ひとの感じる考えるという行為は不思議だ。遺伝子を追えば、36億年前の初めて地球に誕生した生命にまでさかのぼれるらしい。特定の生命体に行き着くのか。驚きである。この人体が死んでも遺伝子は他の生命体に継続している。
さて、自己の判断は自我に左右される。前より書くように自己と我己に分けて考えている。自己は遺伝子で、我己は感情である。
自分、家族、会社、組織、肩書きなどなど様々な我己がある。家族と組織のために働く姿が代表的である。
最初の遺伝子には哀れみ命令が仕組まれていたのか。あるいは利己的遺伝子であったのか。あるいはまた、きまぐれ遺伝子なのか。このブログにおいて、書き始めに記した。社会的動物になれる入り口に我らはいるのであろうか。世界的物理学者と同じ気持ちである。