長屋の続きです。
上水井戸の井戸端。 洗濯ものなど、当時の生活風俗がうまく再現されています。
左は厠。 朝顔の花が生活に彩りを添えています。
さて、上水の歴史ですが、下の図のように、神田上水に始まり、玉川上水、亀有上水、青山上水、三田上水、千川上水と開発されますが、
享保7年(1722年)亀有、青山、三田、千川の4上水が廃止されます。
亀有上水の浮世絵(広重の名所江戸百景)に引舟が描かれています。 今も、地名や駅名で曳舟が残っていますが、なるほどと合点がいきました。
4上水の廃止で、打撃を受けたと思うのですが、そこを商売にする人も。
これだけの水道を整備すれば、当然、負担も必要で、いろいろな税金を徴収されていた。
うちがよく散歩する、多摩湖や狭山湖も上水用の貯水池なのでした。
で、玉川兄弟の碑があるところから山を抜けて水が入ってくるのです。
ちなみにどっちの湖も中に入れません。x±x
湖沿いに柵がしてあります。^±^
明後日のブログで、狭山湖や多摩湖のの建設
に関する展示を取り上げる予定です。
確かに、湖の周りは柵で入れませんが、水の
保全や転落防止で仕方ないのかもしれません。
コメント有難うございました。