
通称「わさドラ」が、4月15日で20周年を迎える。
大したものだ。
20年という節目を迎えられたのは、やはり快挙というほかない。
自分もがっつりわさドラの世代だ。
僕の人生には、いつもすぐそこにドラえもんがいた。
ドラえもんと共に、僕はここまで育ってきた。
その中でも、やはりわさドラの存在は大きい。
「ドラえもん」という作品をここまで好きになれたのも、間違いなくわさドラのおかげ。
僕は作品としては大山ドラもわさドラも対等に好きだが、関わってきた時間や濃度はわさドラの方が圧倒的に上回っており、その分の思い入れというのは、やはりある。
そんな風に過ごしてきたので、自分なりにわさドラやわさドラの歴史について語ることは結構ドラえもんそのものを語ることにも等しいと言える部分も出てきそうなのだが、20周年という記念になる年なので、いっちょ語ってみようと思う。
20年前の今日、2005年4月15日、わさドラ初回放送は当然のようにリアルタイムで視聴していたし、よく覚えている。新しくなった「ドラえもん」に、新鮮な驚きもありつつ、それ以上にやはり「このドラえもんも面白い!」と感じた。そのまま観続け、気がついたらもう20年。そんな感じだ。
僕は世代的にはわさドラへのリニューアルと小学校入学が一致しているので、ある意味では区切りがいい。
一応ドラえもん自体は、いつから好きかわからないくらい小さい頃から好きだが、幼稚園まではそこまで熱心なわけではなかった。思い出がないわけではないし、アニメも観てはいたが、毎週きちんと観ていたどうかも覚えていない。
幼稚園の頃までは専らウルトラマンに夢中な子供だったので、それ以外に好きなものはあっても言っちゃえばオマケのような感じで、ドラえもんもそういった作品のひとつだったのである。
そんな当時の僕にとって、わさドラへのチェンジというのは良い刺激になっていた。
なんであれ大山ドラにも数年親しんでいたためさすがに最初は違和感もあったが、すぐに受け入れられたしそこは大した問題ではなかった。わさドラへのチェンジそれ自体が「ドラえもん」というアニメへの注目度を大幅にアップさせる要因になっていたことも間違いなかった。
その上、新しくなり若返った「ドラえもん」は、子供心に親しみやすかったのだ。
こうして「ドラえもん」への関心が高まる中、図書館の本や家にあったコンビニ本等々を読むうち、僕のドラえもん好きは"ホンモノ"になっていったのだ。
そうした本の中で特に大きいのが「ドラえもんひみつ大百科 21世紀版」。あらゆる知識が身につき、夢中になった。僕のドラえもん史においてこの本の存在は大きい。
映画もわさドラ以降は全て映画館に観に行っている。最初の頃は自分の意思ではなく、地元のイベントの一環で観に行っていたのだが、おかげでこちらも区切りが良くなった。
こうしてわさドラのおかげもあり、僕はドラえもんに染まったのだ。そこからわさドラは僕の人生に密接に関わってきたため、全てを語ろうとすると本当にキリがなくなる。それほど僕にとっては大きいものなのだ。
友達と盛り上がったこと。てんコミを読み始めた頃、「アニメで見た話だ!」という感動がたくさんあったこと。アニメ30周年の企画に何度も応募したこと。カレンダーのプレゼントに当選したこと。10周年の時にも「うごくメモ帳」でお祝いしたこと。放送時間に間に合うように時間割調整したこと。放送時間変更に戸惑ったこと。一時期テレ朝系の映らない地域に住んでいささか苦労したこと…。全部、大事な思い出だ。
僕の人生にも、僕なりにかなりたくさんの苦労はあったが、いつでも"週末の楽しみ"としてアニメのドラえもんは存在していた。わさドラに支えられて、僕は生きてきたと言っても過言ではないし、おそらくそれはこれからも変わらないだろう。
僕にとって大きな存在なのもそうだが、「ドラえもん」という作品、コンテンツにとっても大きな存在であることは言うまでもないだろう。「ゲゲゲの鬼太郎」のように定期的に復活してリメイクされるシリーズでもなく、途切れずに続く長寿アニメとして、キャスト・スタッフほぼ総入れ替えという非常に思い切った形でのリニューアルを行ったのは後にも先にも「ドラえもん」だけだし、日本アニメ史においても大事件だ。
そんな風に再出発した「ドラえもん」、開始当初から決して順風満帆とはいかなかったはず。様々な手探りや試行錯誤、時には迷走なども経験しつつ歩んできた歴史はあるのだ。僕は開始から数年はリアルキッズとして出されたものを楽しむだけだったが、当時のブログなどを見るとそうした跡はかなり感じるし、それなりに大きくなってからもそんな雰囲気を感じたことがないわけではない。
世間からの風当たりという話題も避けては通れないと思う。そうしてガラッと変わったものに対して、否定的な人というのもやはりたくさんいるのだ。かつてほどの勢いはなくなったと思うが、今でも根強く存在していると思うし、バッシングを受けてきた歴史というのもあまり触れたいとは思わないが目を背けることもできない。
人それぞれ見解はあって当然だろうし、わさドラに首を傾げたくなる部分や欠点・難点が全く無いとも思わない。しかし、"わさドラを受容していたリアルキッズだった経験のある者"として言わせてもらうと、自分は「ネットを本格的に使い始めるまで、わさドラに否定的な人がたくさんいることなんて考えたこともなかった」。これは結構重要なんじゃないかと思う。子供は、何も気にしていないのだ。
ドラえもんはどちらかというと「ファミリー向け」であり、子供だけのものではないとも思っているが、それでもやはりメインターゲットは子供であり、そのメインターゲットたる子供の認識なんてそんなものなのだ。大山ドラを知らない現代の子供であれば、なおのこと疑問を抱くこともないだろう。
その上、毎年の映画の盛況ぶりや、藤子・F・不二雄ミュージアムでの賑わいなどを見ていても、わさドラの実力やわさドラが紡ぎ語り継いできたものは確実にあるということを感じることができる。やはり、伊達に20年歩んできてはいない。
こうして様々な逆境や紆余曲折を経て迎えた20周年、本当によくぞここまで来たと感じる。あと6年もすれば、先代に並ぶわけだ。「おめでとうと同じくらいのありがとうを君に」という言葉が、まさにピッタリだ。
ここまでいつでも僕の人生に寄り添っていてくれて。
ここまでドラえもんという作品を好きにさせてくれて。
本当にありがとうございます。そして20周年おめでとうございます。
これからも"わさドラ"が大好きです。まだまだよろしくお願いします。