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光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

隅田川べりを行く 蔵前橋と堤防壁画

2011年02月27日 | ぶらり探訪

蔵前橋の黄色は、グレートーンの街並みと川に映える。 黄金色の稲穂をイメージしたもので、江戸時代は94棟もの大米蔵があったところ。(写真右の東岸が該当)



ポップなアートの印象・・・・橋桁と構造





橋脚のデザインも可愛い。 この橋も昭和2年に完成している。 大震災の復興事業で昭和初期に完成しているものが多い。



客を迎えに行くのだろうか、屋形船が上っていく。



蔵前橋から、両国駅方向に少し行くと、川べりのテラスの堤防壁に絵が描かれていました。
この絵は向島の夜桜見物を描いたもの。 中央右端に浅草寺の五重塔や凌雲閣(震災でなくなった)が夕闇のなかに描かれている。  なお、手前の丸太の杭は、昔、隅田川沿いに多くの杭が打ち込まれていたことにちなむ。
「向島の夜桜」 中島石松 すみだ郷土文化資料館所蔵



「両国水神祭り夕涼みの図」  明治11年 揚州周廷筆
徳川吉宗が飢饉やコレラの流行で亡くなった霊を慰め、悪疫退散のため両国橋付近で水神祭りを催し、余興で花火を上げたのが由来。  今、両国川開きとして花火で有名になった。



「東京名所 両国川開き之光景」  黒木半之助  明治42年石版画 江戸東京博物館所蔵
橋は両国橋



まだ木造の柳橋と両国橋



葛飾北斎の絵も。 縦1.5m×8mほどの絵で、分割して撮影。 
「隅田川両岸一覧 {首尾松の釣舟・椎木の蝉}」     「隅田川両岸一覧 {新柳橋の白雨・御竹蔵の虹}」    



 「隅田川両岸一覧 {両国納涼・一の橋弁天}」  

都も親しまれる水辺の構築で、いろんなことをやっているのですね。

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隅田川の橋

2011年02月26日 | ぶらり探訪
吾妻橋から蔵前橋の地図です。

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隅田川べりを行く 厩橋と屋形船

2011年02月26日 | ぶらり探訪

この付近から屋形船の係留が多く見られます。
奥のグリーンの橋が厩橋。  江戸時代、米蔵が西岸に並んでいて、荷駄馬用の厩があった。
この橋も昭和4年に竣工。 


駒形橋を振り返る。




重たいイメージの橋です。




橋下の鉄骨の重厚さ。



屋形船の中では料理の準備中。 

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隅田川べりを行く 駒形橋と彫刻

2011年02月24日 | ぶらり探訪

吾妻橋から下流の駒形橋です。  吾妻橋が朱色、駒形橋はブルー、更に下流の厩橋(うまやばし)はグリーン、その下流の蔵前橋はイェローと橋の色遊びが楽しめます。 川岸は幅5mほどのテラス式の歩道が整備されており、ジョギングや犬の散歩などの人が多い。  (フィルタ処理しています)




橋の下から。  紅い橋は吾妻橋




橋の東詰めには、昨年9月18日に紹介した彫刻があります。
このときは携帯電話のカメラでしたので、今日は一眼で再挑戦です。 今回の目的の一つです。
「昭和62年度 東京都文化のデザイン事業
休日の午後
制作 樋口 保喜」






なぜか、惹かれる彫刻です。 顔に鳥の糞のようなものが流れ落ちた跡があり、拭取ってあげたいのですが、勝手にできないので都に一度、聞こうと思っています。



橋の下を水上バスが行き交う。
満潮のときなど、橋桁とギリギリの間隔です。




 

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隅田川べりを行く  アサヒビールのオブジェと吾妻橋

2011年02月23日 | ぶらり探訪

浅草から隅田川べりを下っていくことにしました。
吾妻橋西詰めの交差点で。 人力車とスカイツリー。  雷門あたりで人力車の車夫が客引きをしていましたが、結構な数が走っています。  人力車は軽車両扱いなので、車道走行。(写真はフィルタ処理をかけています)



吾妻橋西詰めから。  中央左のビルは墨田区役所、そしてスカイツリー、アサヒビール本部ビル、屋上に黄色のオブジェを持つスーパードライホール。(写真はフィルタ処理をかけています)



吾妻橋。  浅草寺と近いためか丹塗りイメージですが、もう少し明るい朱色です。 



白枠の中は塗装の記録で2003年8月に塗装しています。  その左下に橋の製造銘盤があり、昭和5年に造られた事がわかります。  造られて80年以上。



スーパードライホールに映ったスカイツリー。



ちなみにこのオブジェ、聖火と聖火台をイメージしたものとか。 1989年に完成しているので、22年たっており、馴染んできましたが最初に見たとき「ナニ、コレ?」と思ったものです。 それから、奥のアサヒビールタワーは黄色のビル壁と屋上の白い飾りがコップに注がれたビールをイメージしています。 これも説明されればうなづけますが、デモネー。

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浅草へ その3 仲見世界隈

2011年02月22日 | ぶらり探訪

仲見世とその周辺のスナップ。
メロンパンでしょうか?行列が出来ていました。



洋装店のようですが、和風の趣のショーウィンド。 



すき焼き料亭。 写真左に待合室があり、多くの人が待っていました。



子供にとっては楽しいところ。 左側の店はカツラや仮面など。  右は人形焼屋



人形焼の製造実演販売。  先日、近所の方から土産でいただきましたが、私にはイマイチでした。



こちらは煎餅の実演販売。 こういうのって客が寄ってきます。



扇子や小物の店。 外人観光客を意識している感じです。 観光土産屋さんの品は、私は食指が動きませんが、観光客には面白く見えるのかな。



で、通りを一つ外れると、一般の商店街ですが京風の野点傘あり。 タバコを吸う若い女性のファッションと妙に合っていました。

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浅草へ その2 浅草寺

2011年02月21日 | ぶらり探訪

浅草寺の宝蔵門。 ドデカイ提灯がシンボル。





宝蔵門をくぐると、特大草鞋とスカイツリーが。 
フィルター処理をすると、スカイツリーがまるで阿修羅のシルエット。



こちらもフィルター処理の五重塔



丹塗りの門柱や本堂。  私は、実は丹塗りの寺社は好きでない。  服装のこの色ならむしろ好きな色ですが。 
中国では高貴な色として、昔から王宮や寺院で使われていますが、私にとっては、これでもかといった具合に全体にこの色を使われると、毒々しさが感じられてダメなのです。 
  

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浅草へ 雷門と仲見世

2011年02月20日 | ぶらり探訪

2月19日(土)、江東区深川江戸資料館→浅草→吾妻橋~蔵前橋と撮影行脚。
まず浅草からアップしていきます。
浅草は、初めての訪問。   通算、20年近く東京に住んでいますが、なぜか足が向かなかった。
もぐりの東京人として、雷門、仲見世などをオノボリサン感覚で綴ってみます。



雷門、まさに観光名所。  私も雷門と写真を撮る人、撮られる人をスナップで。



これが仲見世か、としばし感嘆。 観光客相手の店オンパレード。
以前、香港に行ったとき、観光客相手のショッピング街である
女人街を思い出しました。  女人街ほどチープで狭くはないにしても、派手派手にして人を呼び込む商魂は一緒。



一応、店の構えは寺社の造りを取り入れていますが。



雷門を後ろから。 外国人の方も多い。



帯のショップ。 柄などやはり観光客目当ての感じがします。



こんなところに犬猫のショップも! 



新撰組の衣装! 祭りの浴衣や半纏なども。


横にスカイツリー。


大学の卒業式、謝恩会にでたお嬢さん達でしょう。 アジア系の女性の方が記念写真に納まっていました。 なお、和服のお嬢さん達、ボーイフレンドと一緒の参拝のようでした。

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奥多摩 古里から鳩ノ巣へ その2

2011年02月15日 | ぶらり探訪

寸庭橋のたもとを降りていくルートは、トレッキングロード。
途中、何度か小さな支流の沢を越していきます。



小さな滝。



登りが続き、やっと尾根の上に出た。



尾根の上から見た鳩ノ巣の集落

鳩ノ巣の謂れ    Wikipediaから抜粋
江戸時代明暦の大火で荒廃した江戸の復興のために奥多摩の木材が多数伐採された。木材は多摩川を通じて江戸に運ばれ、この渓谷付近には人夫が寝泊まりする飯場小屋が建てられ、また水神社が祀られた。この水神社に二羽のハトが巣をつくり、それを村人達が霊鳥として愛護したことからこの地は「鳩ノ巣」と呼ばれる様になったと言われる。

下りの急勾配の道。 アイスバーンになっていて、へっぴり腰で降りていく。



鳩ノ巣のJR駅で。(フィルター処理しています)  鳩ノ巣の渓谷は次回の楽しみにして、帰途につく。

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奥多摩 古里から鳩ノ巣へ その1

2011年02月14日 | ぶらり探訪

2月13日(日)奥多摩へ。JR古里(こり)駅で降りて、万世橋を渡り、多摩川沿いの道を遡行し寸庭橋へ。
ここからはトレッキングロードで川沿いの細道。 
鳩ノ巣の手前で山の尾根まで登り、そこから鳩ノ巣へ下るルートです。 残雪を期待したのですが思ったほどではありませんでした。
<歩行ルート図>



万世橋から多摩川の上流方向を眺める。 



多摩川に流れ込む小さな沢水が一部氷結



道路はさすがに凍結しているところが多い。 



ときおり多摩川をのぞく。 杉が綺麗に枝打ちされている。



私も小さい頃、枝打ちや、雪で倒れた杉の木起こしに行ったことがありますが、大変なんですよね。 森の荒廃が言われていますが、ここはキチンと管理されているようです。


雪は日陰に残っています。  林のなかの道は、樹の雪が氷となり、解けてカケラや水しぶきとなって落ちていました。

寸庭の集落近くで。  山の斜面にあるのはお墓です。



寸庭橋。 アーチ橋は強度もありそうだし、何より、見て美しい。

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御茶ノ水から湯島天神へ

2011年02月07日 | ぶらり探訪

2月5日(土)お茶の水駅から上野へ撮影行脚。  途中、神田明神の横にある宮本公園で古い家屋が保存されているのを見つけました。 江戸時代から続く材木商の店舗兼住宅で昭和二年に建てられたもの。
残念ながら公開日とは違うので中には入れません。



保存が良いのか、木材などに朽ちたところがなく、まだ新しい家のよう。



坂を下り、また上り坂をあがると、湯島天神社。 境内は屋台と人で一杯。 合格祈願か家族連れの参拝客が多い。



本殿との渡り廊下に結婚式の御一行。









湯島天神の東側の出入り口から北東方向を見たもの。  広重の見た不忍池の眺めはもはや無理。
右下の石坂が男坂、まっすぐ先の石坂が女坂。


男坂の下から。 38段あります。 広重の描いた鳥居が上に。 

ここから、不忍池までは遠くない。 途中、道路脇に岩崎邸の案内があったので、そちらへ寄ることに。

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上野公園  東京文化会館にて

2011年01月11日 | ぶらり探訪

JR上野駅からすぐ近くの上野公園入り口に東京文化会館があります。
その前で高校の吹奏楽部の記念撮影が行われていました。



演奏会が終わった後なのでしょう。 嬉しそうな表情です。(フィルタ処理画像)


後ろから撮ってみると、よりシンプルに感情が表現されているようでした。



東京文化会館の中から、ガラス越しに。



少しずれて撮影。 公園の人通りと、文化会館内のショップが映りこんで面白い。(トリミング+フィルタ処理)


その映りこみを拡大。 会館内のショップと人影、人影のところには外の生徒の足、偶然の産物です。


会館内も初めて入りましたが、赤を基調にしたコーディネート。  生徒が多いので、吹奏楽のコンクールでもあったのかな。
(1月12日記 東京都高等学校文化祭 音楽部門中央大会が開催されていました。)



玄関ドア上部から見える外の光景。  淡い色調で落着きを感じる。



午後の一日をトーハクの鑑賞と撮影、帰りに上野公園をスナップ撮影とカメラはフル回転。 このあと、女房に頼まれたお菓子を買いに三越デパートへ。 よく動いた一日でした。

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上野公園で  若者たちの踊り

2011年01月10日 | ぶらり探訪

午後5時前にトーハクを出て、振り返った写真。(フィルタ処理画像)
垂れ幕がすっかり板についてきた。



上野公園に入ると、懐かしい音楽と若者のツイスト?(2枚ともトリミング+フィルタ処理画像)


私の若い頃は、フォークやロック。 なので、もう一つ前の世代の流行だったのですが、今の若者には新しいのかな。

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琵琶湖 入江干拓地と筑摩江 2

2011年01月05日 | ぶらり探訪

筑摩江の歌では、石田三成の辞世の歌を紹介しておかねばなりません。



「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆく わが身なりけり」



筑摩江は三成の故郷でした。 この歌は死を前にした三成が湖岸のかがり火のはかない灯りに自分の姿を託して読んだものといわれています。



 



さて、干拓地関係の施設が入江橋近くにあります。  排水機場と水門です。(フィルタ処理画像)
この奥に干拓資料館があったのですが、土曜日だからでしょうか閉まっていました。


排水機場のすぐ近くには、水路の合流点があり、別の水門もあります。 干拓地の周囲は、承水路と呼ばれる水路で囲まれている。



上の写真の水門です。 フィルタ処理をして、絵画のような雰囲気を出してみました。



水門横の廃屋。 これも干拓に関係する建物だろうか? (フィルタ処理画像)



承水路の東方向を見たもの。山の向こうは関が原方面。



承水路の北側。 伊吹山や長浜方面です。



承水路脇から干拓地の田畑を眺めると、低地になっていることがわかる。 右手は湖岸方向。
遠くの塔は、フジテック社のエレベータ工場。



さて、筑摩神社はもう一つ有名なものがあります。
日本三大奇祭の一つ、「鍋冠祭り」です。 そのいわれを調べると、面白さと驚きで唸ります。
そこのところは、
田中 久光氏のホームページ
万葉集を携えて  万葉の旅 託馬野(つくまの)朝妻 編
 

に詳しく紹介されていますので、是非ご覧になってください。 万葉の旅なども素晴らしいですよ。

以上、米原市の一部ですが、歴史の香りを感じるミニ撮影行でした。
今回は小一時間ほどの撮影でしたが、次回の墓参の折には、もう少し時間をとって、撮影旅行をしたい。
琵琶湖周辺は魅力に溢れています。



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琵琶湖 入江干拓地と古代の筑摩江

2011年01月04日 | ぶらり探訪

琵琶湖と繋がる入江河口部は、水鳥が強風と波を避けていました。


寒々とした風景の中で、赤や黄色の花が際立ちます。

ビューという風の音が聞こえるでしょうか?





 カメラを構えると水鳥達は一斉に飛び立っていきました。  猟師と勘違いされたかな?



 中央の湖岸に建つ建物はリゾートホテル。 その左手の松林辺りに筑摩神社があります。



筑摩神社の裏手一帯に琵琶湖第二の内湖筑摩江があった。
現在は米原町入江いりえとよばれている。 干拓によって造成された農地は約三〇〇ヘクタールにもおよぶ広大なもの。

筑摩江の名は平安時代から都人に知られて歌に詠まれ、のちには歌枕となった。







藤原道信の歌 (972-994)
二十三歳で夭折した歌の名手。 百人一首にも歌を採られている。



女の下につかわしける



あふみにかありといふなる三稜草(みくり)くる人くるしめの筑摩江(つくまえ)の沼(後拾遺644



【通釈】近江にあるかという、三稜草を手繰る筑摩江の沼-----なかなか根が見えず人を苦しめるというその水草のように、逢ってくれずに私を苦しめるあなたですよ。



筑摩江の歌はこのように、水草の根を喩えにしたものが多いようだ。
この筑摩神社の場所は、昔、朝廷への貢物の魚類などを調達する筑摩御厨(つくまのみくりや)があったところ。
入江橋の北に朝妻の地名がありますが、ここも昔、琵琶湖の舟運の拠点だった「朝妻湊」があった。
 

黄色で塗ったところが入江干拓地で内湖だったところ。  筑摩江は、平安時代の琵琶湖の水位もあり、この大きさだったかは定かではない。
(つづく)

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