続・KOOさんのENJOY LIFE

日々身のまわりに起こった出来事などへの思いを綴っています・・・・・ちょっときれいな写真と共に・・・

内容が高度になってきた一万人の第九のレッスン日でした

2015年10月22日 20時38分51秒 | 日記

 この日のレッスンは631小節から(微妙なピアノ(小声)で、難しい発音のドイツ語で始まります。)と、655小節から(いわゆる2重フーガ)をレッスンしました。共に自身が歌うのが難しい場所で、各パートの小声、大声でのハーモニー、歌うスピードも微妙な場所です。Ki先生はここをうまく歌えるようにしょうと、一生懸命の指導でした。次回も2重フーガのところを練習しましょうとのことで、この日のレッスンが終わりました。
 いつものように途中の休憩後、Ki先生が離されるベートーベンの逸話はハイリゲンシュタットの遺書についてでした。先生の思いが入った説明でしたが、最後にインターネットに詳しく載っているとのことでしたので、早速調べてみて内容の要約をしてみました。
 この日は「カワイ出版」の楽譜本について 少々注意点がありました。小生はカワイ出版の本でレッスンを受けています。 楽譜本が何種類かあり、指揮者の考えの差もあって、どの楽譜本もピッタリのものが無いようです。 Ki先生は佐渡裕先生はこのようにする!と力説されます。Ki先生と佐渡先生の考えの違う場所だなと思いながら 聞いています。 
 ハイリゲンシュタットの遺書は、ベートーヴェンが1802年10月6日にハイリゲンシュタット(今のウィーンの一部)において、甥であるカールと弟のヨハンに宛てて書いた手紙です。ベートーヴェン没後(1827年3月)に発見されました。内容は、日ごとに悪化する難聴への絶望と、芸術家としての運命を全うするために肉体および精神的な病気を克服したい願望を反映しています。特徴として、カールの名前が適切な位置にあるのに対して、ヨハンの名前のあるべき位置の左側に余白があることが挙げられ、これに対して数多くの説明があります。例えば、ベートーヴェンが法律に準じる文章にヨハンのフルネーム(ニコラウス・ヨハン)を使うべきか不安であったこと、弟達に対する複雑な愛情の心境、生涯憎んでいたアルコール中毒で口汚い父ヨハン(1792年に死亡)への感情の変化などです。(以上、Wikipediaの解説文を引用しました。)

 
↑カワイ出版の楽譜本についての注意点がありました。 ↑休憩時間中の会場です。アルト側からバス、テノール側を見ています。

↑「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる ベートーベンが1802年10月に 甥と弟に宛てて書いた手紙です。