宮崎堰堤・ホウネンエビ
2014-06-20
田植え真っ盛りの国道500を
安心院(あじむ)から別府への帰途、こんな標識に出合いました。何度もとおった道なのに、この標識を見落としていました。
「宮崎堰堤」(宮崎堰堤)って……大分県になんで「宮崎」?
矢印の方角を見ると農家の間に道があります。
国道500を渡って、道をたどると突き当りに納屋があります。
田植えを終えたばかりの水田の中を納屋の脇道は奥の家に続いています。
そして道はさらに奥へ……
再度標識です。道は林の中へ続きます。
林を抜けると、突然きれいなモニュメントが……。
「宮崎孝介君殉職之碑」と読めます。
こんな碑文がありました。
「宮崎孝介君は宮崎治氏の長男として明治三十六年十月七日島根県に生れ、若くして土木技術者を志し昭和5年山梨高等工業学校を卒業し、直ちに静岡県に奉職、爾来内務省建設院、建設省、福岡県、島根県等に歴任して、昭和ニ十年十二月大分県砂防課長となったが、着任後間もなく由布山の崩壊による津房川の荒廃状況を視察し、同地にアーチ式堰堤を築造する必要を認め、其の計画を樹立して昭和三十一年四月十八日自ら陣頭に立って現場の調査に当り、身の危険をも省みず断崖を降り岩盤其の他の基礎調査中、不幸約八米下の河床に転落し、人事不省となり直ちに安心院町山上病院にて極力治療に努めたが、遂に翌十九日永眠されたのであって哀惜痛恨に堪えない所である 君は資性温厚、信義に厚く旺盛な責任感を以って職務に当られ同僚、部下、上長の等しく尊敬する所であって、君の殉職は誠に公僕誠心の鏡として永く大分県土木行政史の上に燦として輝くものであり、後進を導くものである 國も君が永年の功績を認め、勲五等双光旭日章を贈り、又君が人柱となった堰堤工事は其の後三ケ年を経て漸く完成をみるに至ったので宮崎堰堤と名付け、茲に碑を建て君の功績と尊い犠牲に対する感謝の微意を表する次第である
昭和三十四年三月
大分県知事 木下 郁」
「宮崎堰堤」とは殉職された宮崎さんを記念して命名されたようです。
手入れされていない貯水池が満々と水をたたえて雑木の隙間に見えています。
堰堤からは約20mの落差で溢水が流れ落ちています。
帰途、再度田んぼの脇を通ります。
ふと目をやると、畔のすぐそば、なにやら緑色の微生物が無数に動いています。
よく目を凝らしてみました。なにやら緑色、ブラシ状の生物です。
たくさんいます。白い卵を抱えて泳いでいます。
掬い上げて白い容器の中で見ると、二つに割れた赤い尾鰭、大きな黒目、特徴的な小生物。体長約2cmくらい。
はじめて見る生物でした。「ホウネンエビ」という名前だと後から知りました。
(参考サイト)
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カブトエビとホウネンエビ・カイエビ…水田の生き物
・
水田の生物たち(動画)
・
ホウネンエビ&カブトエビ
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ホウネンエビ(動画)
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ホウネンエビ(動画)
(宮崎堰堤・ホウネンエビ 終)