90代の繰言

後期高齢者の戯言

別府の秘湯 蛇ん湯

2014-06-30 00:18:27 | 社会

別府の秘湯 蛇ん湯

(参考サイト)
別府温泉 ヘビん湯
明礬(みょうばん)温泉 へびん湯
鍋山の湯、へびん湯、鶴の湯、かに湯、ラムネ温泉
大分の秘湯「蛇ん湯」と市営「竹瓦温泉」
別府明礬温泉 『へびん湯』
へびん湯(野湯)(大分県) - BIGLOBE温泉
大分県・明礬温泉≪へびん湯≫
明礬温泉 へびん湯 - 秘境温泉 神秘の湯
ヘビん湯
明礬温泉鍋山の湯・ヘビん湯・鶴の湯
大分県 ヘビん湯【温泉奉行所】
明礬温泉へびん湯|別府三秘湯の一つです - 自転車で行く ...
鍋山の湯、ヘビん湯、鶴見の湯の現状を知る方、お願いします
別府の秘湯へびん湯への道案内動画
鶴の湯、鍋山の湯及びヘビン湯の調査

 別府の三大秘湯は「鍋山の湯」、「鶴の湯」、「蛇ん湯」。いずれも山中にある入浴無料の露天風呂で、近くにあります。数年前、女性看護師殺人事件のあった場所です。
 先日、「蛇ん湯」に行ってきましたが、入浴はしませんでした。

入口にある立札。
 

狭い駐車場があってそこからさらに下ります。
 

警告の立札が立っています。
 

見下ろすと小屋があります。
 


 


 


 


 


 





(蛇ん湯 終)







地獄極楽

2014-06-21 00:59:17 | 社会

地獄極楽-宇佐市安心院町桂昌寺跡

(参考サイト)
 ○ 地獄極楽 桂昌寺跡
 ○ 洞窟めぐりであの世体験
 ◎ 桂昌寺跡地獄極楽/大分県安心院町 
 ○ 簡易的地獄桂昌寺跡地獄極楽 
 ○ 地獄極楽 
 ○ 大分県 安心院町 桂昌寺跡 地獄極楽 
 ○ 桂昌寺跡 地獄極楽 
 ○ 桂昌寺跡・地獄極楽で学ぶ仏教的世界観 

 [地獄極楽]には、先年その洞窟入り口まで行きました。ばかばかしく思われ、前回は見物しないで退散。今回改めて見物してきました。その全貌をご覧ください。一部欠落していますが、その部分は、上記(参考サイト)でご覧ください。

 入口です。
 

 右の道ははなだらかな坂になっています。


 案内板です。
 

 洞窟上にある極楽世界に鎮座する仏像たちの案内。
 

 洞窟内にある地獄と極楽に鎮座する像の案内図。
 

 復興された桂昌寺は小屋掛け、奥に仏像が飾ってありました。
 

 地獄への入り口
 

 洞窟に入るとすぐ閻魔大王の前になります。両側に羅刹がいました。
 

 以下、できるだけ丁寧に像を写していきます。
 

 地獄への通路です
 

以下、地獄の王たち
 

 

 

 

 血の池地獄の青鬼
 

 同上赤鬼
 

 

 無名のお地蔵さん
 

 有名な河原がこじんまりと再現されていましたが、撮影に失敗。
 

 

 しゃがんで入ります。疲れるので胎内くぐりは割愛しました。
 

 

 

 いよいよ地獄とお別れです。この坂を上って極楽へ近づきます。
 
菩提坂って言葉はあるのだろうか?地獄と極楽の境らしい。

 緩やかな狭い坂を上ります。
 

 聞きなれた仏様が現れてきます。
 

 



 

 

 

 

 

名称不明
 

名称不明
 

 

 

 出口が近づいてきました。


 

 

 表が見えました。
 

 外へ出ると洞窟側に仏様が……
 

 その奥にさらに洞窟があります。極楽浄土への道です。
 

 中に入ると垂直の登り道。鎖が下がっています。極楽浄土からさがってきた蜘蛛の糸です。
とても上る気力なく、極楽浄土の道はあきらめました。
 

 鎖から振り返ると仏様がいます。
 

 その後ろ側には「出口」とあって……
 

 極楽浄土から降りてくる階段がありました。
 

 出口と桂昌寺小屋の間に「翁塚」があります。
 

 俳人芭蕉を慕って建立されたもののようです。
 

 周りには芭蕉が植えられていました。花?が咲いていました。
 

 見上げると、極楽浄土下部にある仏像が見えました。
 

(地獄・極楽 終)




宮崎堰堤・ホウネンエビ

2014-06-20 00:51:26 | インポート

宮崎堰堤・ホウネンエビ 
2014-06-20

 田植え真っ盛りの国道500を安心院(あじむ)から別府への帰途、こんな標識に出合いました。何度もとおった道なのに、この標識を見落としていました。
 
 「宮崎堰堤」(宮崎堰堤)って……大分県になんで「宮崎」?
 矢印の方角を見ると農家の間に道があります。
  

 国道500を渡って、道をたどると突き当りに納屋があります。
 

 田植えを終えたばかりの水田の中を納屋の脇道は奥の家に続いています。
 そして道はさらに奥へ……
 

 再度標識です。道は林の中へ続きます。
 

 林を抜けると、突然きれいなモニュメントが……。
 「宮崎孝介君殉職之碑」と読めます。
 

 こんな碑文がありました。
 「宮崎孝介君は宮崎治氏の長男として明治三十六年十月七日島根県に生れ、若くして土木技術者を志し昭和5年山梨高等工業学校を卒業し、直ちに静岡県に奉職、爾来内務省建設院、建設省、福岡県、島根県等に歴任して、昭和ニ十年十二月大分県砂防課長となったが、着任後間もなく由布山の崩壊による津房川の荒廃状況を視察し、同地にアーチ式堰堤を築造する必要を認め、其の計画を樹立して昭和三十一年四月十八日自ら陣頭に立って現場の調査に当り、身の危険をも省みず断崖を降り岩盤其の他の基礎調査中、不幸約八米下の河床に転落し、人事不省となり直ちに安心院町山上病院にて極力治療に努めたが、遂に翌十九日永眠されたのであって哀惜痛恨に堪えない所である 君は資性温厚、信義に厚く旺盛な責任感を以って職務に当られ同僚、部下、上長の等しく尊敬する所であって、君の殉職は誠に公僕誠心の鏡として永く大分県土木行政史の上に燦として輝くものであり、後進を導くものである 國も君が永年の功績を認め、勲五等双光旭日章を贈り、又君が人柱となった堰堤工事は其の後三ケ年を経て漸く完成をみるに至ったので宮崎堰堤と名付け、茲に碑を建て君の功績と尊い犠牲に対する感謝の微意を表する次第である
 昭和三十四年三月
  大分県知事 木下 郁」

 「宮崎堰堤」とは殉職された宮崎さんを記念して命名されたようです。
 

 手入れされていない貯水池が満々と水をたたえて雑木の隙間に見えています。
 

 堰堤からは約20mの落差で溢水が流れ落ちています。
 

 帰途、再度田んぼの脇を通ります。
 

 ふと目をやると、畔のすぐそば、なにやら緑色の微生物が無数に動いています。
 

 よく目を凝らしてみました。なにやら緑色、ブラシ状の生物です。
 

 たくさんいます。白い卵を抱えて泳いでいます。
 

 掬い上げて白い容器の中で見ると、二つに割れた赤い尾鰭、大きな黒目、特徴的な小生物。体長約2cmくらい。
 

 はじめて見る生物でした。「ホウネンエビ」という名前だと後から知りました。



(参考サイト) 
カブトエビとホウネンエビ・カイエビ…水田の生き物
水田の生物たち(動画)
ホウネンエビ&カブトエビ
ホウネンエビ(動画)
ホウネンエビ(動画)

(宮崎堰堤・ホウネンエビ 終)