Anteeksi.

すみません、ちょっといいですか。フィンランド留学の見聞録。

アウシュビッツ

2009-06-06 | 中東欧の旅
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所。

クラクフから西に60kmほど離れたところにある。予め申し込んでおいたツアーに参加した。
ポーランドには、このアウシュビッツを初めとして、いくつかの収容所(跡)があるのだが、なぜこの場所にあるかと言えば、それは単に、当時ナチス・ドイツの勢力範囲の及んでいたあらゆる地域から収容者を連れて来るのに、効率的だったからである(西はフランス、北はノルウェー、東はロシアの一部、南はギリシア、と言えば、たしかにそういうことになりそうだ)。

初めにアウシュビッツを訪れた。ここは、今では博物館になっている。修学旅行のような団体もちらほらいたが、よくこんなところで白い歯を見せて記念写真を撮る気になれるもんだ。と言って、自分も子供の頃に広島の原爆ドームを訪れたが、あのときはどうだったであろうか。
小休憩のときに、一緒のツアーで回っていた、オーストラリアからはるばる来たというおばあさんと少し話をした。ご友人に、アウシュビッツの生き残りがいると言う。22人の大家族の全員がここに連れてこられ、生きて帰ったのは、そのご友人ともう一人だけだったそうだ。

続いて、少し離れたところにあるビルケナウ収容所。こちらの方は、打って変わって、実に惨憺とした風景であった。当時の様子をできる限りそのまま残すようにしてあるようだ。ガイド用の説明書きなどはほとんどないが、リアルさという点においては、ビルケナウの方がむしろ多くのことを語りかけてくるような感じだった。

「人生の終着点」―ここに降り立った人々の心境とはどのようなものだったのだろうか。なんて、戦争を知らない若僧が問いかけても、これほどの愚問もなさそうだ。その答えは、存在するとしても、とても自分の引出しの中にはないものであるような気がする。
列車を降ろされると、すぐさま、悪名高き「セレクション」(つまり、強制労働要員か、ガス室行きか)が行われた。自分が今立っている、この場所で…



と、ここまで敢えて淡々と書いてきたが、正直に告白すれば、予想していた以上に、気がおかしくなった。脳みそにふたをして、ぶんぶんと振り混ぜられたような感覚だ。それはもう、これまでに味わったことのない、強烈な揺さぶりであり、意識をどこかにつなぎとめておくのに精一杯だった。気がおかしくならない方がおかしい、と言いたいくらいだが、どうだろう。

実のところを言えば、自分はどうも職業柄(?)というか、物事を批判的に眺める癖があって(良い意味で解釈していただけるとありがたいですが)、例えば、これはナチスがユダヤ人から没収した貴金属の山です、と言われたところで、本当かいな、という思いが、幸か不幸か何%かくらいは出てきてしまう。
アウシュビッツのガス室は、南京虐殺なんかのように、捏造論も絶えないのだ。歴史検証家でもない自分が、何を信じるかは、とても難しい(というか原理的には判断不可能な)問題ではあるのだが…。

しかし。この場所の負の遺産としての価値について自分が感じたものを、ちょっと人の言葉を借りて表現してみよう。

実は、少し前に、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読み、これは今回の訪問の一つの動機ともなっているのだけど、その中に次のような一説がある。

「わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」

アウシュビッツは、この命題の実現可能性を、世界でも稀に見る強烈さで放ち続ける場所なのである。それで、十分過ぎるのではないだろうか。少なくとも、自分はそう感じた。
肝心なのは、我々がそこから何を汲み取るかということであり、誰かを恨むとか、人の愚かさに絶望して世を捨てるとか、そういうことではないのである。というようなことを、今日のツアーのガイドさんも言っていたが、全くその通りだろうと心から思った。

ちなみに、「夜と霧」には、終わりの方に解放後の記述があり、著者による次の「分析」がある。

「未成熟な人間が(中略)今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ」

この物語は、まだ終わっていない。

  

  

  


あれだけのものを見せられた後にクラクフの街を歩くと、一方でこれほどの平和を築き上げたのもまた同じ人間なのだということ、そこに無上の尊さを覚える。

ここらで現実的な話題に戻ると、ポーランドの物価の安さときたら、フィンランドの1/3~1/4ほどに感じる。1000円ばかりあれば豪華ディナーにありつける。ワインがグラス一杯130円ときたもんだから、2回おかわりした(なんか毎日お酒飲んでるな)。
ポーランド料理らしいものを食べてみた。「チーズパイ」と表記されていたが、鶏肉とトマトや茄子などの野菜がどかっとのっかって、ボリュームたっぷり。ソースが何種類かあって、色んな味を楽しめる。



自分の旅のスタイル、というかお金の使い方として、特に一人旅の場合は、宿代を切り詰めて、その分を食費に回す。宿は、最低限の安全保障があれば十分だが、食べ物に関しては、ご当地料理を満喫しなければ機会損失甚だしいというものだ。

というわけで、宿は基本的にユースホステルなんだが、アメリカやカナダで利用したことはあったものの、そっちでは経験したことがない、という経験をこちらでする。それは、部屋が男女共同ということだ。部屋に入ると、目の前で外人の女性が(と言ったって、向こうからしたらこっちが外人だが)Tシャツ一枚ですやすや眠っているわけだから、すっかり部屋を間違えたんだろうと思ったら、そうでない。どうもヨーロッパではわりと一般的なことのようだ。シャワーも共同だったりするから、向こうの方が気にするんじゃないだろうかと思いきや、さすがにこんなところに泊まる女性はタフなのが多いようだ。

最新の画像もっと見る