Tao Planning-道

あなたは、この世界でとっても大切な人です。
なぜならあなたは、この世にたった一人しかいないから。
特別な存在です。

アクエリアスの時代(ご質問)

2016年11月01日 10時56分44秒 | 良斗からの贈り物

皆様、こんにちは。
前回のお話に対し、お問い合わせがありました。
私の説明不足や文章力の無さもあり、ちゃんとお伝え出来ていなかったなと反省させて頂いたと共に皆様の中でも同じように「???」と頭の上に浮かんだ方もおられるでしょうから質問頂いたご本人の了解の元、お答えしようと思います。

Q1)相手の嫌なところだけをしっかり把握するだけでよいのか。
  自分を知る為に相手の嫌なとこ、言動を紙に書こうと思います。
  頭で考えていると思い出に流されてまた感情的になったり、自己嫌悪に陥ってしまうので・・・。
  そこで、嫌なところだけを書き出すだけでよいのでしょうか?
  気分が鬱蒼としそうで。。。
  良い所も自分の中にあるとして(相手が自分の鏡なら)良い所を書き出すことは必要ないですか?

answer:私が文才が無いので中途半端な説明になっているのが原因でしょうね。すみません。
まず、文中に「その方々の何処が好きで何処が嫌いかちゃんと見てください。」と書いておりますが嫌なところだけではなく、良いところもちゃんと見る事です。
それは、文中にも書きましたが言動やしぐさなどもあるでしょう。
そのすべてを上げる事です。
具体的方法は、この後のQ2のANSERで書きますね。

Q2)認めるだけでよいのか。
相手の嫌なところが自分の中にあるものと考えるだけで悔しくて情けなくて、嫌で嫌でたまらなくて涙がでるのですが、
ただ、かいて「そうそう、これが私にある」と無理やり(心が必死に抵抗しているのを無視して)自分に納得させるという事で良いのでしょうか?
心がもう、抵抗しまくってるんです。
なにか認めるよい方法あったら教えてください。

answer:
まず、ノートを用意してください。
その右側のページに好きな人の名前を書いてください。
そして、左側に嫌いな人の名前を書いてください。
その名前の横にその人の何が好きで、何が嫌いかを書いてください。
そして、名前を隠してください。
それがあなたです。

そもそも認めるのではありません。「ある」のだとそれを見るだけです。つまり、観察です。
小学生の時、あさがおの観察をされたと思いますが、それと同じです。
良い悪いという判断などせず、「ふーん」というイメージで見るだけです。
「そうそう、これが私」と最初から認められるならその人を嫌っていません。
何よりおっしゃる通り、心がそれを受け入れようとはしないのです。
ですからまず、観察です。
あるのだという認識だけで良いのです。
無抵抗に認識すれば、心は、勝手に受け入れるという作業をしてくれます。
そうする事よって気が付いたら認め、受け入れるというような自然的な現象として起こります。
これだけを聞くと、「我慢して負けを認めろ」と感じるかも知れません。
そういうことではないです。

そもそも、怒りとはなぜ起こるのかと言う事に触れておきますね。
怒りとは、自分を守る手段に過ぎません。
そう。怒るというのは、目的ではなく手段です。
つまり、目的を達成する方法ですね。
その目的は、相手を屈服させたいという欲求の表れといえるでしょう。
これを「支配欲」と言います。
人は、人より上でありたい、自分のいう事に従わせたいという欲求です。
それが、自分より年下の人であったり、伴侶であったり、兄弟姉妹であったり、子供であったりします。
その誰かを屈服させる事により、自分が上だと思いたいからです。
自分の論理が相手に受け入れられなかった時、自分が分かっているのにそこを突かれた時に人は、怒りを持ちます。
例えば、ある書類の作成を上司からお願いされました。
それは、とても重要な書類で間違えたら大変な事になります。
そこで、あなたは、慎重に一語一句間違わないように、計算も何度も確かめて作成していたところに同僚がやってきて
「お前まだやってんの?いつまでかかってんだよ。そんなんじゃお前の出世はあり得ないね。書類ってね。提出期限の3日前には、出来ているもんなんだよ。見直しがあって、訂正があってさ。それで丁度の日に完成させるものなんだ。お前、もう後、2日だろ。大丈夫?俺がやった方が早くて正確なんじゃないの?」
と笑いながら言われました。
どう思いますか?
「お前何様なんだ!ろくすっぽ仕事もしないくせに!」
と、怒りが湧いてきますよね。
それが普通の感情だと思います。
自分は、慎重派で確実にイッパツ合格を狙うタイプですから。
では、同じ事を自分が心から尊敬し、敬愛している師匠的存在の方から言われたらどうでしょう。
「ごもっともです!」
と、思いませんか?
そうなんです。
人と自分を比べていて自分と同等若しくは、下と思う人間から提言されたら怒りになります。
でも、師匠から言われたら納得できます。
自分が上下を決めているからなのです。
そして争いが始まる。
少し前から話題のアドラーという心理学者の言葉を借りれば、
ちょっとした意見の相違や、コンテクストの違いから対立してしまうことを”権力争い”と言っています。
相手の言動によって本気で腹が立つ時はあると思います。
そのまま怒りに身を任せて反論することで、「権力争い」へ突入してしまう。
そうなるとなかなか引き返せなくなってしまいます。
泥沼の争いです。
「私は、正しい」と思った時点で権力争いに足を踏み入れています。
人はなぜ「権力争い」が勃発するのでしょうか。
「相手を屈服させたい」
「相手より優位でいたい」
という気持ちがあるからです。
いわゆる「優越感に浸る」ということでしょうね。
口論で勝った時、「やったった!」と思いますよね。
その先にあるのは?
「報復攻撃」つまり「復讐」です。
「いつかあいつを負かしてやる!」
という不屈の精神を生み、更なる泥沼へと入って行きます。
そうなると人間関係を修復するのは、至難の業になります。
では、どうするか。
アドラーは、「その場合は、その権力争いから降りる事です。」と言っています。
私もその意見には、賛成です。
ですがそこで言われる事は、
「それでは、自分の腹の虫が納まらない」でしょう。
それは「ここで降りたら負け」と思っているからです。
そもそも、主張の正しさと勝ち負けは、関係ありません。
自分の出した答えが正しいと思うのであれば、それで完結です。
相手の意見は、相手の意見で完結です。
争う必要がありません。終わりなのですから(笑)
それ以上、言い合うのは、ただの「我欲」です。

また、こうも考えてください。
人は、同じ環境で育ったとしても同じ人間にはなりません。
あなたは、この世でオンリーワンであり、他者と比べる存在ではないのです。
自分は亀で、弟は、うさぎだったとして
どんなに頑張っても亀は、うさぎにはなりません。
亀は、亀です。
じゃ亀としてただ、生きれば良いだけです。
それをうさぎになって、あいつに勝とうと思うから無理が生じます。
そして嫌悪感に陥ります。
何であいつに勝てないのかって。
そもそも勝つ必要があるのでしょうか?
だって自分は、この世でオンリーワンな訳で誰にもまねできない自分ですよね。
争うこと自体がナンセンスだと思いませんか?

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。

今日も皆様が笑顔でありますように。

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