光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

アジア・太平洋戦争から1960年代までの絵画 所蔵作品展「MOMATコレクション」から

2020年10月30日 | アート 絵画

東京国立近代美術館(9月17日鑑賞)の記事、ラストです。

美術館3階の6~8室は、アジア・太平洋戦争時から1960年代までの絵画展示でした。

戦争画の展示は、過去のコレクション展でも数多く紹介してきました。

代表的なものをピックアップすると 

国立近代美術館(2013.11.16)「何かが起こっている:1907-1945の軌跡」 #5

国立近代美術館(2013.11.16)「何かが起こっている:1907-1945の軌跡」 #6

東京国立近代美術館(2012.11.23) 洋画、戦争画

となります。 当時の実力ある画家は、ほとんど協力しています。 そのことを、後世の

私が批判がましく言うことはできません。  きわめてクールにその時代、そんな状況

の絵画として鑑賞します。

 

まず公式キャプションから(以下の各室も同じ)

6室  1943年|第2回大東亜戦争美術展   

 アジア・太平洋戦争下、軍の委嘱で制作された公式の戦争絵画を「作戦記録画」と呼びます。  
 軍が主題を選び、戦地に派遣された画家が制作、作品は完成後に軍に収められ、戦争関連の展  
 覧会に出品されて国内各地を巡回しました。今回はそのような展覧会のうち、1943(昭和18)    
 年12月から翌年1月まで、東京都美術館で開かれた第2回大東亜戦争美術展を紹介します。出品  
 370点と戦時中の戦争美術展で最大規模のこの展覧会は、半年かけて大阪、京都、福岡、佐世保   
 、名古屋を巡回しました。 1943年は、ガダルカナル島からの撤退やアッツ島での守備隊全滅     
 学徒兵出陣など戦局が悪化し、国民の生活も厳しさを増しつつあった時期です。にもかかわらず  
 主催者発表によれば、東京での動員は1ヵ月の会期で15万人を超えたといいます。         
 この部屋に並ぶのは、すべて第2回大東亜戦争美術展の出品作です。当時の人々はこれらの絵       
 が並ぶ展示空間で何を考え、鑑賞したのか、そして現在の私たちは、これらの絵から何を受け取  
 るのでしょうか。                                     

 

展示室光景

 

 

キャプションを読むと、宮本三郎、藤田嗣治、小磯良平の3氏が、軍部の評価が特に高かったようです。

 

 

日本画の作戦記録画は、橋本関雪もキャプションで述べるとおり、写実性で洋画に敵わない。

しかし、上海黄浦江に、炎上する艦船を配して静謐のなかに動を配したこの作品、都市の山水画?の雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

 

藤田嗣治の戦争画作品には、強烈な肉弾戦や修羅場を描いたものが多い。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」に通じる戦闘画面の描き方です。

藤田嗣治は、乳白色の美人画を描くのとは正反対ですが、戦争画に対する熱い表現意欲

があったのではないでしょうか。 西洋の戦争画も下敷きにあって、このうな強い、

独自の表現ができたのだと思います。 

 

 

展覧会場に設けられた特別室に陳列されたという、藤田嗣治の絵《天皇陛下伊勢の神宮に御親拝》の図録。

特別室に陳列された他の2点の作品とともに、所在は不明とのこと。 う~ん このミステリー、気になる。

 

次は7室。

 7室 不安な身体 

  太平洋戦争の余波がまだ色濃い時代、激動の社会情勢に静かに抵抗するかのように、内省的で 
 暗く沈んだ人々を描いた作品が様々な芸術家の手で生まれました。              
  香月泰男は、戦後にシベリア抑留を経験しました。復員後は、それまでの作風を一変させ、社 
 会に翻弄されて傷ついた人々の姿を多く描くようになります。それらは、過酷な状況の中で打ち 
 ひしがれた画家の自画像であるかもしれません。また、小山田二郎と中野淳は、ともに食卓とい 
 う主題を扱っていながら、食べる楽しみや団欒とはかけ離れた重苦しい光景を、筆跡も生々しく 
 キャンバスに塗りこめています。表情をくもらせ、あるいは断片となって生気を失った身体は、 
 生命が代替可能なものであることが露わとなった現実を前に、実在感が希薄になった社会の空気 
 を映し出しているようです。

 

浜田知明の作品は、ケーテ・コルヴィッツの作品を思わせる重く暗いテーマなのですが

パロディー風な描写で、惨めさを抑えています・・・でも暗くて、ウッとなる。

こういう作品は気色悪くていやだ!と思う方もいると思います。 どうぞ飛ばしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小山田二郎・・・以前、作品「鳥女」(油彩と水彩バージョン)を見ました。 技巧は素晴らしい、けど

女性を鳥に擬態化したとげとげしい姿に、うゎーっとなりました。

この作品も、ナイフのひっかき傷がとげとげしく、またもや、うゎーです。

小山田二郎は幼児の時に、皮膚疾患にかかり、下唇の異常な肥大や、顔面のあざがあり、コンプレックス

持っていたようです。  食卓での自画像と思えるこの作品、時代を象徴しているかもしれませんが

体は引いてしまいます。 

 

 

 

以前、この絵を初めて見たとき、私は下から伸びる手は、棺桶の中から出てきた死人の手と思いました。 うゎーっ!

キャプションを読んで、落ち着きましたが、私は今でも死人の手のように見えて仕方ありません。

 

 

 

古沢岩美は、名前は知っていましたが、実物の絵を見るのは初めてでした。

この作品は人目をひきます。 古沢は徴兵され、中国の戦線で従軍した。

この作品には、その中国で見聞きしたもの・・・婦女子の凌辱、捕虜の斬殺

などが描かれ、左の壁面には、当時、日本軍が起こした大作戦での戦死した

兵士(戦闘によるものや病死、餓死を含め10万人といわれる)の断末魔の顔

が描かれている。 その辺を、批評家に”醜悪極まる”といわれたのでしょう。

しかし、ゴヤも戦争の惨禍を版画で表現したものは、凄惨なものが多い。

古沢岩見にとって現実であった、戦争曼荼羅、醜悪という言葉で片付けるのは

傲慢だと思う。

ただ、ちょっと?なのは右下の妖艶な女性。 洋画には民衆を導く女神が良く

描かれているが、この絵はそういう雰囲気ではない。 中国の戦線での従軍慰

安婦の犠牲者は、ほとんど無かったといわれることから、そうした逞しい女性

を表現したのかもしれない。

 

 

8室 円と前衛

1960年代と、その前後の日本の美術を見渡すと、例えば、アメリカの抽象表現主義と共鳴するような
前衛美術運動の盛り上がりが見て取れます。

 そして抽象表現の中でも、モチーフに目を向けてみると、「円」(丸)がたびたび登場することに

気づかされます。例えば、オノサト・トシノブは、「あらゆるものの原形」としての円を自ら必要と
したと語っています。また、菅井汲と吉原治良は、どちらも人のまねをしないことをスローガンとし
て掲げていましたが、彼らがどちらも様々な模索を経て、円というシンプルな幾何学的形象に活路を
見出したことは、興味深いことです。そして、菅井と吉原が描く円はいずれも、原色などシンプルな
色彩で、筆跡をできるだけ残さないように描かれている点も共通しています。こうした制作態度には
1950年代に日本にもたらされたアンフォルメル(フランス語で「不定形の」といった意味です)への
反発、あるいは反動を見ることもできるでしょう。

 

 

瑛九の作品、2点とも綺麗でした。 戦争画や”不安な身体”の作品群を見てきた私は、やっと心静かになれたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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