【うん…】
ブログを書いてからいろいろ考えてみました。
考えると答えが出るのが恐ろしくてあまり考えなかった部分です。
そう、それは……
「将棋をここまでやっている理由」
覚えて間もない頃、楽しくて仕方が無かった、何よりも楽しかった。
初段から二段に成るかならないかの中ごろ、強くなるためにはなんでもした。
NHK杯や早指し選手権、新鋭戦。何度も見た、棋士の手つきから癖まで一生懸命見た、真似した。本もひたすら読んだ、中学2年の夏ごろから夢中になりすぎて立ち読みで三時間過ごして読んだこともあった。
大山先生の勝負の心を何べんも何べんも読んだ。できることは実行した、でも長続きはしなかった。
ある日、道場にめったにこないおじいちゃんと指した。
負けた、完膚なきまでに負けた。それも飛車落ちで……そしてじーさんの口から聞こえてきた言葉にわが耳を疑った。
「ボウズ、負けたら100円だしな、強い人と指すときはお金がいるんだよ、勝ったらボウズに100円やっからよ」
その日からじーちゃんがいた日は一日に最高で5局指した。最初のうちはまったく勝てなかったが、将棋大観でひたすら勉強したがまったく乗っていない矢倉定跡や、お神酒でやられた。でも次第に五分、やがて勝ち越しついに平手まで歳月を費やして成っていた。
しかし平手ではめったに入らないどころか、一回も勝てない。
負ければ次の日の席料が無い。よって二日に1回とかになってしまう。
時計も電子ではなくアナログの時計。切れ負けでも何回も悔しい思いをした。
「勝たなきゃいみねーぞ」「勝たなきゃ金はてにはいらねーぞ」「能書きは勝ってからいえ」「弱いのは黙ってろ!喋っていいのは五段からだ!」
そんなことを言われ続け、次第に勝つことが全てになっていった。
高校2年道場で三段の頃、切れ負けのせいなのか道場でも五指に入る早指しに成っていた。道場の早指し賞金トーナメントで相手の駒から指が離れた瞬間指すから相手が時計を押す暇が無い。
中盤俺が有利になって指したその瞬間、信じられないことが起きた。相手の口から次の言葉がでた。
「もうガマンできねー!さっきから見逃してやってたが、ガキ!お前の負けだ!!」
「え?なんでですか?禁手はなにもしてませんよ?」
「バカタレ!二手指しだよ!!俺が時計押してねーのに指したろ!!」
「えぇ?だって指はなれたじゃないか!」
「俺が時計を押さなきゃ着手にならねーんだ!」
「そうなんですか??」
「俺が時計を押さなきゃ時間切れ負けになるんだ!だから時計を押すまでは俺の番なの!駒はがしてもいいの!」
信じられないことに周りの大人の5割がそう思っていた。
数年後大会で痛い目を見るわけだが、その時まで本気でそう信じていた。
当時入門書を確認したが、時計については指したら押すくらいしか書いていなかった……本当に悔しくて、涙が出たが、ルールなら仕方ないと思っていた。
それから区大会や将棋のイベントにはお金をつぎ込んだ、女と過ごす約束もドタキャンした、そんな将棋漬けの日々を送っていてしばらくしたら、真剣のじーさんが死んだって聞いた。
それからは指すことよりも情報、薀蓄になった。
しばらくして高校を辞めて画家になってひたすら画を描いた。
画の師匠と喧嘩別れして、ふと将棋道場にいってみた、指してみた、すごく楽しかった……そこから本格的に勉強し始めた、就職もしない理由を将棋のライターになるために勉強してるんだと両親に言い続けた。
実際には只、現実逃避で働きたくなかったから夢中で将棋にのめりこんだ。
棋友館に顔を出し始めてその頻度が増すようになり、本当の楽しさを知った。
道場で初めて四段で指せた。嬉しかったマジで嬉しかった。
有頂天になった四段が一つの目標だったからだ。
そっから少しの将棋と沢山の遊びになった、私生活がいい加減の極みだった。
画家としては急転直下、収入がゼロにちかい状態だった。
しばらくして、BSEの影響で店が倒産。
働かざる終えなくなった、かといって学歴が無いので大体どこもだめ。
整体師のバイトもしたが、長続きせず、腐っていたら友達がバーテンの仕事を紹介してくれた、安月給でひたすら働いた。
この間、何度も幾度も棋友に助けられた。腐っても励ましてくれて、しかってくれた。本当に感謝。
バーでいろんな人たちに逢った。数多勉強になった。
両親がなんとか生活できるようになったのを見て安心してバーをやめた。
今のバイト先から臨時でバイトしないかって言われて喜んで引き受けた。
応援ページを辞めなきゃいけないことを告げた……電話の向こうからは思いがけない励ましの言葉が聞こえた。
初めて親友の前で電話越しではあるが、泣いてしまった。
こんな屑を「友」と言ってくれたことに感極まってしまった。
やらねば、なにがなんでもやらねば、そういう意気込みでバイトを一生懸命不器用だけど一生懸命やった。
でも結果は中々でなかった。それでも厳しいことを皆言ってくれた。
内心嬉しかった、ありがとうっ心の中で言っていた。
毎日来る日も来る日も将棋の勉強をした。強くなるために。
ワンステップ上の人たちと付き合うようになって自分の弱さを痛感。
勉強の日々、負ければ普段は表に出ないけど歯を食いしばって悔しがった。
それでもあきらめず、日々精進した。
ゆかっち、りのちゃん、ごっとん、みずさわ、むらかみ、もえ、いいとよ。
彼女、彼等に教えるように、やがてスパーリングをするようになってなんとうなく今までの自分を悔やんだ、棋友館に来てはっきり今までが間違いだったことを痛感した、心の姿勢を正して本当に将棋に対して真摯に向き合ってみた。
やっぱり楽しいことが解った。好きなことが解った。
T師範達と接して美学があることを知った。
ますます将棋が楽しくなった。
そんなとき、駒落ちを指した。
なんとうなく第一感で考えずにさした、もちろん負けた。
悔しくてモウ一局とお願いした。
中盤不利になってから考えた、いつも棋友館の子には不利になる前に考えろ、不利になってから考えるんじゃ駄目だと言っているのがこのざまです。
情けない、嘆かわしい。
なんとかならないかと考えていると
「考えたってだめだよ、これはもうだめだよ、投了しな」
「次以降、次!わかんないの?もう駄目なんだって、弱いね~」
と言われても最後まであきらめたらいけない、となぜかそのときは思った。
投了もしてないのに相手方が駒を並べ始めた。
一気に頭に血が上った、一瞬本当に半殺しにしてやろうかとおもったけど、一寸手前で思いとどまり投了してモウ一局指してもらった、悔しくて何局もさしてもらったがやはり勝てない。
20秒あるのにジシツ使っている時間は2秒。
第一感だけでさしてかなう相手ないのに、頭に血が上っている成果何度も何度もさした。悔しくて泣きたかった。
その直後↓のブログを書いたわけですが、それから朝起きてバイトに行って帰ってきて11時頃から道着を着て袴をつけて外に出た、公園で左手、右手と持ち替えて延々合気道で言う正面打ち、の素振りを木刀をもってひたすら振った、力まないで振っているから疲れはしないのだが、あまりの寒さで手も足の指も全てが凍ったかのように固くなってきた、しかし振り続けた。
若干くらっときたので素振りを辞めて公園の時計を見ると二時。。。。
自分を空ににて考えてみた、ぼーっとしていて気がついたら盤に向かって駒を並べていた。並べながら思った。
将棋をやることで俺のメリットってなんだ?今まで夢中でやってきたけど、金になるのか?プロじゃないんだから趣味じゃないか!趣味に没頭しても金にならんぞ!将来が無いじゃないか!!いい加減もう逃げないでまともに働いたらどうなん?やめちまえ、ケジメだろ、自分の体だって長くないかもしれないじゃないか、そろそろもういいだろ。
こんな自問自答をくりかえしました。
しかし、結局好きだから……じゃあ何で好きなの?わけは??
好きなのに理由はいらない。だって好きなんだから。
そうだね、きっとそうだよ、そうにちがいない。
考えてみればすごく恵まれているじゃないか、出来なくなるまで一生懸命強くなる努力をしよう。
↓の日記をみてメールを沢山いただきました、先生方、棋友のみなさん、心配かけました、しかしもう心配は無用です。
二度とこういうことの無い様に、なる暇があったら一層の努力をするよう心かけます、すんませんでした。
将棋、合気道、○○○は自分の人生を通して一生続けます。。。
わが、将棋馬鹿人生は永久に不滅であります。ご心配をおかけしまして申し訳ございませんでした!!
ブログを書いてからいろいろ考えてみました。
考えると答えが出るのが恐ろしくてあまり考えなかった部分です。
そう、それは……
「将棋をここまでやっている理由」
覚えて間もない頃、楽しくて仕方が無かった、何よりも楽しかった。
初段から二段に成るかならないかの中ごろ、強くなるためにはなんでもした。
NHK杯や早指し選手権、新鋭戦。何度も見た、棋士の手つきから癖まで一生懸命見た、真似した。本もひたすら読んだ、中学2年の夏ごろから夢中になりすぎて立ち読みで三時間過ごして読んだこともあった。
大山先生の勝負の心を何べんも何べんも読んだ。できることは実行した、でも長続きはしなかった。
ある日、道場にめったにこないおじいちゃんと指した。
負けた、完膚なきまでに負けた。それも飛車落ちで……そしてじーさんの口から聞こえてきた言葉にわが耳を疑った。
「ボウズ、負けたら100円だしな、強い人と指すときはお金がいるんだよ、勝ったらボウズに100円やっからよ」
その日からじーちゃんがいた日は一日に最高で5局指した。最初のうちはまったく勝てなかったが、将棋大観でひたすら勉強したがまったく乗っていない矢倉定跡や、お神酒でやられた。でも次第に五分、やがて勝ち越しついに平手まで歳月を費やして成っていた。
しかし平手ではめったに入らないどころか、一回も勝てない。
負ければ次の日の席料が無い。よって二日に1回とかになってしまう。
時計も電子ではなくアナログの時計。切れ負けでも何回も悔しい思いをした。
「勝たなきゃいみねーぞ」「勝たなきゃ金はてにはいらねーぞ」「能書きは勝ってからいえ」「弱いのは黙ってろ!喋っていいのは五段からだ!」
そんなことを言われ続け、次第に勝つことが全てになっていった。
高校2年道場で三段の頃、切れ負けのせいなのか道場でも五指に入る早指しに成っていた。道場の早指し賞金トーナメントで相手の駒から指が離れた瞬間指すから相手が時計を押す暇が無い。
中盤俺が有利になって指したその瞬間、信じられないことが起きた。相手の口から次の言葉がでた。
「もうガマンできねー!さっきから見逃してやってたが、ガキ!お前の負けだ!!」
「え?なんでですか?禁手はなにもしてませんよ?」
「バカタレ!二手指しだよ!!俺が時計押してねーのに指したろ!!」
「えぇ?だって指はなれたじゃないか!」
「俺が時計を押さなきゃ着手にならねーんだ!」
「そうなんですか??」
「俺が時計を押さなきゃ時間切れ負けになるんだ!だから時計を押すまでは俺の番なの!駒はがしてもいいの!」
信じられないことに周りの大人の5割がそう思っていた。
数年後大会で痛い目を見るわけだが、その時まで本気でそう信じていた。
当時入門書を確認したが、時計については指したら押すくらいしか書いていなかった……本当に悔しくて、涙が出たが、ルールなら仕方ないと思っていた。
それから区大会や将棋のイベントにはお金をつぎ込んだ、女と過ごす約束もドタキャンした、そんな将棋漬けの日々を送っていてしばらくしたら、真剣のじーさんが死んだって聞いた。
それからは指すことよりも情報、薀蓄になった。
しばらくして高校を辞めて画家になってひたすら画を描いた。
画の師匠と喧嘩別れして、ふと将棋道場にいってみた、指してみた、すごく楽しかった……そこから本格的に勉強し始めた、就職もしない理由を将棋のライターになるために勉強してるんだと両親に言い続けた。
実際には只、現実逃避で働きたくなかったから夢中で将棋にのめりこんだ。
棋友館に顔を出し始めてその頻度が増すようになり、本当の楽しさを知った。
道場で初めて四段で指せた。嬉しかったマジで嬉しかった。
有頂天になった四段が一つの目標だったからだ。
そっから少しの将棋と沢山の遊びになった、私生活がいい加減の極みだった。
画家としては急転直下、収入がゼロにちかい状態だった。
しばらくして、BSEの影響で店が倒産。
働かざる終えなくなった、かといって学歴が無いので大体どこもだめ。
整体師のバイトもしたが、長続きせず、腐っていたら友達がバーテンの仕事を紹介してくれた、安月給でひたすら働いた。
この間、何度も幾度も棋友に助けられた。腐っても励ましてくれて、しかってくれた。本当に感謝。
バーでいろんな人たちに逢った。数多勉強になった。
両親がなんとか生活できるようになったのを見て安心してバーをやめた。
今のバイト先から臨時でバイトしないかって言われて喜んで引き受けた。
応援ページを辞めなきゃいけないことを告げた……電話の向こうからは思いがけない励ましの言葉が聞こえた。
初めて親友の前で電話越しではあるが、泣いてしまった。
こんな屑を「友」と言ってくれたことに感極まってしまった。
やらねば、なにがなんでもやらねば、そういう意気込みでバイトを一生懸命不器用だけど一生懸命やった。
でも結果は中々でなかった。それでも厳しいことを皆言ってくれた。
内心嬉しかった、ありがとうっ心の中で言っていた。
毎日来る日も来る日も将棋の勉強をした。強くなるために。
ワンステップ上の人たちと付き合うようになって自分の弱さを痛感。
勉強の日々、負ければ普段は表に出ないけど歯を食いしばって悔しがった。
それでもあきらめず、日々精進した。
ゆかっち、りのちゃん、ごっとん、みずさわ、むらかみ、もえ、いいとよ。
彼女、彼等に教えるように、やがてスパーリングをするようになってなんとうなく今までの自分を悔やんだ、棋友館に来てはっきり今までが間違いだったことを痛感した、心の姿勢を正して本当に将棋に対して真摯に向き合ってみた。
やっぱり楽しいことが解った。好きなことが解った。
T師範達と接して美学があることを知った。
ますます将棋が楽しくなった。
そんなとき、駒落ちを指した。
なんとうなく第一感で考えずにさした、もちろん負けた。
悔しくてモウ一局とお願いした。
中盤不利になってから考えた、いつも棋友館の子には不利になる前に考えろ、不利になってから考えるんじゃ駄目だと言っているのがこのざまです。
情けない、嘆かわしい。
なんとかならないかと考えていると
「考えたってだめだよ、これはもうだめだよ、投了しな」
「次以降、次!わかんないの?もう駄目なんだって、弱いね~」
と言われても最後まであきらめたらいけない、となぜかそのときは思った。
投了もしてないのに相手方が駒を並べ始めた。
一気に頭に血が上った、一瞬本当に半殺しにしてやろうかとおもったけど、一寸手前で思いとどまり投了してモウ一局指してもらった、悔しくて何局もさしてもらったがやはり勝てない。
20秒あるのにジシツ使っている時間は2秒。
第一感だけでさしてかなう相手ないのに、頭に血が上っている成果何度も何度もさした。悔しくて泣きたかった。
その直後↓のブログを書いたわけですが、それから朝起きてバイトに行って帰ってきて11時頃から道着を着て袴をつけて外に出た、公園で左手、右手と持ち替えて延々合気道で言う正面打ち、の素振りを木刀をもってひたすら振った、力まないで振っているから疲れはしないのだが、あまりの寒さで手も足の指も全てが凍ったかのように固くなってきた、しかし振り続けた。
若干くらっときたので素振りを辞めて公園の時計を見ると二時。。。。
自分を空ににて考えてみた、ぼーっとしていて気がついたら盤に向かって駒を並べていた。並べながら思った。
将棋をやることで俺のメリットってなんだ?今まで夢中でやってきたけど、金になるのか?プロじゃないんだから趣味じゃないか!趣味に没頭しても金にならんぞ!将来が無いじゃないか!!いい加減もう逃げないでまともに働いたらどうなん?やめちまえ、ケジメだろ、自分の体だって長くないかもしれないじゃないか、そろそろもういいだろ。
こんな自問自答をくりかえしました。
しかし、結局好きだから……じゃあ何で好きなの?わけは??
好きなのに理由はいらない。だって好きなんだから。
そうだね、きっとそうだよ、そうにちがいない。
考えてみればすごく恵まれているじゃないか、出来なくなるまで一生懸命強くなる努力をしよう。
↓の日記をみてメールを沢山いただきました、先生方、棋友のみなさん、心配かけました、しかしもう心配は無用です。
二度とこういうことの無い様に、なる暇があったら一層の努力をするよう心かけます、すんませんでした。
将棋、合気道、○○○は自分の人生を通して一生続けます。。。
わが、将棋馬鹿人生は永久に不滅であります。ご心配をおかけしまして申し訳ございませんでした!!