20日の朝日新聞(1)(初報、政界への波及)

昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200188.html

2006年07月20日11時12分

 昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
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昭和天皇(88年)
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天皇陛下の病状について発表する富田朝彦宮内庁長官(当時、左)=1987年9月21日、宮内庁で
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昭和天皇の発言を記したメモ

 メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。

 これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。

 メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。

 昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。

 昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。

 靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。

    ◇

 《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。

 個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。

    ◇

 靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。

 大きな国際問題になったのは、戦後40年の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。

 昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。

 首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。

 自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。

 ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。

    ◇

《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》

【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)

東条英機(陸軍大将、首相)

板垣征四郎(陸軍大将)

土肥原賢二(陸軍大将)

松井石根(陸軍大将)

木村兵太郎(陸軍大将)

武藤章(陸軍中将)

広田弘毅(首相、外相)

【終身刑、獄死】

平沼騏一郎(首相)

小磯国昭(陸軍大将、首相)

白鳥敏夫(駐イタリア大使)

梅津美治郎(陸軍大将)

【禁固20年、獄死】

東郷茂徳(外相)

【判決前に病死】

松岡洋右(外相)

永野修身(海軍大将)



「天皇の心」政界に波紋 靖国参拝、分祀論議加熱か
2006年07月21日00時09分
http://www.asahi.com/politics/update/0720/013.html

昭和天皇の気持ちは、政界の議論にどう影響するのか――。靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を示したメモが明らかになったことで、小泉首相が靖国参拝を公約した8月15日、さらに9月の自民党総裁選を控えるなか、政界に波紋が広がった。天皇の真意をどう受け止めるのか、戸惑いも隠せない。小泉首相の参拝の是非やA級戦犯の分祀などをめぐる議論は、さらに熱を帯びそうだ。

 ■総裁選の争点化か

 「天皇陛下は心の中でこう思われていたのか、と靖国神社をもう一度考え直そうという影響を及ぼすんじゃないか」

 自民党の加藤紘一元幹事長は国会内で記者団にこう語った。天皇発言のメモがきっかけになり、総裁選に向けて靖国問題をめぐる議論が改めて呼び起こされるとの見通しを示した。ある閣僚経験者も「昭和天皇がこうおっしゃっていたと口に出して言う人はいないと思うが、心情的には影響を与える」との見方だ。

 山崎拓前副総裁も記者団に「靖国参拝は外交上の問題として扱ってはならないとの議論が一部政治家によって強調されてきたが、内政上の問題であることが明確になった」と述べた。争点化を望んでいない安倍官房長官らを念頭に、むしろ議論を活発化させるべきだとの考えだ。

 安倍氏が独走しつつあるなか、「反小泉・非安倍」の結集を目指す加藤氏らの勢力は、メモを機に巻き返しを図りたいとの思いが強いようだ。

 これに対し、ポスト小泉候補の口ぶりはそろって慎重だ。

 安倍氏は20日の午前と午後の記者会見で「政府としてコメントすべき立場ではない」などと繰り返すのみ。谷垣財務相も記者団に「天皇陛下がどういうふうにおっしゃったというのを政局と絡めて言うつもりはない」。このところ「靖国神社の非宗教法人化」を唱えている麻生外相も、この日はコメントを避けた。

 総裁候補にすれば、世論調査で賛否がほぼ二分する靖国問題に深入りするのは得策ではないとの判断もある。このため、「天皇の政治利用」との批判を避ける名目で、メモをきっかけに逆に靖国問題の争点化を回避しようとする動きが出てくる可能性がある。

 当面は小泉首相の「8・15参拝」が焦点になる。参拝に踏み切れば、今まで以上に国内の反発も強まることも想定される。

 20日の谷垣派の在京議員総会では「こういう状況で首相はどう判断するのだろうか」との声も出た。安倍氏の周辺からは「これで首相は参拝しない大義名分を得た」との見方も出ている。

 ■分祀論、じわり動き?

 政界には、A級戦犯の合祀に不快感を示した昭和天皇の発言メモが見つかったことで、分祀論議に弾みがつくとの見方が多い。「各方面からA級戦犯分祀論が加速するだろう」。公明党の神崎代表は記者団にこんな見通しを示した。

 分祀論を支持してきた与謝野経済財政担当相も「(天皇が参拝をやめた)本当の理由は分からなかったが、一定の背景説明が可能になった」とメモの意義を評した。

 20日夜には山崎、加藤両氏や津島雄二元厚相、丹羽雄哉元厚相、高村正彦元外相らが集った席で分祀論について持論を言い合ったという。

 別の打開策も浮上している。無名戦没者の遺骨を納める靖国神社近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑では20日、隣接する国家公務員宿舎の敷地を使って墓苑を拡充する構想を進める自民党プロジェクトチームのメンバーが、周辺を視察。武見敬三座長は「年内に拡充案のとりまとめをしたい」と意欲を示した。総裁選での靖国問題の過熱化を避けようと、中川秀直政調会長が温めている案だ。

 だが、一気に解決に向かうほど簡単ではない。

 A級戦犯の分祀は、かつて中曽根元首相が靖国神社に働きかけ、99年には当時の野中広務官房長官が同神社を特殊法人化して分祀する道を探ったが、いずれも実現しなかった。

 国立の戦没者追悼施設建設によって解決を図る案もあるが、首相の靖国参拝を支持する若手議員の会は20日、これに反対する意見書を取りまとめた。今津寛会長は天皇の発言メモについて「事実だとすれば重たいと受け止めざるを得ないが、首相に公式参拝をしてもらうことについてはいささかも変わらない」と強調した。

 もともと、ここへきて分祀論を主張し始めたのは日本遺族会会長である自民党の古賀誠元幹事長だ。6月には「けじめをつける」と靖国神社の崇敬者総代を辞任。国立追悼施設などの案により靖国神社の存在が形骸(けいがい)化しかねないとの危機感とともに、政争の具にしたくないとの思いがある。

 だが、関係者の意見集約は容易でなく、古賀氏自身も「実現は非常に難しい」と考えている。中国から20日帰国した古賀氏に記者団がメモの感想を求めたが、事務所の回答は「コメントすることは何もありません」だった。
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A級戦犯論議への異論 (岸本新兵衛)
2006-08-11 09:55:12
深井英伍著・岩波書店刊「枢密院重要記事覚書」1941年9月26日の審議記録をご覧頂きたい。東条は陸軍は対米戦に無関係と云い、及川海相は北樺太の石油をアテに戦争する、という無責任ぶりだ。

太平洋戦前、日本は米国から輸入する屑鉄、カリフォルニア産石油に製鉄、石油の大部分を依存して日中事変を続け、米英の対中貿易に多大な障碍をもたらした。彼等はこんなことも念頭になく、対米戦争の事後収拾策の用意も欠いた。

最近の議論はこれに似た浅慮・無責任な史実無視の主観論が多く、戦前の日本を思い出す。

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