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正岡子規の門人、寒川鼠骨という人

2015年04月08日 | よしなしごと
正岡子規の門人に寒川鼠骨という人がいます。子規と同郷松山の出身で、8つほど歳下。毎日のように子規の家を訪れ、子規が「彼の看護が一番」と感謝するほど献身的に看護し、最期を看取った人です。子規の死後彼は子規が主宰した句会などを引き継ぐと同時に、隣に住み、子規の母親が86歳で、妹が71歳で世を去るまでずっと支え続けました。まるで若くして世を去った子規がやり残した多くのことを引き継ぐがように。

自らも俳人でありながら、どちらかというと後進の指導や俳句の選の方が得意だったようで、多くの俳句入門書や子規や芭蕉、蕪村の解説書や作品集を編集したりしております。

子規庵の庭に、こじんまりした住居に似合わない立派な倉があります。子規文庫と呼ぶそうです。関東大震災で住居の一部が壊れ補修しますが、同時に鼠骨の提案でコンクリート造りの倉を建て、遺稿や蔵書はそこに保管することにしたそうです。その費用も鼠骨が子規の作品集を出版するなどして捻出しております。この倉は東京大空襲でも無傷で残り、多くの子規の遺稿、遺品を後世に引き継ぐことが出来ました。鼠骨の先見の明があったからこそです。



東京大空襲で焼け落ちた子規庵の再建に乗り出したのも寒川鼠骨でした。再建なった子規庵に彼は庵主として居住し、将来虚弱で何度も大病をわずたった割には長生きし、1954年78歳で、子規が亡くなった同じ6畳間で、おそらく糸瓜を眺めながらこの世を去りました。



思えば34歳の若さで世を去った子規の業績をまとめ後世に伝える、そのためだけの鼠骨の人生だったかもしれません。でも、すごくいい生き方をしたなあ、と思えてなりません。復刻とはいえ子規と同じ病床で、子規と同じ景色を眺め、彼は至福のうちに世を去ったことでしょう。