12月8日、愛猫のマロンが永眠した。
15歳だった。
少し前から病気になり、一時入院もしていた。休みが来るたびに、僕は実家に戻って様子を見つつ、残された時間を一緒に過ごした。1日でも長生きしてほしかったが、ついに時が来てしまった。4日の日曜日に会ったのが最後になった。
最初に親からその連絡が来た時は意気消沈し嗚咽も起こり、しばらく動けなかったが、やはりどこか実感が湧かないような感覚もあった。
10日に実家に戻り、綺麗で安らかな顔のまま冷たくなり全く動かない状態で籠の中で横たわるマロンを見て、「ああ、本当に亡くなったんだ」ということを実感した。涙を堪えることができなかった。
次の日曜日、家族揃ってマロンの火葬に行った。これからこの可愛い綺麗なマロンの体がなくなるんだ、今度こそ本当にお別れなんだ…と思うと、ここでも涙が止まらなかった。こんなに泣いたのは、いつ以来だろうというほどだった。
いつかは必ずこの時がやってくる。
そしてそれはもう遠くない。それはわかっていた。
僕にとってそれは、最も経験したくない別れだと言っても過言ではなかった。
でも、そう思えるほどにマロンからたくさんの幸せと思い出をもらったのも事実。
マロン、今まで本当にありがとう。
マロンが我が家に来たのは、僕がまだ小学校3年生の頃。
当時まだ生後2ヶ月弱だったマロンを我が家で引き取り、家族の一員になった。うちに来たその日のことは、今でもよく覚えている。
それから、マロンとの日々が始まった。
はじめの頃は、可愛いと同時に「怖い」とも思っていた。猫と一緒に暮らしたことなんてなかったから。
でも、慣れてしまえばもう、愛情が深まっていくばかりだった。
マロンが大好きだった。
マロンの全てが愛おしかった。
僕は本当に、他の誰でもない、マロンという存在が大好きだったのだ。
マロンはそこにいるだけで、僕に、僕たちに、幸せをくれた。
小学校、
中学校、
高校、
大学…
僕はマロンと一緒にここまで育ってきた。
マロンはいつも僕の近くにいてくれた。
家に帰れば、必ずそこにはマロンがいた。ずっと、それが当たり前だった。
社会人になり一人暮らしをすることになった時、色々に期待や不安もありつつ、一番つらかったのが「マロンと離ればなれにならなければならないこと」だった。
それでも、心にはいつもマロンがいたし、度々実家に戻ればそこにはいつも通りのマロンがいて、変わらない様子で僕に甘えてきてくれたりもした。
そんなマロンとの日々が、終わりを告げた。
こんなに身近で、大事で、大好きな存在の死を経験するのは初めてと言っていい。
まだまだ悲しいし、現実を完全に受け入れられるようになるまでにも時間がかかりそうである。
もう実家に帰っても、世界のどこに行ってもマロンには会えないし、これから「マロンのいない世界」を生きていかなければいけないということも、辛くて仕方がない。
しかし、やっぱり、15年間でマロンからもらった計り知れないほど大きな幸せ、数えきれないほどのたくさんの思い出…これらは間違いなく「本物」なのだ。
マロンとの日々を、思い出を、マロンと過ごした幸せを無駄にしないためにも、これからも頑張って生きていきたい。
僕の心にはこれからもマロンがいるし、心の中でマロンは生き続けてくれると思う。
マロンに出会えて、本当に良かった。
うちに来てくれたのが、マロンで本当に良かった。
マロン、バイバイ、そしてありがとう。