Tao Planning-道

あなたは、この世界でとっても大切な人です。
なぜならあなたは、この世にたった一人しかいないから。
特別な存在です。

ご予約頂いている皆様、これからご案内させて頂く皆様へ良斗からのお願い

2013年03月30日 00時37分19秒 | 良斗からの贈り物

皆様。今日は、お願いがありブログを書かせて頂きます。
Facebookにも書かせて頂きましたが私の父に昨年2月癌が見つかり既に末期でした。
父の癌は、小細胞癌というもので世界に60例、日本では14人しかおられない非常に稀な癌です。
年齢に関係なく進行し昨年2月の時点で余命6ヶ月と宣告を受けましたが父の持ち前の気力で生きてくれています。
今月中旬、突然目が見えなくなり急遽入院しました。
主治医の先生は、ここまで生きられたのは前例が余りなく奇跡に近いといわれました。
いつどうなっても不思議ではありません。との事です。
ですからご予約頂いている方に突然、お断りもしくは、延期をお願いする場合が出るかも知れません。
その時は、本当に申し訳ありませんがご理解とご協力をお願い致します。

少し、父について語らせてください。
ちなみに私の単なる昔話ですのでお暇な方は、読んで頂けると幸いですが何も学ぶことは、無いかもしれません。(笑)

父は、日本料理の調理師でしたが、仕事に恵まれず職を転々として生活の為、縫製工場やボーリング場など時には、掛け持ちして私と姉を育ててくれました。
幼い頃は、仕出し屋をしていて貧乏な生活をしていました。
カレーに肉が入ることはなく、お歳暮やお中元でもらったシーチキンと野菜だけ。
良くてマトンでした。(笑)
姉とマトンとシーチキンは、一生分食べたねと笑い話にしています。(笑)
ハンバーグは、肉1に対しパンが9みたいな「パンバーグ」となずけていました。(笑)
今となっては、懐かしい思い出ですね。

私は、この45年間、父の口から
「しんどい」
「疲れた」
「もういやだ」
何て事を一度も聞いたことがなくまた、休みでも何でもこの病気になるまで昼間に寝ている姿を一度も見た事がありませんでした。
お正月もお盆も人が来ない限り畑に行ったり家を直したり外で子供たちと遊んでくれたり、じっとしている人ではありませんでした。
風邪も余りひかないし引いても寝込むことは、一度もありませんでした。
私が子供の頃、やんちゃな私がやらかす事を黙って尻拭いしてくれる父でした。

そんな父に何か出来ないかと昨年の入院前に父に尋ねたら
「わしは、やりたいことを全部やってきた。だからいつ死んでも悔いはない」
そう言い切りにっこり笑いました。
私には「わしは、大丈夫だから精一杯働いてこい!」そう言われたように聞こえましたから私は、それを実行することにしました。
何度か帰ろうかと電話すると「大丈夫だから帰ってこなくていい」というばかり。

この一年、父と過ごした年月を思い出す事が多くなりました。
父は、仕事仕事仕事の人で父と旅行に行ったのは、1度だけです。奈良公園に行き大仏を見たのを覚えています。
でも田植えや稲刈り、畑には、幼い私を必ず連れて行き耕運機の上に座らせました。
きっといろいろと教えているつもりだったのでしょう。
確かに高校生になって見てたおかげで出来ましたけどね(笑)
私が高校を卒業し、京都市内に就職したいと言った時も
「お前の人生だ。好きにすればいい」
そう言って長男の私を出してくれました。
私の家は、最初の方が亡くなったのが天保元年とあり私で5代目の田舎の家で長男が家を出ることは許されない閉鎖的なところでしたが父は、あっさりOKしてくれました。
母は、猛反対をしましたが父の
「うるさい。ごたごたいうな!」という一括で撃沈。
そう。母には怒るのに私と姉には、一度も怒ったことがありません。
母は、無関心と言いますが父なりに愛情は、与えてもらっていましたよ。
就職して実家へ帰る度にアイロンがないと言えば、すぐに買ってきてくれて煙草を1カートン持たせてくれる父でした。
結婚する時も亜希の両親が実家に来た時、父は、自分で精一杯の料理を作ってもてなしてくれました。
新婚旅行から帰って実家に行ったら表札に亜希の名前が既に入っていて大笑いしました。
本当に細かいところまで気が利く父で掃除をさせれば、その辺のハウスクリーニングに負けないくらいきれいにする人です。
今父は、脊髄と脳に転移し目が見えていませんし、歩けませんし、記憶も曖昧だそうです。
私がヒーリングや霊符で何とかできたのかも知れません。
でも「もうやることは全部やった」と言った父の顔が「黙って行かせてくれ」と言われたように思い何もしませんでした。
それが良かったのか悪かったのかわかりませんがもし今、私が同じ立場なら息子に「何もするな」というだろうと思いました。
その分、おひとりおひとりに精一杯の仕事をさせて頂くことが私ができる事であり、父が望むことだと思いこの1年やってきましたし、これからも必要として頂ける方が一人でもおられる限り、そうさせて頂く覚悟です。
それが父からの無言の教えだと思っています。

父の生きた意味、死に行く意味を考えた時、吉田松陰が弟子、高杉晋作に綴った死生観を思い出しています。
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君は問う。男子の死ぬべき所はどこかと。
小生も昨年の冬投獄されて以来、そのことを考え続けて来たが、今ついに、死の一字について発見するところがあった。

死は好むものでもはなく、また、憎むべきものでもでもない。
世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。
死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり小生の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ。
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間もなく父は、何もわからなくなるでしょう。
霊体になってからじゃなく、体があるうちに伝えたい一言があります。

「ありがとうおやじ。おやじの息子で本当に良かったよ。」って。

たわいもない長文にお付き合い頂きありがとうございました。

皆様が日々笑顔でありますように。
 

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