円の時以来かもしれない)。
「ポルシェに乗って4畳半に住む」的なことになっているしこんな事してる場合じゃないのだが、後悔はしていない。
久々に文句なしに楽しめる浦沢仕事が続いたので。
漫勉という画集を出してたのは知ってたがテレビで何するんだ?と思ってたら、いろんな漫画家の創作現場を密着撮影し、それを浦沢直樹と漫画家本人の二人で見ながら感想を駄弁るという番組だった。これがめちゃくちゃ面白い。浦沢直樹って自身が第一線で活躍する漫画家なのに批評眼とそれを口語化する能力が妙に高い。名プレイヤーは名コーチにならないように普通どっちかだ。ジブリ鈴木敏夫のラジオで少年時代に見たアニメのアニメーターの描線の違いについて話した時も海外マンガフェスのトークショーでBDについて話した時も、その記憶力と批評眼とわかりやすい語りに驚いた記憶がある。トッププレイヤーでありその世界の語り部でもある人間として立川談志や菊地成孔を思い出す。
創作現場の映像も面白いがそれ見ながら駄弁っているところが面白い。「顔はどこから描く?」「この線が~80年代だよね」「コマの枠線を5mmずらす事でスピード感を変えることってあるよね」などとトップ漫画家同士で喋ってる映像って見たことない。評論家も司会者もなく漫画家のみというのがこの番組の肝かもしれない。漫画家のプライベートの飲み会を覗いているような感覚というか。飲み会でもこんな作品についての濃いトークをしているかどうか。「その漫画家がポップになる瞬間を見るのが小学生の時から好き」という話からかわぐちかいじの過去作品を語る浦沢なんて評論家としても食っていけるじゃないかと思う程だった。
これが実現できたのは浦沢直樹のネームバリューとトーク力と(漫画家にしては)出たがりのおかげ(話術に長けた漫画家以外でも話のできないトップ漫画家でも成立しない。そもそも出演OKがでないかもしれない)だと思うし、誰にでも出来る仕事じゃない貴重でかなり重要な仕事なので、ビリーバットをとっとと終わらせてこの番組とMASTERキートンに専念して欲しい。いつまであるかわからないがネットにも転がっていた。
関係ないが、「僕の小規模な生活」に対抗して「僕の超規模な生活」というトップ漫画家の印税生活を浦沢直樹か江川達也か鳥山明か本宮ひろ志に描いて欲しい。
漫勉という画集を出してたのは知ってたがテレビで何するんだ?と思ってたら、いろんな漫画家の創作現場を密着撮影し、それを浦沢直樹と漫画家本人の二人で見ながら感想を駄弁るという番組だった。これがめちゃくちゃ面白い。浦沢直樹って自身が第一線で活躍する漫画家なのに批評眼とそれを口語化する能力が妙に高い。名プレイヤーは名コーチにならないように普通どっちかだ。ジブリ鈴木敏夫のラジオで少年時代に見たアニメのアニメーターの描線の違いについて話した時も海外マンガフェスのトークショーでBDについて話した時も、その記憶力と批評眼とわかりやすい語りに驚いた記憶がある。トッププレイヤーでありその世界の語り部でもある人間として立川談志や菊地成孔を思い出す。
創作現場の映像も面白いがそれ見ながら駄弁っているところが面白い。「顔はどこから描く?」「この線が~80年代だよね」「コマの枠線を5mmずらす事でスピード感を変えることってあるよね」などとトップ漫画家同士で喋ってる映像って見たことない。評論家も司会者もなく漫画家のみというのがこの番組の肝かもしれない。漫画家のプライベートの飲み会を覗いているような感覚というか。飲み会でもこんな作品についての濃いトークをしているかどうか。「その漫画家がポップになる瞬間を見るのが小学生の時から好き」という話からかわぐちかいじの過去作品を語る浦沢なんて評論家としても食っていけるじゃないかと思う程だった。
これが実現できたのは浦沢直樹のネームバリューとトーク力と(漫画家にしては)出たがりのおかげ(話術に長けた漫画家以外でも話のできないトップ漫画家でも成立しない。そもそも出演OKがでないかもしれない)だと思うし、誰にでも出来る仕事じゃない貴重でかなり重要な仕事なので、ビリーバットをとっとと終わらせてこの番組とMASTERキートンに専念して欲しい。いつまであるかわからないがネットにも転がっていた。
関係ないが、「僕の小規模な生活」に対抗して「僕の超規模な生活」というトップ漫画家の印税生活を浦沢直樹か江川達也か鳥山明か本宮ひろ志に描いて欲しい。
まさか20年後に復活するとは。そして変わらずに面白い。「面白い」という事は変わらずなのだがキートンの世界は変わった。時間が進んだ。百合子は結婚し太平はシニア向けマンションに住みキートンは老眼入ってきた。全体を通して印象的なのは、どの人物の境遇もこの20年で右肩上がりに良くなっているわけじゃない事だ。あの最終話でキートンは思い通りの充実した研究生活を送って行くんだろうと思った人は少なくないはずだが決してそうなってないし、他の登場人物も思い描いた道を真っ直ぐに進めてはいない感じが漂う。そして読むこちら側の世界も変わった。この作品ではよく登場するヨーロッパの民族紛争なんて20年前のこの国ではほとんど他人事だった。戦争に翻弄される個人のエピソードが妙にリアルになってしまってもいる。不定期で連載は続いてるようなので、この単行本が「栄光の八人」で終わっている事は意図的なのかわからないが、この作品を復活させ、この話で終わる単行本が今この国で出版される事って結構意味があるんじゃないかしら、と思えた。長嶋有の「声高でなく」を思い出す。ラストシーンはとても良い。
通常版とカラー原画の入った豪華版の2つが出ていたが、あの黒い表紙のあの判型でずっと読んできたので迷わず通常版を手にとった。
bsマンガ夜話 第10 043 マスターキートン 浦沢直樹

いよいよ高畑勲の「かぐや姫の物語」が今月公開される。
その前に竹取物語をちゃんと読んでおこう。
竹取物語といえば宮田雅之の切り絵だ。
宮田雅之を知ったのは別冊太陽の八犬伝シリーズの特集号だが、これを最初に発見した時は色使い
といい人物の造形といい眼つきといい、グググっと突き刺さるものがあり暫く(立ち)読みふけってしまった。
その他にも源氏物語や水滸伝やおくの細道など古典を扱ったものが数多くあるが、可能ならば大型
本で見た方が良い。↓のおくの細道の有名な句の作品などは水の表現に度肝を抜く。
大迫力である(紙を切ってできてるんだよなこれ、と唯々驚く)。

竹取物語も上記の扉絵を筆頭に姫の衣装や富士の雪表現などドキドキするものがたくさんある。
そして宮田雅之のこの絵に川端康成の現代語訳とドナルドキーンの英訳が組み合わさった大御所だらけの本がある。
シルクスクリーン付きの豪華本は50万近くもする(ここなら半額以下!でも21万…)。
入手しやすいのは以下。
高畑勲は男達をあしらう姫をどう表現するんだろうか?
天の羽衣を来た瞬間の豹変の切なさをどう表現するんだろうか?
(ここはパコロカの「皺」が扱った題材とも個人的には重なる。)
姫が犯した罪と罰とは何なのだろうか?
公開が待ち遠しい。

明治大学中野キャンパスにてガルニド来日講演「黒い猫の履歴書」。
会場は予備席が出るほどの大盛況。
これまでの経緯(マドリードの美術学校~ディズニー仏スタジオ~BD制作)を軸に
普段はお目にかかれないラフスケッチや原画レベルのアニメーションを見せながら
製作過程を丁寧に語ってくれた。
全体を通して印象的だったのは絵に対するこだわり。
まずブラックサッドは水彩だった事に驚いた。
素人目にはわからない色・光・空間表現を何パターンも描いて1コマを完成させていると知り
さらに驚いた(1日12時間制作に費やし1週間で1~2頁完成させるのだそう)。
ブラックサッドのために動物のデッサンもたくさんやったそうで、
あの質の高い絵でのマンガを産み出すのに相当な熱量と時間が費やされている事に
妙に納得してしまった。全然高くないよあの値段は。
絵画についても一家言あるのではないかと思い講演後のサイン会で
「影響を受けた画家はいるか?」と質問してみた。
光のこだわり具合でベラスケスやフェルメールの名前は何となく予想できたが、
ホアキン・ソロヤ(Joaquin Sorolla)という画家と
日本のイラストレータ上杉忠弘の名前が聴けたのは個人的な収穫だった。
上杉忠弘という名前は最初ピンとこなかったのだが、調べてみて私の好きな
「コララインとボタンの魔女」のコンセプトアートを担当した日本人のヒトだったと思い出す。
ソロヤは正直全く知らない名前で、19世紀後半から20世紀前半のスペインの画家だそう。
作品を見てみると風景画を多く残しており浜辺の光の描写が印象的。
また肖像画の中にはブラックサッドに参考にしたのではと思わせるようなポーズやボディラインのものがあったりして面白かった。
因みにマドリードにあるソロヤ美術館のサイトにバーチャルミュージアムがあり絵を楽しめる。

<余談>
・アメコミはスパイダーマンは好きだがスーパーマン、アヴェンジャーズはイマイチだそう。
・幼少の頃に影響を受けたアニメとしてピーターパン等ディズニー映画の他に日本のハイジを
挙げていて嬉しかった(来年2014年はハイジ放映40周年ということもあり、最近ハイジを
通しでちゃんと見てみてその完成度の高さを実感したばかりだったので)。
<今後の予定>
・自作のショートアニメーションをWEBで発表予定。
・ブラックサッド6~7巻の制作(2巻続きの構想でそう遠くないうちに完成予定)。
・ブラックサッドの実写化(アニメじゃなく!)が実現するかもしれないらしい。
・スタインベックの小説「ハツカネズミと人間」をいつかBD化したいと思っている。
・本当はウォルトディズニーになりたいのでいつかガルニドランドを創りたいらしい。
【主なガルニド作品】
<ブラックサッド>
現在邦訳は1~3巻まで。
海外では近日発売の第5巻。UKアマゾンで中身が少し見られる。

<ブラックサッド以外>
講演では「Sorcelleries」と紹介されていたが
日本アマゾンで買えるのはスペイン版「Brujeando」。
「Voyager」(「時の旅人」?)シリーズの全ての表紙を書いており、
一冊だけ中身の作画をまるまる担当している。
米小説家JohnKennedyToole(ジョンケネディトゥール)の「A Confederacy of Dunce」
(おそらく未邦訳。訳すなら「のろまたちの同盟」「間抜け同盟」)の挿絵?
(オマージュのイラスト?)

<京都国際マンガミュージアムでの講演>
後半に貴重なライブペインティングが見られる。
ブラックサッドの鼻はマーロンブランドがモデルらしい。
BDの大大大名作BLACKSAD。
黒猫の探偵ジョン・ブラックサドの難事件を解決していくハードボイルドコミック。
このサイトにもあるように
擬人化された動物たちが登場人物だが、
「リアルさとカリカチュアが絶妙なバランス」で描かれており
何の違和感もなく作品世界に入っていける。
ちゃんと哀愁を感じちゃんと美「人」に思え、ちゃんとエロいのだ。
その作画家フアーノガルニド(Juanjo Guarnido)が今年来日する。
第2回海外マンガフェスタに参加するためだそうだ。
それに合わせて日本語版第3巻も刊行されるそう。
(フランス版では第4巻まで出ており第5巻も製作中。)
日本語版第2巻は高値で取引されているので、個人的には5巻まででたらまとめて一冊として
翻訳刊行してほしかった(版元が違ったりするので難しいとは思うが)。
とはいえ貴重な巻末資料がつくらしいので単行本が楽しみだ。
海外マンガフェスタにはあの「ゾンビレニアム」「カニ革命」の
アルチュールドパンスも参加するらしい。
今年の7/30で新美南吉生誕100年らしい。
小さい頃にごんぎつねくらいは読んでるはずだが
正直そこまで印象に残っていない。
100周年記念で刊行された別冊太陽をパラパラ読んだらおもしろかった。
特にアンドレ モロア「デブと針金」という作品の書評がおもしろい。
食べるために生きているデブの国と
生きるために最低限の量を食べるやせっぽちの針金の国。
両国が争う事になるが食べてばかりのデブの国は
統率のとれた針金の国に当然のごとく負けて統合される。
しかし時間が経つに連れ生きるためにしか食べなかった針金の国の人々は
「食べるために生きる」ことの魅力を知っていく…
という内容らしいのだがこの作品自体も読んでみたいと思った。
新美南吉は詩集を読んでみたいのだが今のところ手に入りやすいのは
ハルキ文庫の一冊だけなのだろうか。
探してみよう。
「米国防長官をわが国に招くからキノコ狩りでもして気を沈めてもらいたい。
文化の交歓が妨害されたら何が残る?武器の交換か?」
ニューヨーク映画祭に招かれたイラン人監督に入国ビザが下りなかったことで
アキ・カウリスマキが参加をボイコットし、上のコメントをした事を取り上げて
「言葉とはこうあるべきだという気がした。」
と嬉しくなったと綴った長嶋有のエッセイ。
ユーモアと怒りを交えてコメントしたカウリスマキを前に、
どんなに痛烈で正しい言葉を用いてもそれだけでは駄目で、
「誰かの心に刻みつけるには、あわよくば有効に作用させたければ、
言葉そのものに、それをつかみ取るための形が与えられなければならない。」
が、
「言葉を扱う仕事をしているのに自信がない。」
という。
権利が侵害され、不当に扱われ、なめられたとき、
「正しいだけの言葉で相手に切りかかってしまうのではないか」
と。
怒っているが責めてはいない
道徳を描くが声高でない
という風になるには意識的なひと工夫が必要でとても難しいのだが、
そのひと工夫ができたり感じ取れたりする瞬間にこそ世界の深みを見出すことができるし、
それを実現している人の言葉や行動に深く心が動く。
そうした工夫を感じられる程度の感性を持って日々の出来事に
反応しつづけていきたいとつくづく思う。
(『いろんな気持ちが本当の気持ち』所収)
関係ないが、今日スーパーで買物をしたら3111円だった。