ジャパリ星雲 トキワの国

好きな時に好きなことを語るブログ

「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」感想

2024-03-13 20:54:00 | ドラえもん
例年通り、ドラえもん映画を観てきた。
少し時間がかかってしまったが、今年も、自分なりに感想を書き綴ってみる。
一応、ネタバレ注意。





今回の映画を観て思ったことといえば、「テーマに沿った『ドラえもん』の映画作品としてはほぼ完璧」だとか、「非常に"綺麗に"まとまっている」といったところだろうか。

今回のテーマは、これまでありそうでなかった「音楽」。一体どんな内容になるかと思っていたが、いざ観てみれば、「ドラえもん」で「音楽」をテーマにした映画としてはかなり理想的な形になっていて、かつ内容としても映像としてもかなり「綺麗」だったなぁ、という風に感じた。

本当に徹頭徹尾、様々な切り口から「音楽」をテーマに展開されており、その構成や独自の世界観の展開、物語性、それを「ドラえもん」の世界や設定とのリンクが巧みで、かつ純粋にその魅せ方も圧巻で、ただただ観ていて、聴いていて楽しい作品だった。
通常僕は、映画ドラえもんは(正規シリーズに限って言えば)映画館では一度しか観ず、今この記事を書いている時点でもその通りなのだが、この作品は例外的に複数回観てもいいかもしれないと思っている。物語としての作り込みが十分なのはさることながら、映像として「映画館で観る価値」が例年以上にあるように思う。

また個人的な話になるが、僕はここしばらく別の趣味でアレやコレやがあって、クラシック中心に音楽に対する知識や関心がいい感じに増えつつある最中にあり、その点でもタイムリーさを感じた。実際、観ている中でも「これは‼︎」と感じる部分がかなりあった。ここは、一昔前の自分ならおそらく感じなかった感動だった。
そうでなくても、「音楽」というのが身近かつ普遍的なものであることが強く感じられる展開はやはり見応えのあるものだった。何万年規模にも及ぶ世界観の沿革や、日常に影響が及んでいく様子は説得力のあるものだった。

「ドラえもん」を「ドラえもん」たらしめている要素の一つが「ひみつ道具」であるわけだが、今回もひみつ道具が盛りだくさんだ。お馴染みの道具や新道具、「こんなところにこんな道具が出るなんて!」というものまで…。ムードもりあげ楽団なんかは今回ぴったりな有名道具だし、「客よせチャルメラ」なんて数年前のアニオリ道具がまさかの再登場というかなり意外な選出だ。マエストロハットとなりきり指揮棒はやはり魔界大冒険の魔法ぼうしのオマージュだろうか?
そしてキーとなる道具の一つでちょっと驚いたのが「あらかじめ日記」。好きな道具ではあるが、こういった全能系の道具は文字通りなんでもできるので結構扱いが難しいだろうに、無理なく溶け込んでいて見事だった。
ラスト、地球が風呂場に…という展開は若干無理がある気もしたが、伏線自体はあったし理には適っているので、まぁいいだろう。

ゲストキャラクター陣も個性的でバランスも良く、親しみを持てたと思う。僕としてはマエストロヴェントーら実在音楽家をモデルとしたロボットたちが特に見れば見るほどより好きになれそうなスルメ的キャラのようでお気に入りだ。ミーナは特別出演枠で単に現代の音楽のシンボル的に目立つだけのキャラかと思ったらストーリー的にも深く絡んできたのは読めなかった。

他にも、相変わらずのび太のクラスメートに原作の名物キャラが何人かいたり、おかしくなったドラえもんの目が「雲の王国」の時と同じだったり、さりげなく「夢をかなえてドラえもん」が出たりと、小ネタレベルでの見所も多く、全編にわたって楽しめた。

以上、ざっと感想を書いてみた。前述の通り、この映画は2回目を観に行く可能性が高い(Dolby Atmosもあるらしいし)。その時には、改めて思ったことを書き加えるかもしれない。
今回は「ドラえもんっぽさ」とか「わさドラっぽさ」よりも、「ドラえもんを題材でテーマに沿った物語を作る」という点が優秀な作品、というのが全体の印象となる。良い作品であった。
来年だが、夢幻三剣士のリメイクの可能性も高そうだが、個人的には「宝島」の時のようにミスリードの上でのオリジナル作品になるのでは、と思う。何にしても、期待している。

「ドラえもん」の苦手な話

2024-02-14 18:02:00 | ドラえもん
今更改めて言うまでもないが、僕は「ドラえもん」という作品が大好きだ。


好きな話はもちろんたくさんあるが、同時にどうしても好きになれない、苦手な話というのもいくつかある。

いくつかある苦手な話の中で、悪い意味で際立って心に染みついてしまっている話がある。今回はそれを語ってみたい。

それは何かといえば、「チューシン倉でかたきうち」という話である。

10年以上前に初めて読んだ時から、この話はかなり苦手だ。
しばらくは本当に「大嫌い」と思っていて、ある時点からそこまでの苦手意識はなくなったものの、それでもやはりダントツくらいに苦手なのは変わりない。というか今でもこの話に限って言えば「嫌い」とはっきり言っていいんじゃないかと思う。

じゃあ何故そんな嫌いな話について語るのかといえば、気に入らないことをいっぺんちゃんと言葉で表現することでちょっと心をスッとさせるような効果はあると思うし、それを読んでくれた皆様からの共感や意見が欲しいという気持ちもあるのだ。

以下、この記事の読者の皆様は当該回を確認済みという前提であらすじなどは割愛して話を進めさせていただく。ご了承ください。
そして、今回は基本的に「俺はこの話のここが嫌いだ!」っていうのを書いていくだけになるので、あまり面白いものではないと思うし、そういうものが苦手な方などには向いていない内容になる。ご注意ください。

尚、この回はタイトルからも読み取れる通り「忠臣蔵」がモチーフになっていて、その流れを「ドラえもん」に置き換えてなぞっているからあのような筋書きになっている…ということは一応理解している。先に述べた通り、かつてほどの苦手意識がなくなったのもそれを知ったのが理由なのだが、同じく「忠臣蔵」をモチーフにしている別の作品には特にこうした不快感を覚えたことはないので「モチーフが忠臣蔵だから」というのが嫌いな原因の全てではないし、元ネタはともかくとして「ドラえもん」にこういった話があるのは間違いなく事実であるので、このまま語らせていただく。

さて、この回であるが、何が嫌かを簡潔に言えば、「非常に理不尽なことが起こっているのに、それが納得のいく形で回収されていない」と、これにつきる。

「ドラえもん」で理不尽事が起こることなんて珍しいことでもないと思われるかもしれない。しかし、大抵の場合はちゃんとその後納得のいく展開があったり、痛快な復讐劇によってカタルシスがあったり、話としての面白みがあったりするので、そこまで気にならないパターンが多いのだ。
しかし、「チューシン倉でかたきうち」は、理不尽事が起こっているのにそれに対しての「かたきうち」が納得のいくものではなく、しかも話自体もテンプレ的展開が続くだけで特別光るものがあるわけでもないため、結果的に読後の不快感のみが残る話になってしまっているのである(話としての面白み云々については人それぞれ感じ方次第なので、結局は好みの問題でしかないのかもしれないが)。

冒頭の展開は、余程のび太が嫌いとかじゃない限りは、誰もが嫌な気持ちになるだろうと思う。「ドラえもん」で度々見られる理不尽事の中でも、その刺激は随一レベルと言って良さそう。
そこから復讐に移る流れ自体は良い。最も求められる流れは「疑いを晴らす」というものであるが、そうでなくても何かしら痛快な復讐劇が期待される中でスネ夫が受けた報復は「ジャイアンに殴られる」のみ。疑いが晴らされていないから根本的解決になっていない上、実際に行われた復讐もカタルシスもなにもあったものではないのだ。

その後の流れも大いに不満ありだ。
スネ夫への復讐が終わった後のび太は、ママへの復讐をしようとする。
しかし、ここでドラえもんは「家族の間でそんなこと…」と今一つよくわからない理由で咎め、実際に復讐の実行役にさせられるとさらに怒る。
考え方にもよるが、冒頭の展開で最も問題があるのはある意味、ママだ。のび太が怒るのも、復讐したがるのも、至極当然のことだ。それなのに、ドラえもんが怒るというのが納得がいかない。
この話は、調子に乗ったのび太が最終的にしっぺ返しを受けるという「ドラえもん」の中ではお決まりのオチになっているのだが、この「ママへの復讐」が、しっぺ返しに向かう中でののび太の最初の悪事のように描かれているのが非常に気に入らない。
そしてここでもママが受けた報復はお花をメチャメチャにされただけで、こちらもこちらで全く根本的解決になっていないのだ。

それ以降の展開は、冒頭のスネ夫の展開はほぼ無関係になり、復讐の矛先がジャイアンに向かうことになる。例の展開はあくまで導入であり、話としては寧ろこちらが本題であるとも言える。ここではあまり特筆すべき点がないというか、言っちゃえばその導入部分に不満がありすぎてそれ以降の内容が頭に入らないというか。
無関係な人たちも巻き込んだのび太が調子に乗っていたのは間違いなかろうが、いかんせん導入部分の展開が可哀想すぎるせいで、オチのしっぺ返しがしっぺ返しに見えないという問題がある。

加えて、内容と直接は関係がないものの、この作品が掲載されたのが「小学六年生の3月号」であることも引っかかる部分である。
これが最終回というわけでは勿論ないが、とある一連の作品群にて、この話が最後にくるようになっているのは間違いなく、これが最後に読んだ「ドラえもん」だという読者も少なくはないはず(「学年繰り上がり収録」を採用している藤子・F・不二雄大全集の「ドラえもん」でも、7巻の最後に収録されているのがこのエピソードになっている)。
小六の3月号というのは、これから中学生になる読者が小学生で最後に読む学年誌であり、そこに掲載される「ドラえもん」もやはりそこを意識して読者へ未来に向けたメッセージがこめられたエピソードが掲載されることが多いというのはファンの間では有名だろう。「のび太もたまには考える」や「具象化鏡」など、具体例を挙げればわかりやすいと思う。そのエピソードがこの後味の悪い「チューシン倉でかたきうち」だというのが、残念感を加速させている。
個人的にも、エピソードの中に納得のいかない部分があっても、それより後のエピソードに何かしら良い描写があればある程度気持ちが浄化されることがあるのだが、「チューシン倉でかたきうち」ではそういったある種の"逃げ場"もないのだ。

以上、ざっと書いてみた。不快ポイントはほぼ前半のみに固まってはいるが、それでもやはりなんというか「ドラえもん」という作品の悪い部分を集約したような内容になっており好きになれないし多分今後も好きになることはない。
この「チューシン倉でかたきうち」が、悪い意味で話題に上がっているところは、比較的よく見かける。私の感じ方が異端だということはないはず。

長々と書いていつつ、改めて考えると、この回は少なくともてんとう虫コミックス全45巻中には収録されていない。藤子・F・不二雄先生がもう少し長生きされていれば、さらなる続刊に収録されていた可能性も否定はできないが、結果的には収録されていない。(基本的には)F先生自らが厳選したエピソードを収録しているてんコミにてこの回が外されているということは、F先生にとっても"そういう回"だったのかもしれない。
(それだけに、2014年に「ドラえもんプラス」6巻にこの回が収録された時には「なんでよりによって…」という気持ちがあったし、当時も今も「ドラえもんプラス」シリーズの6巻以降の続刊に対する怪訝な感情が消えない一因になっている)

しかしながらこの回は、内容の不快感は別として、話としてはよくまとまっていると言わざるを得ない。ドラえもんではてんコミ未収録作品を中心に、オチが弱いなど話としての完成度が今一つなエピソードもちらほらあるが、この回にはそういう弱みは感じられない。テンプレ的展開についても言い換えれば「王道」で、安定した内容とも言えるのだ。「忠臣蔵」を「ドラえもん」に置き換えてなぞった展開が秀逸だという声も聞いたことがある。だからこそ、「ドラえもんプラス」6巻に収録されたのかな、とも思う。

「ドラえもん」の漫画作品は1000話以上あるんだから、1話くらいはこういう回があったっていいのかもしれない。それはそうだが、個人的に恐れているのが(と言うのも大袈裟だが)、わさドラでアニメ化される時が来ることである。わさドラの歴史も長いが、今のところ「チューシン倉でかたきうち」はアニメ化されていない。
しかし、私の認識が間違っていなければ大山ドラでは2回アニメ化されているし(大山ドラも長い歴史の中で1回しかアニメ化されていない原作や全くアニメ化されていない原作など様々なので、複数回アニメ化される原作は優遇されている方であると言える)、プラス6巻にも収録され(てしまっ)ているので、数ある原作短編の中でも比較的目立つポジションにいると言って差し支えない。そのため、いつアニメ化されてもおかしくはない。
しかし、やはり漫画とはいえいささか刺激が強いのも確かなようだし、アニメスタッフもわざわざこの回を選んでアニメ化するというのを避けてるんじゃないかという気もしている(単なる気のせいで、そのうち普通にアニメ化されるかもしれないが)

果たしてどうなるか。

「STAND BY ME ドラえもん2」感想

2023-05-06 15:39:00 | ドラえもん
以下の文章は、2020年11月23日、劇場公開された当時にふせったーにて公開した感想をそのままコピペしたものです。ブログをやっていなかった頃は主にふせったーからこういった感想を発信していましたが、その間の内容をできる限りブログの方に写していきたいと考えています。今回はその第1弾という扱いです。レンタルで久しぶりに視聴したタイミングなので、好機です。

では、以下コピペです↓




良かったです。 



今回も前作と同じく、複数の原作によって構成されていますが、一番大きな違いは1本の映画としてより洗練されていることだと思います。 
前作は全体として一応1本の物語ではありつつ、使用原作が多く次から次へととってかわっていく形式でいわばオムニバスのようなものであり、悪く言えばツギハギ的でした。僕は前作も好きですが、今思えば「原作の名作回を詰め込めば、そりゃ面白くもなるわな」という気持ちがあります…。しかし今作は、全体となる「STAND BY ME ドラえもん2」のストーリーの各所に原作回が組み込まれるといった形式(途中で気づいたんですがこれは大雑把にはアニメのサザエさんの手法に近いかもしれませんね)になっており、原作の占める割合こそ低くなっているものの1本の映画として筋がしっかりして、価値や見応えがアップしていたと思います。その他にも前作で気になった点が改良されていたりもしており、個人的には「前作より好き」と断言していいです! 

以下、箇条書きで思いつくままに書きます 

・魔界大冒険の如き伏線とその回収。なんとなく描写的にタマシイム・マシンか?と思ったらその通りだった。最初の流れを見た時、伏線だから後々回収されるだろうと思いつつちょっと何が起こっているのか理解が追いつかなかったが、意外と早く回収され納得いった。しかしあの流れの中でタイムマシンってどうなってるのかな…?とかまだちょっと混乱中… 

・冒頭に明らかに「ぼくの生まれた日」の要素があったからこれも含まれるんだなと思ったが、相当後になってからだったな。誕生日という設定はやっぱり大山版映画からの拝借だろう。 

・少年のび太が結婚式の代理をするシーン。個人的イメージとしては、のび太としずかは結婚するとはいっても「のび太の"幸せな未来"の象徴」「友達として現代でも一緒にいることの延長」というようなイメージがあったが、やっぱり「結婚する」っていうのは重要な意味があることなんだなと気付かされたかな。大人のび太は後から戻ってくるが、少年のび太が代理した部分は歴史上残ることになるのか。 

・プリンスメロンホテルのエスカレーター付近は神戸駅を思い出した 

・「おばあちゃんのおもいで」パートは、かなり原作に忠実(一部、「赤いくつの女の子」を思わせる部分もあった)。細かい部分までほぼそのままで、過去の一部アニメで不満だった改変部分も原作そのままやってくれたので嬉しかった。おばあちゃん、原作では後の「パパもあまえんぼ」とかも含めて理屈ではないものから小学生ののび太を信じ受け入れていてその部分はここでも変わらないけど、ここでは理屈としても信じざるを得ない状況に導かれたとも言えるね。ただ、花火は夏しか売ってないってくだりはありつつ服装が半袖だったから夏かそれにほど近い時期なんじゃないの…?とは思ってしまった 


・子供のび太の声はリアルキッズか。他の仲間のキャストはずっと変わらない中、のび太だけは三世代でみんな違う。子供時代については全員オーディションも行ったが、イメージの殆ど変わらないジャイアンたちはそのままに、メガネの有無等で雰囲気が変わっているのび太のみ子役が演じることとなったらしい。 

・途中の不良3人組、原作のどっかで見たような気がするんだけど…黒おびのび太でもなかったし…どこだったかなぁ…?しかしあいつら、ポジションとしては重要だけど、スクーター(だよな)に乗ってるのび太に追いついたり、ちょっと執着しすぎじゃないかとか、ジャイアンたちが加勢するとわりと簡単に引き下がるんだなとかわりとツッコミどころはあった、笑えるレベルだけど。 

・そう!前作での不満点だったジャイアンとスネ夫の扱いについても今回は改善されていた!河原のシーンはもう言うまでもないだろう。ここはやっぱり嬉しかった。のび太をぶん殴ってもいいのはなぁ、俺たちだけなんだよ! 

・小ネタも今回探すと楽しいなぁ、ラーメン富士がカムカムキャットフードのあの店というのはわかったけど、あの店員さんは原作のおっちゃんではないなと思ったら、パンフレットの対談によるとあれは勉三さんだったらしい…‼︎小ネタ、まだまだ気付いてないの多いはず、もっとよく見たい。結婚式の参加者の中にも原作の名物キャラがいたりするんじゃないの…?知らんけど 

・手塚治虫のお札っていうのも僕としてはいろんな意味でめちゃくちゃ嬉しかったポイント!!!(小並感) 

・最後、のび太の記憶が消えちゃった。これで、大人ののび太が名前の由来を知らないのに説明がついて納得したけど、ちょっと寂しさもあるかなぁ… 

・声のゲスト出演も全員違和感なく溶け込んでた。大人ののび太、やっぱりハマってるわ…前作より板についてきた感じもするし。 

・前作は各エピソードは感動的ながらそれをいっぺんにやることでそれぞれが薄れる、軸がブレるといったところは難点だったけど今回はやっぱり軸がしっかりしていることで自然に感動できるのが良い。僕のピークはやっぱり「挨拶」のところ、本当に潤んじゃったもん… 


前作は大ヒットしたが、それと同時に否定派も根強かったと思う。今になって、その気持ちがわかってきたような気がする。その人たちが否定する根拠となったであろう要素が今作では多くが解消されているので、より勧めやすい作品になっていると思う。 

だいたい書けたのでこの辺でとりあえず締めます。 
良い作品を観させてもらいました!

「映画ドラえもん のび太と空の理想郷」感想

2023-03-12 22:52:00 | ドラえもん
今年も映画ドラえもんを観てきた。
前2作はいずれも公開が延期されてしまったため、予定通りに公開されるのは実に4年ぶりになるようだ。
以下、感想を列挙する。一応、ネタバレ注意。




全体の感想としては、1本の作品としてよくできていただけでなく、「これぞドラえもん映画!」と強く感じられるものだと思った。
2019年の「月面探査記」は、F先生の描く物語に近く感じこれもとても良かったのだが、本作はそれに加えわさドラの個性、わさドラらしさというものも感じ、それらの"いいとこ取り"を実現していたと思う。新しくありつつ、間違いなく「ドラえもん」じゃないとできない作品であり、好印象だった。
巧みな伏線や意外性のある展開、「理想郷」というテーマを活かしたメッセージ性など、単体の映画としても見応えは十分だった。

今回はただの非日常世界での冒険にとどまらず、レギュラーメンバー各人の個性や関係性に改めてスポットが当たったものとなっている。ここでの「理想郷」の実態が明かされていき、いつもの彼らからかけ離れていく様はこちらもやはり不安を感じるもので、そこからの巻き返し(?)展開に強い説得力を持たせていた。前評判で、のび太とドラえもんの友情描写が良いという旨のことを聞いており、それも間違いなかったが、いつもの5人全員にそういった見せ場があったのが良かった。

5人の描写にも力が入りつつ、本作のメインゲストキャラたるソーニャとの描写も疎かになっておらず無理なく挿入されていたのも上手かった。彼については一貫して味方側のキャラクターというわけではなかったことも、最後に自らを犠牲にして散っていくことも(あのシーンはやはり圧巻だった)驚いたが、それで終わらず最終的な落とし所としてはとても納得のいくものだった。エンドロール中の描写の意味を完全には汲み取れないのはちょっと悔しいが。


キャラクター面ではソーニャ以外だとやはりマリンバが強く印象に残っている。今回の事件の動向においてはなくてはならないポジションで頼もしさもあり、賞金稼ぎという立場に徹するワイルドなかっこよさ、テントウムシ形態の愛らしさなどキャラクターとしての魅力は十分で物語中においても良いアクセントとなっていた。


今回の映画のテーマは、自分にも響くものになっていた。僕は何かと、「自分はダメだ」という考えに陥りやすい人間だと思う。過信したり、何も考えずにいたりするのも違うが、あまり理想を高く持たず肩の力を抜いて、ありのままの自分を受け入れるというのも大事かもしれない、と感じられた。

今回は、映画ドラえもんとして非常にスタンダードな楽しさと感動をもたらしてくれる作品だと感じた。ただそれ故にやや平凡さも感じる部分はあるが、それでも他人に勧められる作品であるとは思う。
来年はまたオリジナルのようだ。見た感じだとこれまで意外とありそうでなかったテーマを扱っているようなので、どんな作品になるか今から楽しみだ。

「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」感想

2022-03-20 13:32:00 | ドラえもん
「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」を鑑賞してきた。
丸1年延期となってしまったので、まさに待ちに待ったという感じだ。
リメイク映画としても(結果的に)6年ぶりで、その分期待が高まっている部分もあった。
以下、思いつくままに感想を書いてみる。
一応、ネタバレ注意。
(ブログからドラえもん映画の感想を書くのは初めて…ブログを有効活用しているなぁと感じる所存である。)








最初に全体を評価すると、とても良かった、かなりうまくまとまっていた、期待を裏切らない内容になっていたと思う。
僕が観に行ったのは2週目なので、他の人の感想を(ネタバレにならない程度に)見る機会もそれなりにあり、また予告などを見ても、今回はかなりアレンジ多めで別物感が強いのかなと思っていた。
実際にも、アレンジやオリジナル要素は多く序盤から終盤まで見たことのないシーンは結構あったのだが、大まかな流れは変わっていなかったし原作通りの部分も少なくなく丁寧に作り込まれていたので、その良さは損なわれていなかった。全体として、オリジナル要素と原作要素のバランスが非常に良く双方のリンクも上手かった。
ほか、各登場人物の心情描写がより掘り下げられ深みが増していたこと、アレンジによりそれぞれのキャラがより立つようになっていたこと、ビジュアル面でも圧巻なシーンが多々あったことなど、良いと思った部分は枚挙にいとまがない。


パピは出立ちやキャラクターデザインなどを見ると原作や旧映画と比べて大人びた印象を受けるが、寧ろ本作ではロコロコの台詞にも象徴される通りその中に見え隠れする「年頃の男の子」としての側面が印象的で、より感情移入しやすくなっていたと思う。「少年大統領」という部分は原作や旧映画では少し忘れがちだったこともあり、少し意外性もあったがそこをクローズアップしたのはさすがだ。それでいてやはり演説のシーンなど決めるところは決めるあたりかっこいいし、純粋にその内容も心に響いた。あそこも原作にあるシーンをアレンジ&膨らませたものだが、映画のテーマを明確に認識させる意味でも見事だった。

ロコロコも原作や旧映画の時点で大好きなキャラだが今回もコメディリリーフとして大いに楽しませてもらった。梶裕貴さんはなかなかのハマり役だ。骨で黙らせるくだりも度々繰り返されるギャグとして良いアクセントになっていた。そしてやはり、単なるギャグキャラにとどまらないのも魅力だ。

ピイナは本作のオリジナルキャラ。その意味で本作を象徴するキャラクターともいえる。物語中でも重要な位置にはいたものの所謂メインゲストキャラではなかったが、逆にそのくらいの匙加減がちょうど良かったと思う。先述の通りパピのキャラクターの掘り下げやより感情移入させるための存在として非常に効果的だったし、ピイナ自身も女性としてヒロインとして、好感の持てるキャラクターだった。


ゲスト出演はピイナの松岡茉優氏とギルモア役の香川照之氏、そしてミルクボーイの2人。ギルモアは本業の声優と比較しても遜色ない声と演技で素晴らしかった。言われなければ気づかなかっただろう。ほかの3人も、声質的にちょっと気になる部分はあったが、演技は自然だったので、殆ど違和感はなかった。実はミルクボーイはどのキャラを演じているか鑑賞前にちゃんと覚えていなかったのだが、実際観るとわりとわかりやすかった。

個人的にかなり気になっていたのがオープニング。「宝島」と同じ布陣だった前作はある意味案の定といった感じだったが、本作でもOPにあたる部分はあったものの「歌」としては存在せず、本編と地続きの映像に専用BGMとクレジットが重ねられていた。今後もこのスタイルで、TV主題歌が映画でもOPとして流れる可能性は低いんじゃないだろうか。
映画でも、テレ朝チャンネルでも、映像ソフトでも(これは自分では未確認、伝聞情報のみ)使用されない現TV主題歌…いかなる扱いなのかが、わかってきた気がする。

そして次回作だ。あの映像だとやはり、「雲の王国」リメイクか!?と思ってしまった。最近ドンジャラ村のホイもあったことだし。しかし本当に雲の王国ならもっとそれを思わせる事物がありそうだし、代わりに飛行船などが目立っていたのも気になる。「雲」や「天空」をモチーフにしたオリジナル作品と考えた方が良さそうだ。



本作は結果的に鑑賞まで1年近く待つことになってしまったが、それほど待つだけの価値は十二分にある作品だった。原作期読者として原作の新たな映像としても、新作ドラえもん映画としても楽しめたので、リメイクとしてひとつの理想の形が示されたように思う。個人的には、アレンジも多くありつつ原作の雰囲気や魅力もほぼそのままなことが気に入った。多くの人に勧められる映画だった。
今後にも期待したい。