1 「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
2 「だから私はあれ以来参拝していない。」 天皇陛下は75年(社会党批判時)から参拝していないのに、「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。「私」が誰を指すのか不明。
3 あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の4月。崩御の前年。
4 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6 白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
7 論理構成、概念、時系列が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党や社民党がいかにも使いそうな言葉。
8 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。
9 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
10 勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている
11 他に比べて紙が劣化していない。インクも鮮明な上に色が違う。
12 メモ上部に「藤尾(文相)の発言」とある。藤尾の在任期間は1986年7月22日~9月8日。日付が合わない。
13 天皇は神社(靖国だけでなく、どこの神社でも)に参拝する場合「参拝」ではなく「御親拝」という表現を使う。
2 「だから私はあれ以来参拝していない。」 天皇陛下は75年(社会党批判時)から参拝していないのに、「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。「私」が誰を指すのか不明。
3 あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の4月。崩御の前年。
4 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5 何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6 白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?
7 論理構成、概念、時系列が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党や社民党がいかにも使いそうな言葉。
8 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」合祀された78年ならまだしも、合祀から10年経った崩御の前年の88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。
9 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
10 勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている
11 他に比べて紙が劣化していない。インクも鮮明な上に色が違う。
12 メモ上部に「藤尾(文相)の発言」とある。藤尾の在任期間は1986年7月22日~9月8日。日付が合わない。
13 天皇は神社(靖国だけでなく、どこの神社でも)に参拝する場合「参拝」ではなく「御親拝」という表現を使う。
まず神社って正式には大抵「二礼ニ拍手一礼」ですよね。つまり「拝礼」することが基本なわけです。普通は鈴を鳴らしてパンパンお願い、でおしまいだけど、天皇家なら正式の拝礼をするでしょう。お寺参りでは手は合わせても拍手は打たない。お寺の場合は亡くなった家族に会いに行くって感覚。それをへりくだって「参る」になる。神サマに会いに行くってのは特別だから、「参拝」になる。もしくは「詣でる」ですね。
君達は家の中(私的な述懐)で寺や神社に行くとき「参拝に行ってきます」と言うかい、
だいたいは「お参りに行ってきます」というんじゃないかな。
天皇家ではどうなのかは知らないからはっきり言いきれないが、
一般的には「参拝」って言葉はすでに多少なと外に向けた言葉なんではないかな
目下の者が天皇の行為に対して表現する言葉であって、
陛下自らがこの言葉を使うとは思えない。
批判の根拠として弱いのでは。
2)この部分は岡崎久彦氏の推論を前提にしている。蒟蒻ゼリー氏の反論の通り。
3)別に不自然ではない。昔を回顧して述べるのに「いつが適当」ということもない。
4)天皇の靖国への御親拝は国事行為ではない。
5)参拝は取りやめたとしても慰霊をしないということではないからだろう。
6)メモはその時々に書き留めるものだから、後で清書するとかでない限り、正確である必要はない。むしろリアルである。
7)疑問というより思い込みではないか?
8)松平氏は1992年まで宮司に在職していた。だから「今の宮司」で不自然さはない。
9)合わない。メモの日付は徳川侍従長が既に退官した後である。更に徳川侍従長が合祀に反対だというのは当然ながら天皇陛下が反対の意思を示していたからだと考える方が自然。
10)当然ながらA級戦犯合祀がどうあれ、それ以外の英霊に対して慰霊の気持ちを持っていたからだろう。
11)手帳の保管状態にもよる。
12)蒟蒻ゼリー氏の反論に同感。
13)御親拝という言葉を天皇自身が使うとは思えない。天皇の側近とかマスコミが記事にするときなどに使うならわかる。私的な述懐をそのまま述べられた通り書き記したものなら参拝という表現でも不自然ではない。むしろ御親拝ではなく参拝と書かれていることで、天皇自身の言葉だと思われる。もし徳川侍従長の言葉ならまさしく「御親拝」と言うだろう。
◆http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1153461672/86
◆http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1153461672/97
そもそも、藤尾氏の在任期間とメモが書かれた日付けとの齟齬を問題にするのであれば、つまり、実際は86年に書かれたメモだったにもかかわらず88年4月だと偽造しているというのであれば、奥野発言に言及している時点でその解釈は無理があると思われる。奥野発言は、これも具体的にどの発言かは断定できないが、88年の発言であると考えるのが妥当なので。
88年に書かれたメモにおいて、88年と86年の二つの発言について言及している、という解釈が妥当では。
12 藤尾氏の在任期間や発言の日付は問題ではないと思われる。なぜなら、これはこのメモが書かれた88年4月の奥野氏の問題発言について、藤尾発言と比較した上での感想を述べている文章だと思われるからである。