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てっきゅうの雑記帳

管理人が日々の生活の中で感じた事を好き勝手に書いて行く予定…(汗)

さらば!485系特急「雷鳥」

2011年03月11日 21時20分18秒 | 鉄道
 長年、大阪と北陸を結ぶ特急列車として、親しまれて来た、特急「雷鳥」と同じく使用されて来た国鉄時代からの車両485系が明日からのダイヤ改正に伴って今日で姿を消す。

雷鳥は私が鉄道に興味を持ち出した頃から大阪では、代表的な特急電車であった。
そこで、この記事では、私の写真ライブラリーから485系と数年前に一足早く姿を消した481系ボンネットタイプの雷鳥の写真を掲載して、惜別の念を表わしたいと思う。

 陽の光を一身に浴びて、北陸に向けて疾走する「雷鳥」

    

 1981年7月東海道本線山崎駅付近にて撮影

一足先に姿を消した481系ボンネットタイプの「雷鳥」イラストでないヘッドマークとボディ横に小さく見える国鉄を表わすJNRマークに注目!

    

 1982年東海道本線岸辺駅にて撮影

なお、九州新幹線の全線開通に伴い、今日を最後に九州でも、485系を使用した特急が姿を消す。 


 

台湾鉄道高雄駅で見られる古レール

2011年02月11日 08時31分37秒 | 鉄道
 2009年3月に台湾鉄道で念願の鉄道による、台湾一周を果たしたが、その折に高雄駅のホームの上屋に使われている、古レールを調べてみた。

 メーカーは不明だが、かなり古いレール

    

 これは、記されているマークから八幡製鉄製と分かる。

    

 メーカー名は判別するものの、私の浅学のためにメーカーが分からないレール

    

 これは私のような素人でも、分かるぐらいに超有名なカーネギーのレール

    

 これも、メーカー不明なレール

    

 浅学ゆえに、分からぬ事だらけのレールであるが、もし、これを見られた方で、メーカーをご存知の方は、メーカーをコメント欄に書き込んでご教示いただけたら、幸いに存じます。

   

旧友と会うその2

2011年01月04日 19時23分11秒 | 鉄道
 前日に4軒はしごして、すっかり散財してしまったので、この日は、節約モードで行こうと言うことになり、私が「120円で近郊区間の大回りで琵琶湖一周でもしようか?」と提案すると、お互いに鉄分の濃い旧友の事、異論無く早速実行に移った。一足先に完成した、大阪駅のホーム上の連絡通路を通って、京都方面のホームに向かう。お互い大阪駅の変わり様に感心することしきりであった。いつもは米原から回るのだが、今回はダイヤが乱れていたせいもありちょっと趣向を変えて、先に湖西線から回る事にした。北陸線の特急が発車する11番ホームから発車する485系のL特急「雷鳥」にカメラを向けている撮り鉄が多くいた。485系の「雷鳥」は今年の3月のダイヤ改正で廃止になるので、今のうちにカメラに収めておこうと思っているのだろう。実際、数年前に敦賀に出張で行きは681系の「サンダーバード」、帰りは485系の「雷鳥」と乗り比べた事があるが、最新鋭の681系と比べて、車齢40年前後の485系とは、雲泥の差があるのを実感したので、今回の485系引退のニュースを聞いて、致し方無いなと思ったものである。

 京都を過ぎて、山科や西大津に差し掛かったぐらいから、雪が積もっているのを見掛ける様になった。どうやら、年末の寒波で降り積もった雪が残っているようである。車窓から見る比良山や琵琶湖の東岸はるかに見える伊吹山は真っ白に雪化粧していた。湖西線に乗るお楽しみとして、湖西線が開通する前に存在したローカル私鉄、江若鉄道の廃線跡を見つけるのが、楽しみとなっている。旧友はちゃんと見るのが初めてだったようで、私と一緒に真剣に探していた。しばらくして、国道161号線と並行して残っている現在は道路になって残っている廃線跡を見つけたり、北小松駅前に残る江若鉄道の北小松駅の痕跡を見つけたときは、お互い歓喜の表情を浮かべた。それから、湖西線沿線の駅のホームで485系の「雷鳥」を狙っている撮り鉄を多く見かけた。恐らく、雪景色の中を走る「雷鳥」の写真を狙っているのだろう。

 近江塩津で米原方面の電車に乗り換える。当初は、先に米原を回る予定にしていたのだが、若干ダイヤが乱れていて、予定が狂って後先が逆になってしまったので、昼飯を食べそびれてしまい、すきっ腹を抱える事になってしまった。近江塩津で乗り換えた電車は、網干行きで大阪までの直通電車であったが、そのままこの電車に乗ってしまうと、大阪まで飲まず食わずになってしまうので、ホームに駅そばやキオスクがある米原で降りる事にする。このあたりが、改札口を出る事が出来ない120円の旅の辛いとこだ。もっとも、今回の120円の旅は、時間に追われていないので、余裕があるし、それに米原まで出てしまえば、大阪方面に行く電車の本数も多くなるので、米原で腹ごしらえをする。ホームの駅そばで小腹を満たし、米原駅名物、近江牛の駅弁でも買おうかな?と思ったが、値段の高さに断念する。ここにも、前日の散財した影響が出て来る。車内で飲むビールとつまみを買って、大阪方面行きの車内で車窓風景を楽しみながら、ビールを飲む。これぞ、乗り鉄の醍醐味である。米原~京都間の駅にある跨線橋はかつて、鉄道院時代の古い跨線橋が幾つか残っていたが、最近の改修工事でほぼ、全滅したようである。今回、私がこの目で見た限り、未確認であるが、安土駅の跨線橋が古いまま残っていたので、ひょっとしたら、鉄道院時代のかも知れない。

 今回、旧友と電車の話をしていて、話に上がったのが、去年の暮れにデビューした、新型電車の225系であった。私がよく読んでいる電車が好きな鉄子のブロガーの記事にも、225系の車体デザインはイケテナイと書いてあるし、このデザインは誰が見ても不細工やな、と言う話になった。そして、「いくら、安全性を考慮した車体構造でも、あんな不細工なブス電を作らんでもええのに・・・」と言う結論に達した。そう話しているうち、西大路駅付近で件のブス電とすれ違った。なるほど、かなりのブス電である。とまあ、そんな事を話しているうちに、大阪駅にたどり着き、大阪で乗るよりも、三宮から高速バスに乗ったほうがスムーズに帰れると言ったので、阪神に乗って三宮に向かう旧友を見送った後、まだ時間が早かったので、私はUSJに向かった。

中国の高速鉄道

2010年12月06日 23時32分55秒 | 鉄道
 先日、ニュースを見ていたら、来年の開業に向けて試運転を繰り返している中国の北京~上海の高速鉄道の様子をレポートしていた。車両は日本・ドイツ・フランスからの技術導入で中国で製造されたようである。車両の外観は、ドイツ型はICE,フランス型はTGVの最新型車両をベースに試作車両を製造しているようである。日本型のベースになったのは、500系であった。日本では、500系は今年の2月に第一線を退き、新大阪~博多間の「こだま」として、余生を送っているが、もし、このまま日本型の車両が500系をベースにした車両を本格的に生産したら、中身は違うとは思うが、外観だけでも500系は異国の地で、新たな復活を遂げる事になる。そうなるとええなとニュース映像を見て思わず、そう思ったてっきゅうでした。

強風の影響

2010年12月03日 20時24分48秒 | 鉄道
 今日は日本列島を寒冷前線を伴った低気圧が通過した為に、全国的に大荒れの天気であった。
 大阪でも、午後から強風が吹き荒れ、その影響でJRなど鉄道各線のダイヤが大幅に乱れ、列車の遅れや運休など、帰りの通勤ラッシュに大きな影響が出た。私も影響をもろに被った一人で、いつもより小一時間程の無駄なロスタイムが生じてしまった。
 自然が原因のダイヤの乱れなので、致し方無いが、まぁ、運が悪かったと諦めるしかないと思ったてっきゅうでした。

鉄道の日によせて

2010年10月14日 21時32分13秒 | 鉄道
 今日はすべての鉄分の濃い人達にとっての誕生日ともいうべき日である。1872年10月14日新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が営業運転を開始した日で、以前は「鉄道記念日」と言っていたが、最近では、「鉄道の日」と言うようになった。
 色々な紆余曲折を経て、わが国の鉄道は発展してきたが、最大のターニングポイントはなんと言っても、1987年の国鉄からJRへの移行である。わが国の鉄道は特に主要幹線は基本的に国が運営してきたが、JRへの移行は、民間への鉄道運営の譲渡と言う一大変革であった。
 こういった重大な体制の変更はあったが、わが国の鉄道は世界に誇れるハードとソフトを兼ね備えた世界でも有数の鉄道大国になった。
 ハード面での最大の自慢はなんと言っても、1964年の東海道新幹線の開通であろう。新幹線の言葉がそのまま世界で通じる程、新幹線が世界の鉄道にあたえた影響は計り知れないものがある。しかも、開通以来半世紀近く、死亡事故はゼロという事実は我々日本人はもっとこの事について誇りを持っていいと思う。

 次にソフト面だが、最近のJRは多少怪しいものがあるが、これまた世界一正確なダイヤによる、列車の運行である。秒単位での列車の運行管理はそれらに携わる鉄道員達の日頃の訓練と努力の賜物であるし、彼らの努力に対し、我々利用者はもう少し関心を持ってもいいと思う。

 最後に、最近の報道によると、リニア新幹線のルートが本決まりになったとの事。私が幼少の頃、実験がスタートし、段階を踏んだ実験を重ねた結果ようやくここまでたどり着いた。現在の新幹線もかつては、「夢の超特急」と呼ばれたが、リニア新幹線はその技術、そのスピードから、本当の意味での「夢の超特急」と言うのにふさわしいと思う。
 開通までには、これから十数年の歳月が掛かるが、開通した暁には、是非とも乗ってみたいものである。

輸出なるか?日本の新幹線

2010年09月16日 20時44分58秒 | 鉄道
 先日、日本政府の招きでアーノルド・シュワルツネッガー、アメリカ・カリフォルニア州知事が来日していたが、招いた日本政府の目的はシュワちゃんに日本の新幹線の良さを実際に体験してもらう為にわざわざ招いたのだった。メディアの報道によると、カリフォルニア州はサンフランシスコ~ロスアンゼルス間に高速鉄道を建設する計画があり、その計画を受注する為に、日本・ドイツ・フランスなど、すでに高速鉄道で実績のある国の間で激しい受注競争が展開されている。
 菅首相との会談や前原国土交通大臣自ら案内役を務め、JR東日本が来年の春にデビュー予定の最新型の新幹線電車E5系にシュワちゃんに体験乗車してもらったりして、売り込みに賢明の様子であった。シュワちゃんは帰りがけに報道陣達に向かって、ターミネーターでおなじみの決めセリフ「I'll be back!」(私は戻る!)と言って日本を後にしたが、日本に戻って来る時は、契約の調印の目的でで日本に戻ってきて欲しいものだ。

世界に輸出される新幹線

2010年07月24日 22時34分05秒 | 鉄道
 昨日、NHKのニュースの特集コーナーを見ていると、鉄道を多角的にとらえた特集を放送していた。中でも、私の関心を引いたのは、新幹線を海外に輸出する戦略をJR・国土交通省・車両メーカーが一体となって、取り組んでいる様子をレポートしていた。
 レポートでは、アメリカのフロリダやカリフォルニアに輸出しようと取り組んでいる様子をレポートしていたが、一口に新幹線の輸出と言っても、単に車両を輸出するだけではなく、車両・線路・信号システムを始めとした、列車運行システムなどをセットにした、総合的なシステムとしての新幹線をどのように相手先に売り込むかが、焦点になっているようである。
 放送では、日本の最大のライバルとして、フランスのTGVを取り上げていた。他にも、ドイツのICEも新幹線にとっては脅威となろう。
 新幹線が海外に輸出されたケースとしては、台湾新幹線があるが、これは、当時の李登輝総統が当時台湾で起きた大地震に対して援助してくれた日本に対する感謝の印として、TGV方式に決まっていた台湾新幹線を車両だけでも日本製を導入せよとの意向が働いたからで、純粋に競争入札で勝ち取ったものとは、言いがたい。 
 これら、アメリカでの入札が決定するのは放送によると、今年の11月頃だが、日本のシステムとしての、総合的な技術力を世界に大いにアピールして、日本が誇る新幹線を世界中に大いに広めてもらいたいものだ。
 

国道の上を新幹線車両が通った

2010年07月07日 20時58分08秒 | 鉄道
 昨日の夜中、銭湯からの帰り、青い回転灯を点した先導車を見かけたので、後ろから何かごっついもんが通るなと思ったら、なんと、鉄道車両ではないか!車体全体をシートで覆っていたので、何の車体かは不明だが、輸送ルートと車体幅から推測すると、どうも新幹線車両を輸送しているようだ。

 輸送中の写真

   

 実はこのルートは摂津市鳥飼にある、新幹線の車両基地へと新製された新幹線車両の輸送ルートとして、鉄道ファンには結構知られたルートなのだ。実際、私自身、以前にも300系が輸送されているのを見たことがある。
 恐らく、今回の輸送は来年開業の九州新幹線乗り入れ用のN700系「さくら」の車体を輸送したと思われるので、運が良ければ、何回かは見る事が出来るかも知れない。

思い出の私鉄電車

2010年06月28日 22時07分03秒 | 鉄道
 私の過去に撮った写真の中に、こんな写真が出てきたので、紹介する。南海貴志川線の方は、先日記事にアップしたが、今回は別の日に撮った写真

   

 (1994年1月撮影)


 日本最大の私鉄である、近鉄は以前は写真のような、荷物列車や伊勢・志摩の新鮮な魚介類を売り歩く、行商人を運ぶ為の専用列車を運転していた。
 荷物列車の写真

   

 (1985年?頃撮影)


 当時は、こんな列車を運転していたのだから、まだまだのんびりしていた部分があった時代やったんやなと、これらの写真を見て、私は思った。

思い出のJR鶴見線大川支線・銚子電鉄

2010年06月27日 04時18分45秒 | 鉄道
 1994年のお盆休みに私は当時東京にいた旧友の所に遊びに行ったついでに、旧友と関東近辺に残っていた、旧型電車の写真を撮りに行った。
 ターゲットは鶴見線大川支線に生き残っていた、昭和初期に製造されたクモハ12と日本では珍しい、ドイツ製の電気機関車がある、銚子電鉄であった。

 今回は、それらの写真を紹介しようと思う。


 まずは、路線の特殊事情で数年前まで生き残っていた、クモハ12の写真

   

   

 (1994年8月撮影)


 本業の営業収入だけでは、やっていけず、副業や鉄道存続を望む支援者達に支えられて、頑張っている銚子電鉄の写真

 まずは、銚子電鉄のマスコット的な存在のデキ3形電気機関車 日本では珍しいドイツ製の電気機関車である。1922年ドイツAEGアルゲマイネ製造

   

   

 
 デハ700形(1928年川崎造船製造 元近江鉄道デユワ101形)

   

   


 デハ800形(1950年伊予鉄道 元クハ400形~モハ100形)

   


 デハ1000形(元営団地下鉄2000形にパンタグラフを取り付けて、当電鉄でも使えるように改造を施した電車)

    

 (1994年8月撮影)


 現在では、JRのクモハ12は姿を消したが、銚子電鉄の方は、まだ健在のようである。


地方私鉄を撮り鉄した時の思い出

2010年06月25日 20時37分42秒 | 鉄道
 本来、このような記事をアップする時は、写真を同時に貼らなあかんのやけど、写真が未整理な状態なので、写真の方はそれまでご勘弁と言う事で・・・
 私が旧友と地方私鉄の写真を撮りに行き出したのは、1983年8月琴電を撮りに行ったのが最初である。その時は、旧友の言うままに行ったのだが、それから1984年5月信州周辺の上田電鉄・松本電鉄・上信電鉄の旧型車の写真をそうなめにし、8月には、弘南鉄道・十和田電鉄・新潟交通・蒲原鉄道・北陸鉄道などの写真を一週間かけて撮りまくった。
 それ以外にも、三岐鉄道・叡山電鉄、以前記事にした一畑電鉄や野上電鉄、銚子電鉄・遠州鉄道・豊橋鉄道など・・・思えば、あっちこっちと行きまくったものである。
 これらの多くの地方私鉄の内、現在では車両も大手私鉄から中古車両を購入して、車両の近代化を推し進めたり、中にはモータリゼーションの波に飲み込まれてしまい、廃線や廃業した、地方私鉄もかなりある。
 写真が整理出来しだい、順次アップして行くので、楽しみにして下さい。

思い出の国鉄の列車達

2010年06月23日 11時30分56秒 | 鉄道
 1872年新橋~横浜間に初めて開通した、わが国の国鉄は1987年JRとして、新たな体制となったが、私の写真ライブラリーには国鉄最終期の写真が多く残されている。
 そこで、貧弱かつ、稚拙な写真ながら、幾つか紹介しようと思う。


 非電化路線の急行列車に多く使用された、キハ58系気動車

   

 1982年山陰本線保津峡~馬堀間にて撮影


 当時の山陰本線は、非電化路線だった為、写真のような客車の普通列車がまだ多く運転されていた。

   

 1982年山陰本線保津峡駅(現嵯峨野観光鉄道保津峡駅)にて撮影


 今は無き、大阪に向かってひた走る寝台特急「つるぎ」

   

 1982年東海道本線岸辺駅にて撮影


 現在では、宅配便に取って代わられたが、当時は鉄道による小口荷物輸送を国鉄はやっていて、その為の荷物列車を運転していた。

 今は一部の保存されている車両を除いて、姿を消したEF58型電気機関車

   

 1982年大阪駅にて撮影


 大阪駅発着の福知山線や山陰本線の長距離普通列車が当時はまだ結構運転されており、客車列車がまだまだ活躍していた。

   

 1982年大阪駅にて撮影


 今ではごく一部の列車が運転されているに過ぎないが、当時は急行列車が数多く運転されており、北陸方面にも、写真の急行列車が運転されていた。

 急行立山(大阪~富山)

   

 1982年東海道本線塚本駅にて撮影


 急行ゆのくに(大阪~金沢)

   

 1982年大阪駅にて撮影


 今回の撮影場所に大阪駅が多いが、現在大阪駅は大改装工事中で当時の姿とは、一変してしまい、時の流れをこの写真を見て、改めて思い知らされた。

思い出の野上電鉄・南海貴志川線(現和歌山電鉄)

2010年06月22日 19時38分30秒 | 鉄道
 私が過去に撮影した写真の内、今は無き、野上電鉄・南海貴志川線(現和歌山電鉄)で走っていた、旧型電車の写真を紹介してみようと、思う。

 最初に今は会社の解散に伴い、1994年4月廃線になった野上電鉄の電車の写真

 デハ20形1914年汽車会社製造

   

 モハ20形(阪急1型)

   

 モハ30形(前の電車、阪神1121形)

   

 にゃんこの「たま」駅長が評判を呼び、「たま」駅長目当てに全国からの見物する人達が大勢来訪している、和歌山電鉄であるが、以前は南海貴志川線と言って、南海のローカル線であった。

 南海時代に走っていた、旧型電車の1201形

   

   

 この電車は、1995年貴志川線が和歌山電鉄に譲渡される前の南海時代に全車廃車され、形式消滅してしまった。
 私の写真ライブラリーには、まだまだたくさんの旧型電車の写真があるので、機会があれば、順次紹介したいと思っている。

 (1994年1月和歌山にて撮影)

久しぶりに撮り鉄をした

2010年06月20日 18時09分21秒 | 鉄道
 いつものように、USJからの帰り西九条駅で乗り換えて帰ろうと思った時、ちょうど「特急まほろば」が通るなと思い、手元にはショボイカメラ付きケータイしかなかったが、折角の機会なので、写真を撮って帰る事にした。
 環状外回りホームには、すでに数人の撮り鉄がいた。しばらくして、まほろばが入線して来て、信号待ちで停車すると、私にとって実に10数年ぶりの国内での撮り鉄であった。

 それがこの写真



 ケータイでの撮影ゆえに、イマイチな写真ですが、ご容赦を・・・

 最後にこの時居合わせた、若い撮り鉄の兄ちゃんに告ぐ!写真を撮る時に場所を譲ってもらったのなら、一言「すみません」や「ありがとう」の一言があってもいいのではないか?
こんな態度を取る鉄道ファンがいるから、鉄道趣味者は「ネクラ」「キモい」とか言われるのだ!これは、鉄道趣味だけではなく、世間の一般常識・マナーである。
 鉄道趣味がもっと普通の趣味の一つとして世間に認知されるには、一人ひとりが一般常識やマナーを守らなければ、強く思った久しぶりの撮り鉄であった。