昨日に続いて、今日は一冊の本を紹介する。
暇があったらお読みいただきたい。
2018年ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドの自伝だ。
ナディアの勇気と才気にショックを受けているガラジーである。
Kindle版¥1800
THE LAST GIRL
ーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―
Kindle版
ナディア ムラド (著), ジェナ クラジェスキ (著), 吉井 智津 (翻訳)
【Amazonの一番目の読者レビュー】
正直この本は最初、注文をしようかどうか迷いました。
ISISがヤズィディ教徒の女性にどのような事をしていたかは、ニュース等で聞き知っています。
正直、日本の空襲体験記のような、ウェットで可愛そうな私たち感に満ちた話なら、読むのつらいな・・と。
が、それは良い意味で裏切ってくれました。
さすが、この女性の2018年ノーベル平和賞受賞、は伊達ではありません。
途中で、彼女自身の言葉でも出てきます。
「ときどき思うのは、ヤズィディ教徒の大虐殺の話になったときに、みんなの関心は、ヤズィディの女性たちの性的虐待のことに集中し、私たちがどう戦ったかということばかりを人はききたがるということだ。私が話をしたいのは、起こったことの全てー兄たちが殺されたことも、母が行方不明になったことも、少年たちが洗脳されていることもー出会って、レイプのことだけを話したいのではなかった。」
読んでいる途中で私、は自分の最初の想像を恥ずかしく思いました。
実際、この本で一貫しているのは、イラクの小さなヤズィディ教徒の町の中でも、貧しい環境で育った彼女の知性、気高さ、正義感、心の強さ・・・
そしてこの本で語られていることは、
ヤズィディ教徒に起こった特殊な事件ではなく、進歩しているように見える現在社会が、先進国でさえ未だ克服できておらず、何かのきっかけで起こり得る恐ろしさがあることがわかります。
「私たちは、何世代もかけて、小さな痛みや不正に慣らされ、やがてそれが無視してもいいくらいに普通のことになっていた。・・・ たとえ新たな大虐殺の脅威に晒されることすら、ヤズィディ教徒にとっては、慣れっこであったとしても、そこに合わせていくには、何かをゆがめていかなければならない。痛みはかならずある。」
「私たちが自分たちの信仰の核となる部分と、ヤズィディ教の素晴らしさを説明するための物語が、ほかの人たちが私たちへのジェノサイドを正当化するのに利用されているのだ。」
「イラクの学校教育を受けた人間なら誰でも、終わりのない戦争が続いていることについても、それが悪いことだとも、何かおかしいとも思うことはないだろう。」
日本もそうそう、他人事ではありません。
それにしても、この本で書かれている ヤズィディ教徒の女性は本当に強い。
集団で連れて行かれて、自分たちの身に何が起こるか理解をした後でも、
「私たちは、さっき言ったことをすぐに翻した。私たちは自殺なんてしない、ギリギリのところまで助け合って、最初のチャンスがやってきたら逃げようと決めた。」
彼女も早い段階から、
「ある日私は、戦闘員たち全員に法の裁きを受けさせる夢を見た。彼らは全員、全世界が見ている前で法の裁きを受けるべきなのだ。第二次世界大戦後にナチスのリーダーがそうされたように、身を隠していられるチャンスを与えてはならない。」
そしてひどい境遇にも関わらず、
「もし私が、ISISが私たちを攻撃したように、ヤズィディ教徒がシンジャールでムスリムを攻撃するのを見たとしたなら、その間ただ傍観しているなどということはない。
母は数々の困難を乗り越えてきたうえに、宗教が何であれ、他の女性が売られて奴隷にされるのを黙って見過ごすことなど絶対にしない人だ。」
機会を見つけては、逃げ出す努力もします。
そして成功します。
彼女の強い意思と高貴な精神が、運を引き寄せたことは間違いない。
レイプや虐待の体験を語ることは、追体験することであり辛いことだと自分でも語っていますが、彼女は、この世界でこのような体験をする女性は、私を最後にするため、と語ります。
日本でも、実は彼女の言葉、彼女の勇気は必要です。デートレイプを告発した伊藤詩織さんは、日本にいられず英国に滞在しています。
この世界で起きている「人が人として扱われない」酷い姿を書いた本ながら、この世界には、こんなに強く気高く逞しい人間がいるのだ、と強い希望を持たせてくれる本です。
読んでよかった。
男女関係なく、戦争の本質、争いの本質、近年世界を席巻している暴力について、深く考えたい全ての人にこの本をお勧めします。
ちなみに序文は、アルマ・クルーニ。彼女の文章も素晴らしい。
(以上)