正しい保護者の過ごし方

子供の成長を見るものはいいものです。子供の部活動を見ながら休日を過ごす父親のブログです。

体育祭2

2009-09-08 23:04:36 | Weblog
今日は娘の高校での初めての体育祭。先週の息子の高校最後の体育祭に続き家内は今日も休みを取ってわざわざ応援に。
私学での体育祭は私も家内も、そして息子も公立なので初体験。家内は部類のリレー好きで思わす声がでるとか。道理で柔道の応援も順応が早い訳です。
さて、どんな体育祭になてやら。帰ってのビデオが楽しみです。

正面に礼

2009-09-07 22:59:18 | Weblog
柔道の試合や練習の最初と最後に「正面に礼」という儀式の様な答礼があります。そのあと、先生、先輩などに礼をし、最後にお互いに礼をするのが大体のバターンではないかと思います。
この正面に礼の意味を現役当時は道場にあった神棚に対する礼、または飾ってあった嘉納治五郎翁に対するものと思っておりましたが、現役引退後、どうもそればかりではないとようやく分かり始めたのがつい最近のような気がします。
解釈については人それぞれと思いますし、それは個人の気の持ち様なので何が正しいと云うわけではないのであくまで私の見解だとご理解頂ければと思いますが。私の中での正面とは実は本当は太陽を表しているのではないか、そんな気がしています。
現役を退いたころは、むしろ万物に対する感謝を表していると感じていました。例えば道場そのものであるとか親、兄弟、家族など。また水や空気、自然界自体やはたまたご先祖様など、まさに自分の存在の礎たるすべてに対する感謝の気持ちを表したものとずっと考えていました。
ところがある時ふと気が付いたのが、それらすべての存在自体も太陽に起因しているのではないかと。
つまり、水も空気も、あるいは動物も植物も、ひいてはご先祖様や家族、人間自体、太陽があったから存在しえた。太陽がすべての元、つまり正面の究極、もともとは太陽に行き着くという訳です。私は無神論者で無宗教の人間ですが、しいて言うなら太陽崇拝者かもしれません。
ただ、日本人は昔からそのことを知っていた様で、言葉の中にも太陽を意味するこんにちわの今日様などは書物で知りました。そして日の丸。日本人は農耕を通じ太陽の有り難さを昔から知っていて自然界の要として太陽を崇め慕い今にいたったのではと思います。近代に入りその思想が薄れる中、柔道の世界でもその心を忘れないために正面に礼があると解釈するのは私の想像でしかないのかもしれません。ただ、日本人の本質は日の丸に象徴される太陽への想い。だから今でも日の丸に対する独特な想いが生まれる。これが正面の本質と思っています。
今日も太陽が昇り自分や家族が健康に生きている。
まさに正面に礼なのです。

体育祭

2009-09-05 19:09:09 | Weblog
先日、息子の高校では体育祭が催されました。息子にとっては高校、いや人生最後の現役での体育祭となりました。公立高校、特に息子の通う市ヶ○高校は自主性を重んじる校風が定着しており、毎年その運営のほとんどを生徒たちだけで取り仕切る訳で、生徒通しの連帯感を肌で感じる素晴らしい体育祭と聞いております。
部類の運動会好きの家内はわざわざ仕事の休みを取って、ビデオ片手に参戦したようです。息子は部活対抗リレーでは久しぶりに柔道着姿を披露、200メートルを完走、普段の運動不足から、完走後、足がよろけたと申しておりました。
体育祭の最後の挨拶に登壇した校長先生が「市高サイコー!」と叫ばれるほど素晴らしい体育祭だったとか。生徒達が達成感から思わず涙したその光景を聞いて息子をこの高校に預けて良かったあと思う父なのでした。さぁあとは受験。別に多くは望みません、入って良かったと思える学校選びを、息子よ頼みますよぉ。がんばれ、がんばれ。

新学期

2009-09-02 20:58:02 | Weblog
九月に入り新学期がスタート。息子も娘も高校に通いだしました。っと思ったら娘は寝冷え、風邪をひいた様で、すわっインフルエンザかと心配しましたが、どうやらただの風邪、ホッとしました。
新学期が始まると男子は新人戦があるそうですが、女子は十一月まで試合らしい試合は無いようなので、夏の成果が見れないのは残念な限りです。やはり父親としては試合で娘の成長を見たいもの。技の切れ、駆け引き、引き手釣り手の持つ位置、そして気迫、気合い。それらを目の当たりにして初めて子供の成長を肌で感じたい、だから一生懸命何とかして試合を見ようと努力するのです。
新しい学期に入り新たな気持ちで学校に通う。学校が楽しい、そして柔道が楽しいと娘にも肌で感じてもらえれば、残業の毎日も苦にならない父なのです。