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ジャパリ星雲 トキワの国

好きな時に好きなことを語るブログ

「わさドラ」20周年

2025-04-15 07:00:00 | ドラえもん




テレビアニメ「ドラえもん」の、リニューアルから20年。

通称「わさドラ」が、4月15日で20周年を迎える。

大したものだ。
20年という節目を迎えられたのは、やはり快挙というほかない。

自分もがっつりわさドラの世代だ。
僕の人生には、いつもすぐそこにドラえもんがいた。
ドラえもんと共に、僕はここまで育ってきた。
その中でも、やはりわさドラの存在は大きい。
「ドラえもん」という作品をここまで好きになれたのも、間違いなくわさドラのおかげ。

僕は作品としては大山ドラもわさドラも対等に好きだが、関わってきた時間や濃度はわさドラの方が圧倒的に上回っており、その分の思い入れというのは、やはりある。

そんな風に過ごしてきたので、自分なりにわさドラやわさドラの歴史について語ることは結構ドラえもんそのものを語ることにも等しいと言える部分も出てきそうなのだが、20周年という記念になる年なので、いっちょ語ってみようと思う。

20年前の今日、2005年4月15日、わさドラ初回放送は当然のようにリアルタイムで視聴していたし、よく覚えている。新しくなった「ドラえもん」に、新鮮な驚きもありつつ、それ以上にやはり「このドラえもんも面白い!」と感じた。そのまま観続け、気がついたらもう20年。そんな感じだ。


僕は世代的にはわさドラへのリニューアルと小学校入学が一致しているので、ある意味では区切りがいい。
一応ドラえもん自体は、いつから好きかわからないくらい小さい頃から好きだが、幼稚園まではそこまで熱心なわけではなかった。思い出がないわけではないし、アニメも観てはいたが、毎週きちんと観ていたどうかも覚えていない。
幼稚園の頃までは専らウルトラマンに夢中な子供だったので、それ以外に好きなものはあっても言っちゃえばオマケのような感じで、ドラえもんもそういった作品のひとつだったのである。

そんな当時の僕にとって、わさドラへのチェンジというのは良い刺激になっていた。
なんであれ大山ドラにも数年親しんでいたためさすがに最初は違和感もあったが、すぐに受け入れられたしそこは大した問題ではなかった。わさドラへのチェンジそれ自体が「ドラえもん」というアニメへの注目度を大幅にアップさせる要因になっていたことも間違いなかった。
その上、新しくなり若返った「ドラえもん」は、子供心に親しみやすかったのだ。
こうして「ドラえもん」への関心が高まる中、図書館の本や家にあったコンビニ本等々を読むうち、僕のドラえもん好きは"ホンモノ"になっていったのだ。
そうした本の中で特に大きいのが「ドラえもんひみつ大百科 21世紀版」。あらゆる知識が身につき、夢中になった。僕のドラえもん史においてこの本の存在は大きい。

映画もわさドラ以降は全て映画館に観に行っている。最初の頃は自分の意思ではなく、地元のイベントの一環で観に行っていたのだが、おかげでこちらも区切りが良くなった。

こうしてわさドラのおかげもあり、僕はドラえもんに染まったのだ。そこからわさドラは僕の人生に密接に関わってきたため、全てを語ろうとすると本当にキリがなくなる。それほど僕にとっては大きいものなのだ。
友達と盛り上がったこと。てんコミを読み始めた頃、「アニメで見た話だ!」という感動がたくさんあったこと。アニメ30周年の企画に何度も応募したこと。カレンダーのプレゼントに当選したこと。10周年の時にも「うごくメモ帳」でお祝いしたこと。放送時間に間に合うように時間割調整したこと。放送時間変更に戸惑ったこと。一時期テレ朝系の映らない地域に住んでいささか苦労したこと…。全部、大事な思い出だ。
僕の人生にも、僕なりにかなりたくさんの苦労はあったが、いつでも"週末の楽しみ"としてアニメのドラえもんは存在していた。わさドラに支えられて、僕は生きてきたと言っても過言ではないし、おそらくそれはこれからも変わらないだろう。

僕にとって大きな存在なのもそうだが、「ドラえもん」という作品、コンテンツにとっても大きな存在であることは言うまでもないだろう。「ゲゲゲの鬼太郎」のように定期的に復活してリメイクされるシリーズでもなく、途切れずに続く長寿アニメとして、キャスト・スタッフほぼ総入れ替えという非常に思い切った形でのリニューアルを行ったのは後にも先にも「ドラえもん」だけだし、日本アニメ史においても大事件だ。
そんな風に再出発した「ドラえもん」、開始当初から決して順風満帆とはいかなかったはず。様々な手探りや試行錯誤、時には迷走なども経験しつつ歩んできた歴史はあるのだ。僕は開始から数年はリアルキッズとして出されたものを楽しむだけだったが、当時のブログなどを見るとそうした跡はかなり感じるし、それなりに大きくなってからもそんな雰囲気を感じたことがないわけではない。
世間からの風当たりという話題も避けては通れないと思う。そうしてガラッと変わったものに対して、否定的な人というのもやはりたくさんいるのだ。かつてほどの勢いはなくなったと思うが、今でも根強く存在していると思うし、バッシングを受けてきた歴史というのもあまり触れたいとは思わないが目を背けることもできない。
人それぞれ見解はあって当然だろうし、わさドラに首を傾げたくなる部分や欠点・難点が全く無いとも思わない。しかし、"わさドラを受容していたリアルキッズだった経験のある者"として言わせてもらうと、自分は「ネットを本格的に使い始めるまで、わさドラに否定的な人がたくさんいることなんて考えたこともなかった」。これは結構重要なんじゃないかと思う。子供は、何も気にしていないのだ。

ドラえもんはどちらかというと「ファミリー向け」であり、子供だけのものではないとも思っているが、それでもやはりメインターゲットは子供であり、そのメインターゲットたる子供の認識なんてそんなものなのだ。大山ドラを知らない現代の子供であれば、なおのこと疑問を抱くこともないだろう。
その上、毎年の映画の盛況ぶりや、藤子・F・不二雄ミュージアムでの賑わいなどを見ていても、わさドラの実力やわさドラが紡ぎ語り継いできたものは確実にあるということを感じることができる。やはり、伊達に20年歩んできてはいない。


こうして様々な逆境や紆余曲折を経て迎えた20周年、本当によくぞここまで来たと感じる。あと6年もすれば、先代に並ぶわけだ。「おめでとうと同じくらいのありがとうを君に」という言葉が、まさにピッタリだ。


ここまでいつでも僕の人生に寄り添っていてくれて。
ここまでドラえもんという作品を好きにさせてくれて。
本当にありがとうございます。そして20周年おめでとうございます。
これからも"わさドラ"が大好きです。まだまだよろしくお願いします。

「映画ドラえもん のび太の絵世界物語」感想

2025-03-20 21:15:00 | ドラえもん
今年も映画ドラえもんを観てきた。
僕は2週目の鑑賞になったので、結構待ってしまった感覚があった。
以下、思いつくままに感想を書く。
ネタバレ注意。



結論から言うと、今年も大変良かった。
今年は特に映画45周年ということで期待値も上がり、前評判も非常に良かったのでその面もあってさらに大いに期待していたが、そうした期待を裏切らない内容だった。
去年の「音楽」に続き、今年のテーマは「絵」なわけで、自分にとってはより身近なテーマになったとも言える。絵がテーマということもあってファンタジー的な要素も強いながら、タイムトラベルが関わるSF要素、緻密な伏線やその回収、小ネタや過去作要素などなど…とてもよく作られていた。
伏線で言えば、今回の冒険の発端となった「絵」の真相が明かされた時は「なるほどなぁ」と思ったし、クレアの正体についてもわかった上で振り返ると「これも伏線だったのか!」と感心したものだ。

順番的にも早いうちに語って良いと思うが、映画のOPとしても「夢をかなえてドラえもん」が復活したのは大変喜ばしい。
純粋にこの歌が大好きなので、大画面大音響で楽しめるのがとても心地いいだけでなく、映画のテーマに合わせた映像とともにこの歌でOPを観ることでワクワク感やテンションを高める重要なポイントとなっているのだ。もしかしたらカットバージョンかも、という懸念もあったがしっかり1番まるまるだったし、そこも嬉しい。「ドラえも〜ん」から入る流れもバッチリで、OPの時点でも大いに評価したい。

今作のタイトルは「絵世界物語」ながら、実際の冒険の舞台は絵を通じて向かった13世紀のアートリア公国となっている。まぁ、過去作にも似たような例はあるし、「絵」が作品において重要なポイントなのは間違いないし、大した問題ではないだろう。

そう、今年のテーマは「絵」。僕は小さい頃から絵を描くことは大好きで、現在も絵描きの端くれとしてやらせてもらっているだけに、この作品のメッセージ性には心に沁みるものがあった。それをパパやマイロが語るからこその重みや説得力が感じられるのも良かった。この映画と連動してTVシリーズの方で「のび太が消えちゃう?」をやったのもやはり大きな意味があるんだろうと思う。
この映画で得たメッセージを大事に、今後も創作を続けていきたいところだ。
CMにも出ていた「へたっぴドラ」は物語においてもテーマ性においてもキーとなるアイテム(?)といえるが、これがどう重要になってくるんだろうと思っていたら、納得の展開だった。確かに、この絵が世界を救ったわけだ。とても印象に残っただけに、何かしらグッズ化してほしいものだと思った。

ゲストキャラも各々非常に立っていた。クレアはメインヒロインで可愛くもあり物語に深く関わるポジションとして感情移入もできたし、マイロもマイロでのび太と心を通わせたり共闘したりといった役割は主に彼が担っており、クレアとは違った形で愛着が持てた。
ゲスト出演者もなかなか良かった。サンドウィッチマンのお2人は普通に芸人として好きなので嬉しかったし、作中での演技も言われなければ気づかないレベルだった。パンフレットによれば、作品に入り込んでもらうため自分たちをあまり意識してもらわないように声を変えたそうで、さすがというほかない。
2度目となるミキティこと藤本美貴さんも悪くなかった。パルは最初はどうかと思ったが、こういうものと思ってしまえばあまり引きずられなかった。

今作もまたひみつ道具が盛りだくさんでチョイスがまた絶妙だ。原作で1回きりの登場ながら間違いなく覚えてるし印象に残っている道具などが各々的確な場面で使われており、これまた楽しかった。これはやはり伊藤公志氏脚本だからこそ成せる業なのだろうか。
無生物さいみんメガフォンは好きな道具だし、タイムてぶくろとめがねは確か登場話が大全集にしか収録されておらず僕も結構記憶の彼方で読み返したくなったし、ヒトマネロボットや万能わながまさか映画で見せ場があるなんてビックリだったし、ほんやくコンニャクひとつにしても後の展開を考えれば適切な使い方をされていたり…と挙げればキリがない。
そうそう、小さい頃からの憧れ「水加工用ふりかけ」も嬉しかったし、これについてはへたっぴドラと合わせて最終決戦で「その手があったか!」というような切り札的な役割も果たしており、舌を巻くばかりだった。

ところで、来年はどうなるだろう。海が舞台になるということで、ついに海底鬼岩城リメイクくるか?とも思ったが、また海が舞台のオリジナルになる可能性の方が高いような気がしたり…。それはそれで楽しみだが、ここで海底鬼岩城のリメイクがこなければもうほぼ望みはないと考えた方が良さそうで、ちょっとショックでもある。
とにかく現状あの映像だけだとどっちもあり得るしなんとも言えない。待つしかないな。

とまぁ、こんな感じだ。今年も大いに楽しませてもらった。空の理想郷以降続いているわさドラオリジナル映画はどれも概ね高評価だし自分も好きだし、自己評価だと年々どんどん良さがアップしているように感じる。この調子で今後もまだまだ楽しませてもらいたい。

「映画ドラえもん のび太の地球交響楽」感想

2024-03-13 20:54:00 | ドラえもん
例年通り、ドラえもん映画を観てきた。
少し時間がかかってしまったが、今年も、自分なりに感想を書き綴ってみる。
一応、ネタバレ注意。





今回の映画を観て思ったことといえば、「テーマに沿った『ドラえもん』の映画作品としてはほぼ完璧」だとか、「非常に"綺麗に"まとまっている」といったところだろうか。

今回のテーマは、これまでありそうでなかった「音楽」。一体どんな内容になるかと思っていたが、いざ観てみれば、「ドラえもん」で「音楽」をテーマにした映画としてはかなり理想的な形になっていて、かつ内容としても映像としてもかなり「綺麗」だったなぁ、という風に感じた。

本当に徹頭徹尾、様々な切り口から「音楽」をテーマに展開されており、その構成や独自の世界観の展開、物語性、それを「ドラえもん」の世界や設定とのリンクが巧みで、かつ純粋にその魅せ方も圧巻で、ただただ観ていて、聴いていて楽しい作品だった。
通常僕は、映画ドラえもんは(正規シリーズに限って言えば)映画館では一度しか観ず、今この記事を書いている時点でもその通りなのだが、この作品は例外的に複数回観てもいいかもしれないと思っている。物語としての作り込みが十分なのはさることながら、映像として「映画館で観る価値」が例年以上にあるように思う。

また個人的な話になるが、僕はここしばらく別の趣味でアレやコレやがあって、クラシック中心に音楽に対する知識や関心がいい感じに増えつつある最中にあり、その点でもタイムリーさを感じた。実際、観ている中でも「これは‼︎」と感じる部分がかなりあった。ここは、一昔前の自分ならおそらく感じなかった感動だった。
そうでなくても、「音楽」というのが身近かつ普遍的なものであることが強く感じられる展開はやはり見応えのあるものだった。何万年規模にも及ぶ世界観の沿革や、日常に影響が及んでいく様子は説得力のあるものだった。

「ドラえもん」を「ドラえもん」たらしめている要素の一つが「ひみつ道具」であるわけだが、今回もひみつ道具が盛りだくさんだ。お馴染みの道具や新道具、「こんなところにこんな道具が出るなんて!」というものまで…。ムードもりあげ楽団なんかは今回ぴったりな有名道具だし、「客よせチャルメラ」なんて数年前のアニオリ道具がまさかの再登場というかなり意外な選出だ。マエストロハットとなりきり指揮棒はやはり魔界大冒険の魔法ぼうしのオマージュだろうか?
そしてキーとなる道具の一つでちょっと驚いたのが「あらかじめ日記」。好きな道具ではあるが、こういった全能系の道具は文字通りなんでもできるので結構扱いが難しいだろうに、無理なく溶け込んでいて見事だった。
ラスト、地球が風呂場に…という展開は若干無理がある気もしたが、伏線自体はあったし理には適っているので、まぁいいだろう。

ゲストキャラクター陣も個性的でバランスも良く、親しみを持てたと思う。僕としてはマエストロヴェントーら実在音楽家をモデルとしたロボットたちが特に見れば見るほどより好きになれそうなスルメ的キャラのようでお気に入りだ。ミーナは特別出演枠で単に現代の音楽のシンボル的に目立つだけのキャラかと思ったらストーリー的にも深く絡んできたのは読めなかった。

他にも、相変わらずのび太のクラスメートに原作の名物キャラが何人かいたり、おかしくなったドラえもんの目が「雲の王国」の時と同じだったり、さりげなく「夢をかなえてドラえもん」が出たりと、小ネタレベルでの見所も多く、全編にわたって楽しめた。

以上、ざっと感想を書いてみた。前述の通り、この映画は2回目を観に行く可能性が高い(Dolby Atmosもあるらしいし)。その時には、改めて思ったことを書き加えるかもしれない。
今回は「ドラえもんっぽさ」とか「わさドラっぽさ」よりも、「ドラえもんを題材でテーマに沿った物語を作る」という点が優秀な作品、というのが全体の印象となる。良い作品であった。
来年だが、夢幻三剣士のリメイクの可能性も高そうだが、個人的には「宝島」の時のようにミスリードの上でのオリジナル作品になるのでは、と思う。何にしても、期待している。

「ドラえもん」の苦手な話

2024-02-14 18:02:00 | ドラえもん
今更改めて言うまでもないが、僕は「ドラえもん」という作品が大好きだ。


好きな話はもちろんたくさんあるが、同時にどうしても好きになれない、苦手な話というのもいくつかある。

いくつかある苦手な話の中で、悪い意味で際立って心に染みついてしまっている話がある。今回はそれを語ってみたい。

それは何かといえば、「チューシン倉でかたきうち」という話である。

10年以上前に初めて読んだ時から、この話はかなり苦手だ。
しばらくは本当に「大嫌い」と思っていて、ある時点からそこまでの苦手意識はなくなったものの、それでもやはりダントツくらいに苦手なのは変わりない。というか今でもこの話に限って言えば「嫌い」とはっきり言っていいんじゃないかと思う。

じゃあ何故そんな嫌いな話について語るのかといえば、気に入らないことをいっぺんちゃんと言葉で表現することでちょっと心をスッとさせるような効果はあると思うし、それを読んでくれた皆様からの共感や意見が欲しいという気持ちもあるのだ。

以下、この記事の読者の皆様は当該回を確認済みという前提であらすじなどは割愛して話を進めさせていただく。ご了承ください。
そして、今回は基本的に「俺はこの話のここが嫌いだ!」っていうのを書いていくだけになるので、あまり面白いものではないと思うし、そういうものが苦手な方などには向いていない内容になる。ご注意ください。

尚、この回はタイトルからも読み取れる通り「忠臣蔵」がモチーフになっていて、その流れを「ドラえもん」に置き換えてなぞっているからあのような筋書きになっている…ということは一応理解している。先に述べた通り、かつてほどの苦手意識がなくなったのもそれを知ったのが理由なのだが、同じく「忠臣蔵」をモチーフにしている別の作品には特にこうした不快感を覚えたことはないので「モチーフが忠臣蔵だから」というのが嫌いな原因の全てではないし、元ネタはともかくとして「ドラえもん」にこういった話があるのは間違いなく事実であるので、このまま語らせていただく。

さて、この回であるが、何が嫌かを簡潔に言えば、「非常に理不尽なことが起こっているのに、それが納得のいく形で回収されていない」と、これにつきる。

「ドラえもん」で理不尽事が起こることなんて珍しいことでもないと思われるかもしれない。しかし、大抵の場合はちゃんとその後納得のいく展開があったり、痛快な復讐劇によってカタルシスがあったり、話としての面白みがあったりするので、そこまで気にならないパターンが多いのだ。
しかし、「チューシン倉でかたきうち」は、理不尽事が起こっているのにそれに対しての「かたきうち」が納得のいくものではなく、しかも話自体もテンプレ的展開が続くだけで特別光るものがあるわけでもないため、結果的に読後の不快感のみが残る話になってしまっているのである(話としての面白み云々については人それぞれ感じ方次第なので、結局は好みの問題でしかないのかもしれないが)。

冒頭の展開は、余程のび太が嫌いとかじゃない限りは、誰もが嫌な気持ちになるだろうと思う。「ドラえもん」で度々見られる理不尽事の中でも、その刺激は随一レベルと言って良さそう。
そこから復讐に移る流れ自体は良い。最も求められる流れは「疑いを晴らす」というものであるが、そうでなくても何かしら痛快な復讐劇が期待される中でスネ夫が受けた報復は「ジャイアンに殴られる」のみ。疑いが晴らされていないから根本的解決になっていない上、実際に行われた復讐もカタルシスもなにもあったものではないのだ。

その後の流れも大いに不満ありだ。
スネ夫への復讐が終わった後のび太は、ママへの復讐をしようとする。
しかし、ここでドラえもんは「家族の間でそんなこと…」と今一つよくわからない理由で咎め、実際に復讐の実行役にさせられるとさらに怒る。
考え方にもよるが、冒頭の展開で最も問題があるのはある意味、ママだ。のび太が怒るのも、復讐したがるのも、至極当然のことだ。それなのに、ドラえもんが怒るというのが納得がいかない。
この話は、調子に乗ったのび太が最終的にしっぺ返しを受けるという「ドラえもん」の中ではお決まりのオチになっているのだが、この「ママへの復讐」が、しっぺ返しに向かう中でののび太の最初の悪事のように描かれているのが非常に気に入らない。
そしてここでもママが受けた報復はお花をメチャメチャにされただけで、こちらもこちらで全く根本的解決になっていないのだ。

それ以降の展開は、冒頭のスネ夫の展開はほぼ無関係になり、復讐の矛先がジャイアンに向かうことになる。例の展開はあくまで導入であり、話としては寧ろこちらが本題であるとも言える。ここではあまり特筆すべき点がないというか、言っちゃえばその導入部分に不満がありすぎてそれ以降の内容が頭に入らないというか。
無関係な人たちも巻き込んだのび太が調子に乗っていたのは間違いなかろうが、いかんせん導入部分の展開が可哀想すぎるせいで、オチのしっぺ返しがしっぺ返しに見えないという問題がある。

加えて、内容と直接は関係がないものの、この作品が掲載されたのが「小学六年生の3月号」であることも引っかかる部分である。
これが最終回というわけでは勿論ないが、とある一連の作品群にて、この話が最後にくるようになっているのは間違いなく、これが最後に読んだ「ドラえもん」だという読者も少なくはないはず(「学年繰り上がり収録」を採用している藤子・F・不二雄大全集の「ドラえもん」でも、7巻の最後に収録されているのがこのエピソードになっている)。
小六の3月号というのは、これから中学生になる読者が小学生で最後に読む学年誌であり、そこに掲載される「ドラえもん」もやはりそこを意識して読者へ未来に向けたメッセージがこめられたエピソードが掲載されることが多いというのはファンの間では有名だろう。「のび太もたまには考える」や「具象化鏡」など、具体例を挙げればわかりやすいと思う。そのエピソードがこの後味の悪い「チューシン倉でかたきうち」だというのが、残念感を加速させている。
個人的にも、エピソードの中に納得のいかない部分があっても、それより後のエピソードに何かしら良い描写があればある程度気持ちが浄化されることがあるのだが、「チューシン倉でかたきうち」ではそういったある種の"逃げ場"もないのだ。

以上、ざっと書いてみた。不快ポイントはほぼ前半のみに固まってはいるが、それでもやはりなんというか「ドラえもん」という作品の悪い部分を集約したような内容になっており好きになれないし多分今後も好きになることはない。
この「チューシン倉でかたきうち」が、悪い意味で話題に上がっているところは、比較的よく見かける。私の感じ方が異端だということはないはず。

長々と書いていつつ、改めて考えると、この回は少なくともてんとう虫コミックス全45巻中には収録されていない。藤子・F・不二雄先生がもう少し長生きされていれば、さらなる続刊に収録されていた可能性も否定はできないが、結果的には収録されていない。(基本的には)F先生自らが厳選したエピソードを収録しているてんコミにてこの回が外されているということは、F先生にとっても"そういう回"だったのかもしれない。
(それだけに、2014年に「ドラえもんプラス」6巻にこの回が収録された時には「なんでよりによって…」という気持ちがあったし、当時も今も「ドラえもんプラス」シリーズの6巻以降の続刊に対する怪訝な感情が消えない一因になっている)

しかしながらこの回は、内容の不快感は別として、話としてはよくまとまっていると言わざるを得ない。ドラえもんではてんコミ未収録作品を中心に、オチが弱いなど話としての完成度が今一つなエピソードもちらほらあるが、この回にはそういう弱みは感じられない。テンプレ的展開についても言い換えれば「王道」で、安定した内容とも言えるのだ。「忠臣蔵」を「ドラえもん」に置き換えてなぞった展開が秀逸だという声も聞いたことがある。だからこそ、「ドラえもんプラス」6巻に収録されたのかな、とも思う。

「ドラえもん」の漫画作品は1000話以上あるんだから、1話くらいはこういう回があったっていいのかもしれない。それはそうだが、個人的に恐れているのが(と言うのも大袈裟だが)、わさドラでアニメ化される時が来ることである。わさドラの歴史も長いが、今のところ「チューシン倉でかたきうち」はアニメ化されていない。
しかし、私の認識が間違っていなければ大山ドラでは2回アニメ化されているし(大山ドラも長い歴史の中で1回しかアニメ化されていない原作や全くアニメ化されていない原作など様々なので、複数回アニメ化される原作は優遇されている方であると言える)、プラス6巻にも収録され(てしまっ)ているので、数ある原作短編の中でも比較的目立つポジションにいると言って差し支えない。そのため、いつアニメ化されてもおかしくはない。
しかし、やはり漫画とはいえいささか刺激が強いのも確かなようだし、アニメスタッフもわざわざこの回を選んでアニメ化するというのを避けてるんじゃないかという気もしている(単なる気のせいで、そのうち普通にアニメ化されるかもしれないが)

果たしてどうなるか。

「STAND BY ME ドラえもん2」感想

2023-05-06 15:39:00 | ドラえもん
以下の文章は、2020年11月23日、劇場公開された当時にふせったーにて公開した感想をそのままコピペしたものです。ブログをやっていなかった頃は主にふせったーからこういった感想を発信していましたが、その間の内容をできる限りブログの方に写していきたいと考えています。今回はその第1弾という扱いです。レンタルで久しぶりに視聴したタイミングなので、好機です。

では、以下コピペです↓




良かったです。 



今回も前作と同じく、複数の原作によって構成されていますが、一番大きな違いは1本の映画としてより洗練されていることだと思います。 
前作は全体として一応1本の物語ではありつつ、使用原作が多く次から次へととってかわっていく形式でいわばオムニバスのようなものであり、悪く言えばツギハギ的でした。僕は前作も好きですが、今思えば「原作の名作回を詰め込めば、そりゃ面白くもなるわな」という気持ちがあります…。しかし今作は、全体となる「STAND BY ME ドラえもん2」のストーリーの各所に原作回が組み込まれるといった形式(途中で気づいたんですがこれは大雑把にはアニメのサザエさんの手法に近いかもしれませんね)になっており、原作の占める割合こそ低くなっているものの1本の映画として筋がしっかりして、価値や見応えがアップしていたと思います。その他にも前作で気になった点が改良されていたりもしており、個人的には「前作より好き」と断言していいです! 

以下、箇条書きで思いつくままに書きます 

・魔界大冒険の如き伏線とその回収。なんとなく描写的にタマシイム・マシンか?と思ったらその通りだった。最初の流れを見た時、伏線だから後々回収されるだろうと思いつつちょっと何が起こっているのか理解が追いつかなかったが、意外と早く回収され納得いった。しかしあの流れの中でタイムマシンってどうなってるのかな…?とかまだちょっと混乱中… 

・冒頭に明らかに「ぼくの生まれた日」の要素があったからこれも含まれるんだなと思ったが、相当後になってからだったな。誕生日という設定はやっぱり大山版映画からの拝借だろう。 

・少年のび太が結婚式の代理をするシーン。個人的イメージとしては、のび太としずかは結婚するとはいっても「のび太の"幸せな未来"の象徴」「友達として現代でも一緒にいることの延長」というようなイメージがあったが、やっぱり「結婚する」っていうのは重要な意味があることなんだなと気付かされたかな。大人のび太は後から戻ってくるが、少年のび太が代理した部分は歴史上残ることになるのか。 

・プリンスメロンホテルのエスカレーター付近は神戸駅を思い出した 

・「おばあちゃんのおもいで」パートは、かなり原作に忠実(一部、「赤いくつの女の子」を思わせる部分もあった)。細かい部分までほぼそのままで、過去の一部アニメで不満だった改変部分も原作そのままやってくれたので嬉しかった。おばあちゃん、原作では後の「パパもあまえんぼ」とかも含めて理屈ではないものから小学生ののび太を信じ受け入れていてその部分はここでも変わらないけど、ここでは理屈としても信じざるを得ない状況に導かれたとも言えるね。ただ、花火は夏しか売ってないってくだりはありつつ服装が半袖だったから夏かそれにほど近い時期なんじゃないの…?とは思ってしまった 


・子供のび太の声はリアルキッズか。他の仲間のキャストはずっと変わらない中、のび太だけは三世代でみんな違う。子供時代については全員オーディションも行ったが、イメージの殆ど変わらないジャイアンたちはそのままに、メガネの有無等で雰囲気が変わっているのび太のみ子役が演じることとなったらしい。 

・途中の不良3人組、原作のどっかで見たような気がするんだけど…黒おびのび太でもなかったし…どこだったかなぁ…?しかしあいつら、ポジションとしては重要だけど、スクーター(だよな)に乗ってるのび太に追いついたり、ちょっと執着しすぎじゃないかとか、ジャイアンたちが加勢するとわりと簡単に引き下がるんだなとかわりとツッコミどころはあった、笑えるレベルだけど。 

・そう!前作での不満点だったジャイアンとスネ夫の扱いについても今回は改善されていた!河原のシーンはもう言うまでもないだろう。ここはやっぱり嬉しかった。のび太をぶん殴ってもいいのはなぁ、俺たちだけなんだよ! 

・小ネタも今回探すと楽しいなぁ、ラーメン富士がカムカムキャットフードのあの店というのはわかったけど、あの店員さんは原作のおっちゃんではないなと思ったら、パンフレットの対談によるとあれは勉三さんだったらしい…‼︎小ネタ、まだまだ気付いてないの多いはず、もっとよく見たい。結婚式の参加者の中にも原作の名物キャラがいたりするんじゃないの…?知らんけど 

・手塚治虫のお札っていうのも僕としてはいろんな意味でめちゃくちゃ嬉しかったポイント!!!(小並感) 

・最後、のび太の記憶が消えちゃった。これで、大人ののび太が名前の由来を知らないのに説明がついて納得したけど、ちょっと寂しさもあるかなぁ… 

・声のゲスト出演も全員違和感なく溶け込んでた。大人ののび太、やっぱりハマってるわ…前作より板についてきた感じもするし。 

・前作は各エピソードは感動的ながらそれをいっぺんにやることでそれぞれが薄れる、軸がブレるといったところは難点だったけど今回はやっぱり軸がしっかりしていることで自然に感動できるのが良い。僕のピークはやっぱり「挨拶」のところ、本当に潤んじゃったもん… 


前作は大ヒットしたが、それと同時に否定派も根強かったと思う。今になって、その気持ちがわかってきたような気がする。その人たちが否定する根拠となったであろう要素が今作では多くが解消されているので、より勧めやすい作品になっていると思う。 

だいたい書けたのでこの辺でとりあえず締めます。 
良い作品を観させてもらいました!