4月26日ロードショー映画『小林少女』の小説版の感想です。
小夜ちゃんや風樹ちゃんと違って、秋津はあまり映画鑑賞とはしません。レンタルビデオ屋でバイトしてた頃は店員割引もあってよく見てたけど、それも十年前の事。興味のある作品でもTVまで放送されるまで見ないし、放送されても見忘れる事も度々。
そんな秋津が何故にこの『小林少女』の小説版を購入したかというと、偏にノベライズした作家が本宮さんだから……。
本宮さんというのは、現在秋津が続きの発行を何よりも楽しみに待っている作品『幻獣降臨譚シリーズ』の作者様でございます。
本宮さんの公式HPで2月頃だったかな?
急ぎの仕事でしばらく潜ります云々……という事があったのですが、その急ぎのお仕事がコレです。
この作品に限らず、秋津は映画の小説化作品というものに興味はないです。正直コレの購入も迷いました。
だって小説を書いたのは本宮さんでも、ストーリーは本宮さんじゃないんでしょ? だったらハズレもある訳じゃん。ストーリーも本宮さんのオリジナルっていうんならハズレはないけど、CMとかを見る限り、映画はど~~~にも秋津の趣味ではない様子。
が、買いました。
だってこの一冊の売り上げの積み重ねが、本宮さんの次回作に繋がるんだもん。 もはやまだ見ぬ次回作の為と言い切ってもいいかもしれない。そんな気持ちで購入。しかも手元に着くまでに色んな手間がかかってマス。
まず地元の書店でなくて、K駅の書店ならあると思ったけどそこまでかける情熱はなかったんで密林で注文するかと思ったら、風樹ちゃんと映画を見るのでK駅に行く小夜ちゃんと偶然会い、「有ったら買ってくるよ」と言ってくれたのでお願いして、そしたらやっぱりK駅の書店には有って(流石、私の心の本屋!)、何故だか小夜ちゃんには「流石、絵夢ちゃん!」と絶賛され(K駅の書店ならあるという絶対の確信が賞賛のポイントだったらしい。何故?)、映画帰りに届けてくれるというお話だったんだけれども、時間を読みそこなった秋津の都合でゴメンナサイしたら、病院の待ち時間に読もうと思って……という秋津の言葉を憶えていた小夜ちゃんは朝になって家まで届けてくれたのです!(長いよ、話が)
それが昨日の夕方から今朝にかけての出来事。
そして病院の待ち時間に読んだんですけどね。
う~~~ん、微妙?
まず開いて最初にある登場人物の紹介でつまずきました。
以下、『小林少女』より引用。
『すさまじい気の力を内に秘めた少女。中国・小林拳術武術学校で三千日修行を終えて帰国。後略』
どうよ、それ?
この時点で「む~~ん(==)」と眉間にシワが寄りました。
「ああ、そう」としか言いようのないこの脱力感。
が、まだ本文は始まってないと気を取り直して本文へ。
ストーリーとしては、まぁ成長物語です。
祖父が少林拳の道場を営んでいたという環境で育ち、自らも少林拳を学び中国留学までした主人公が、修行を終え帰国。日本に少林拳を広めようと奮闘し、その過程でラクロスをする事になります。
けれどもどれだけ体術に優れてもラクロスには素人。力加減が上手くいかず、それでもラクロスの練習に中国で習った心構えや対裁きを導入するも、如何に強くなりそして少林拳を普及するかだけを考えていた主人公は周囲と馴染めず不協和音を起こしてしまう。
ラクロスと距離を置き、幼い子供達との出会いで自分に足りなかった『少林拳の心』に気付き、仲間やチームワークの大切さを知った主人公だけれども、『強さ』にだけ固執した輩から狙われて……。
結論から言って、つまらないとは、申しません。
面白かったですよ、ラクロスに関する部分だけなら。
なんだかなー。
映画の小説化作品て『L』しか読んだ事がないし、『L』も映画と小説の見比べをしてないのでよく分からないんですけど、小説化ってどこからどこまでが映画に忠実なんだろう?
多分。
多分だけど。
情景描写以外の台詞に関するところは、多少語尾や言い回しは弄ってあってもある程度は映画に忠実なんだろうなとは思うんですよね。
情景描写とかの部分の表現は読んでいて「ああ、本宮さんだ」的本宮さんカラーを感じたけど、やっぱりそれ以外の部分がねー。
ストーリーもご都合主義というか、文章で読むには陳腐な展開で、ぶっちゃけて言ってこの作品では本宮さんには役不足と感じました。
因みに誤解のないように言っておきますけど、役不足なのは作品であって決して本宮さんではないですよ!
OK?
『役不足』の意味が分からない人は辞書を引くか、検索してみましょうね。
なんで小説化したのかなー?
小説化しない方がよかったと思うのに。
これは映像だからこそ生きる作品だと思います。
小説として読み手が自分の想像力だけで読むには、突拍子もないというか無理がありすぎる。
多分、映像だったら音や俳優さんの持つ勢いとかパワーで見せるor魅せるというか、多少の無理もねじ伏せられるだろうけど、文章ではそれはあり得ないからね。どれだけ作家に力量のある人を持ってきても、作品その物が向いてなければ無理が出るっていうもの。
仕事の依頼から〆切までの期間とか、予算の関係も絡んでるとは思うけど、小説ではキャラクターの背景があまりに浅くて感情移入には程遠い。これが映像だったら台詞の言い回しや演出で無理矢理引っ張るところもあるんだろうけどさ。
本宮さんだけど、本宮さんじゃない。
この痒いところに手が届かないようなジレンマをなんと表現したものか。
ページ数が足りないよねぇ。
キャラが浅いというか薄いもん。
なんで凛(主人公)がそれほどまでに少林拳に固執するのかとかが、祖父との思い出以外に殆ど語られていない。それほど主人公に影響を与えた祖父が、想い出話程度しかなく具体的なエピソードとして出てこないから、どんな人物なのかさっぱり見えない。主人公や主人公が師匠と慕う岩井の崇敬を集めるからにはそれなりに偉大というか懐の大きいところがあったはずなのに、それが語られてないから、小林拳と道場再興に情熱を燃やす主人公と、主人公を小林拳から距離を置かそうとする岩井の関係が妙に浮いてるのよ。
強さに固執して主人公を狙う敵の、強さに固執する理由とかもさ。
ただ勢いだけで突っ走ってて深く掘り下げられていないから、映像なら勢いで引っ張れたんだろうけど、じっくりと読める小説だとその浅さが浮き彫りになって上っ面だけの浅いストーリーに感じられる。
あと、製作者サイドとしてはそこで「クスッ」という小さな笑いを取りたいんだろうけど、他作品からのパロ(……正直パクリにしか思えない)が多すぎる。
『理力(フォース)が彼女と共に』とか、『赤い彗星』とか『人の3倍早く動ける』とか……。
鼻に付くや癇に障るというよりも、脱力して溜息しか出てこない。
もしかしてその溜息を狙ってるのか?
俳優さんが演じている姿を見ればまた違うのかもしれないけれど、文章で読んだだけでは他人のふんどしで相撲を取ってるようにしか見えない。アレ? まわしだっけ?
面白くないとは言わないけれど、「だから何?」という作品でした。
正直、小説化したのが本宮さんでなければ買ってないね。
小夜ちゃんや風樹ちゃんと違って、秋津はあまり映画鑑賞とはしません。レンタルビデオ屋でバイトしてた頃は店員割引もあってよく見てたけど、それも十年前の事。興味のある作品でもTVまで放送されるまで見ないし、放送されても見忘れる事も度々。
そんな秋津が何故にこの『小林少女』の小説版を購入したかというと、偏にノベライズした作家が本宮さんだから……。
本宮さんというのは、現在秋津が続きの発行を何よりも楽しみに待っている作品『幻獣降臨譚シリーズ』の作者様でございます。
本宮さんの公式HPで2月頃だったかな?
急ぎの仕事でしばらく潜ります云々……という事があったのですが、その急ぎのお仕事がコレです。
この作品に限らず、秋津は映画の小説化作品というものに興味はないです。正直コレの購入も迷いました。
だって小説を書いたのは本宮さんでも、ストーリーは本宮さんじゃないんでしょ? だったらハズレもある訳じゃん。ストーリーも本宮さんのオリジナルっていうんならハズレはないけど、CMとかを見る限り、映画はど~~~にも秋津の趣味ではない様子。
が、買いました。
だってこの一冊の売り上げの積み重ねが、本宮さんの次回作に繋がるんだもん。 もはやまだ見ぬ次回作の為と言い切ってもいいかもしれない。そんな気持ちで購入。しかも手元に着くまでに色んな手間がかかってマス。
まず地元の書店でなくて、K駅の書店ならあると思ったけどそこまでかける情熱はなかったんで密林で注文するかと思ったら、風樹ちゃんと映画を見るのでK駅に行く小夜ちゃんと偶然会い、「有ったら買ってくるよ」と言ってくれたのでお願いして、そしたらやっぱりK駅の書店には有って(流石、私の心の本屋!)、何故だか小夜ちゃんには「流石、絵夢ちゃん!」と絶賛され(K駅の書店ならあるという絶対の確信が賞賛のポイントだったらしい。何故?)、映画帰りに届けてくれるというお話だったんだけれども、時間を読みそこなった秋津の都合でゴメンナサイしたら、病院の待ち時間に読もうと思って……という秋津の言葉を憶えていた小夜ちゃんは朝になって家まで届けてくれたのです!(長いよ、話が)
それが昨日の夕方から今朝にかけての出来事。
そして病院の待ち時間に読んだんですけどね。
う~~~ん、微妙?
まず開いて最初にある登場人物の紹介でつまずきました。
以下、『小林少女』より引用。
『すさまじい気の力を内に秘めた少女。中国・小林拳術武術学校で三千日修行を終えて帰国。後略』
どうよ、それ?
この時点で「む~~ん(==)」と眉間にシワが寄りました。
「ああ、そう」としか言いようのないこの脱力感。
が、まだ本文は始まってないと気を取り直して本文へ。
ストーリーとしては、まぁ成長物語です。
祖父が少林拳の道場を営んでいたという環境で育ち、自らも少林拳を学び中国留学までした主人公が、修行を終え帰国。日本に少林拳を広めようと奮闘し、その過程でラクロスをする事になります。
けれどもどれだけ体術に優れてもラクロスには素人。力加減が上手くいかず、それでもラクロスの練習に中国で習った心構えや対裁きを導入するも、如何に強くなりそして少林拳を普及するかだけを考えていた主人公は周囲と馴染めず不協和音を起こしてしまう。
ラクロスと距離を置き、幼い子供達との出会いで自分に足りなかった『少林拳の心』に気付き、仲間やチームワークの大切さを知った主人公だけれども、『強さ』にだけ固執した輩から狙われて……。
結論から言って、つまらないとは、申しません。
面白かったですよ、ラクロスに関する部分だけなら。
なんだかなー。
映画の小説化作品て『L』しか読んだ事がないし、『L』も映画と小説の見比べをしてないのでよく分からないんですけど、小説化ってどこからどこまでが映画に忠実なんだろう?
多分。
多分だけど。
情景描写以外の台詞に関するところは、多少語尾や言い回しは弄ってあってもある程度は映画に忠実なんだろうなとは思うんですよね。
情景描写とかの部分の表現は読んでいて「ああ、本宮さんだ」的本宮さんカラーを感じたけど、やっぱりそれ以外の部分がねー。
ストーリーもご都合主義というか、文章で読むには陳腐な展開で、ぶっちゃけて言ってこの作品では本宮さんには役不足と感じました。
因みに誤解のないように言っておきますけど、役不足なのは作品であって決して本宮さんではないですよ!
OK?
『役不足』の意味が分からない人は辞書を引くか、検索してみましょうね。
なんで小説化したのかなー?
小説化しない方がよかったと思うのに。
これは映像だからこそ生きる作品だと思います。
小説として読み手が自分の想像力だけで読むには、突拍子もないというか無理がありすぎる。
多分、映像だったら音や俳優さんの持つ勢いとかパワーで見せるor魅せるというか、多少の無理もねじ伏せられるだろうけど、文章ではそれはあり得ないからね。どれだけ作家に力量のある人を持ってきても、作品その物が向いてなければ無理が出るっていうもの。
仕事の依頼から〆切までの期間とか、予算の関係も絡んでるとは思うけど、小説ではキャラクターの背景があまりに浅くて感情移入には程遠い。これが映像だったら台詞の言い回しや演出で無理矢理引っ張るところもあるんだろうけどさ。
本宮さんだけど、本宮さんじゃない。
この痒いところに手が届かないようなジレンマをなんと表現したものか。
ページ数が足りないよねぇ。
キャラが浅いというか薄いもん。
なんで凛(主人公)がそれほどまでに少林拳に固執するのかとかが、祖父との思い出以外に殆ど語られていない。それほど主人公に影響を与えた祖父が、想い出話程度しかなく具体的なエピソードとして出てこないから、どんな人物なのかさっぱり見えない。主人公や主人公が師匠と慕う岩井の崇敬を集めるからにはそれなりに偉大というか懐の大きいところがあったはずなのに、それが語られてないから、小林拳と道場再興に情熱を燃やす主人公と、主人公を小林拳から距離を置かそうとする岩井の関係が妙に浮いてるのよ。
強さに固執して主人公を狙う敵の、強さに固執する理由とかもさ。
ただ勢いだけで突っ走ってて深く掘り下げられていないから、映像なら勢いで引っ張れたんだろうけど、じっくりと読める小説だとその浅さが浮き彫りになって上っ面だけの浅いストーリーに感じられる。
あと、製作者サイドとしてはそこで「クスッ」という小さな笑いを取りたいんだろうけど、他作品からのパロ(……正直パクリにしか思えない)が多すぎる。
『理力(フォース)が彼女と共に』とか、『赤い彗星』とか『人の3倍早く動ける』とか……。
鼻に付くや癇に障るというよりも、脱力して溜息しか出てこない。
もしかしてその溜息を狙ってるのか?
俳優さんが演じている姿を見ればまた違うのかもしれないけれど、文章で読んだだけでは他人のふんどしで相撲を取ってるようにしか見えない。アレ? まわしだっけ?
面白くないとは言わないけれど、「だから何?」という作品でした。
正直、小説化したのが本宮さんでなければ買ってないね。