週刊新潮(8月10日号)

(1)2chのコピペを一部改変


1.徳川義眞(よしさね)氏(徳川侍従長のご長男)…「父の発言ににている」「…父は軍人が嫌いでした…」

2.東條由布子氏(東條閣下のお孫さん)…「陛下が富田メモのような事を言われる御方とはとても思えない…」

3.所功氏(京都産大・日本法制史)…陛下はA級戦犯というくくりかたをされるはずがない。他の確かな資料を見ても、昭和天皇は戦勝国の一方的な判決を容認しておられない。

4.神社本庁関係者…一般的には、陛下が神社に行かれることを“行幸”と言い、‥‥靖国神社は‥‥あくまで“行啓”。また、陛下ご自身が謙譲語である“参拝”という言葉を遣うのはおかしいし、陛下の“行く”というお言葉を富田氏が“行啓”でなく、“参拝”と表現するのもおかしい。

5.中西輝政氏(京大)…昭和天皇は軍人のことを股肱の臣といって、ことのほか親しく感じておられました。

6.元宮内庁職員…松平宮司の父親は宮内府の長でしたから、侍従職にあった徳川さんは、父親の存在をよく知っていた。親の心子知らずという表現は理解できる。“筑波がよくやった”という言い方も、筑波宮司は旧皇族なので徳川さんはよく知っていたと思う。

7.当時の宮内庁記者…8ヶ月後に崩御される陛下にとって、4月29日は、最後の誕生日。25日に陛下は記者会見をされ、予定されていた時間のほぼ半分の15分くらいで会見を切り上げた。前年に手術をされ、この時もすでに体調が相当悪かった。天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社は、陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングしてもらう。

8.八木秀次(高崎経済大)…親の心子知らず、などと非常に強い言い方は天皇にはそぐわず、むしろ松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくない。

9.日経新聞社長室…「富田メモは今年5月に入手したものです。日記が10冊と手帳が二十数冊です。すべてに目を通して点検し歴史家などの意見も聞いて、検証を加えた上で報道しました。報道した発言が昭和天皇以外のものであることはあり得ません。」が、その具体的な検証方法を明らかにする様求めると「詳細については申し上げられません。取材の舞台裏をこと細かに説明すると言う事はしておりません。今後我々が必要と判断すれば、紙面で明らかにしていきます。」と、これを拒否。国民すべてが共有するべき歴史的な資料に対して、この理不尽な態度は信じがたい。

10.御厨貴氏(東大)…「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません。徳川さんの発言ではないかと言う人が居ることも承知していますが、それも憶測の上に憶測を重ねるだけです。本来、全部出して検証するのが歴史学ですが、それを日経はやる気がありませんね。少なくとも私はこの(天皇のものという)メモを本物と思っています。」

11.富田広士氏(富田氏のご長男)…報道を見る限り、父の日記や手帳には,歴史的な価値があると言われている。全部を公開するのは難しいにしても、信頼できるお立場の方に精査していただき、どこの部分を公開し、どこが駄目なのか決めていただいて、その上で公開すればいいのでは。

12.徳川侍従長の動向…4/13侍従職退官、4/26(火)侍従職参与に就任し、火、木出勤となる。28(木)は参与として初出勤。(宮内庁記者)

13.富田氏の動向…4/28(木)は富田氏が、記者たちのために陛下にお会いして改めて伺ったメモ、とされている。ただし、陛下のお具合が悪いので、侍従長から富田氏がお話を聞く、ということはありうる(宮内庁記者)。


(2)2chでのレス


648 名前:625[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 03:51:46 ID:tmp2G74w0
週間新潮を読んで、大きな発見があった。それは、昭和天皇と徳川侍従長との意見の違い。陛下は股肱の臣として軍人をとても大切にしておられた。しかし、徳川侍従長は軍人が嫌いだった。終戦のときに、例の玉音放送のレコードを軍人が奪いに来て、それを渡さなかったために侍従長は殴られたらしい。あとで、殴った近衛兵がわびに茶釜をもってきたが、それを使うことはなく、今もその茶釜は使わずにあるそうだ。

これは陛下の発言ではないだろう。

一人の人間として、いかに国家間の戦争とはいえ、多くの人命を失ったご心痛は察するに余りある。さぞかし、靖国には親拝なさりたかったであろう。他国への配慮も大切ではあろうけれども、我々の象徴であった人の心もちも、やはり大切にしたいものだ。
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