第5章の「そこにある身体」
遊園地の観覧車とコースターは分かるのですが、華奢で今にも壊れそうな造作に驚きました。
材料も髪の毛!、ほこり!、布。 小さな作品です。 つくるの大変だったと思います。
でも何とも言えない、面白さを感じました。
一見して、今村紫紅の「熱国の巻(朝の巻)」を思い出しました。 作者も意識して描いているなと感じます。
この作品の左隣の作品は、たしか日本画滅亡論のようなタイトルでした。 そしてこちらが日本画復活論。
タイトルが踊ってしまって、?
作品はおどろおどろしいところがありますが、迫力は感じます。
これは通路壁の案内標識で作品ではありません。 でも何となく、いい感じなので
通路奥に資料室のようなものがあります。 行ったことはありませんが。
ゾッとしますね。 以前もコレクション展でハンス・ベルメールの人形写真の異様さには驚きました。
ベルメールの恋人のウニカをモデルに、針金で縛り上げ、変形した肉体を表出する。 この不気味さはベルメールが意図して作ったもの。 見る者の意識
の深いところに作用を及ぼしているのが自覚できます。
※画像は公序良俗で問題ありとのことで削除しています。
顔半分の強い眼差し、肩を抱く右手、これも一つ一つは慣れ親しんだ事物の像ですが、この組み合わせが、観る者の意識に強い作用を与えます。
鏡のひずみを使った画像で、肉体の変形を行うという意味では、ベルメールと同じ思考ですが、この写真では歪んでいない顔の部分も重要です。
2008年にマリオ・ジャコメッリの写真展があったのですが、見逃したのが残念です。
加工処理された写真ですが、独特のムードの強烈さを味わうべき作品
ウェストンの手にかかると、肉体の重量を感じるような表現に
以上、存分に楽しんで、美術館を出ました。
外では 満開のモクレンが今見た美術作品のようでした。
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