フジツカ村

好きな時に好きなことを語るブログ

「お料理行進曲」の歌詞通りにコロッケを作る!

2021-06-26 21:14:18 | 藤子不二雄
お料理企画第2弾!

前回のジャイアンシチューに続き、今回は「お料理行進曲」の歌詞に合わせてコロッケを作ってみるぞ!!

念のために説明しておくと、お料理行進曲は「キテレツ大百科」のOPで、同アニメの曲としては「はじめてのチュウ」や「すいみん不足」と並んで有名。

1番では曲名通り壮大な行進曲のメロディでコロッケの作り方を歌い上げており、インパクトが大きい。
(ちなみに2番はナポリタン。実は僕、こちらは4年ほど前に既に作っているので、よければご覧ください)

細かい話は後にして、作るナリ!!

いざ進めやキッチン♪
目指すはジャガイモ♪


茹でたら


皮を剥いて


グニグニと潰せ♪



さあ勇気を出し
微塵切りだ包丁♪
タマネギ目にしみても
涙こらえて♪


炒めよう
ミンチ
塩・胡椒で♪


混ぜたなら
ポテト
丸く握れ♪



小麦粉卵に♪
パン粉をまぶして♪
揚げれば


コロッケだよ♪


キャベツはどうしたー♪♪



かんそうナリ

まず、当たり前といえば当たり前だが、コロッケと呼べる美味しいものは作れる。
実際できたものも手作り感はあれど美味しいコロッケだったので、味に関しては以前のジャイアンシチューほど語ることはない。あえて言えばタマネギが多くてタマネギ味になってた部分はあった気がするが、これは僕の匙加減によるものだ。

個人的なことを語ると、こうして自分でコロッケを作るのが初めてなこともあって、形作ってしっかり揚げるというのが最初の方難しかった。コツを掴んでいくとわりとコロッケとして形になっていったが、前半の方に作ったものは結構崩れてしまっている(載せている写真は比較的形になった後半に作ったものです)

あと、この調理方法で思ったことといえば、実践前から気になっていたことではあるが、ジャガイモを茹でてから皮を剥くのはあまり良くない。丸ごとなので火が通るのに時間がかかり、茹でた直後は熱いので皮を剥くのも一苦労。普通に作るならピーラーで皮を剥いて小さく切って茹でた方がいい。
ただ、しっかり茹でれば皮を剥くのはそんなに難しくないし、できるだけ「皮だけ」を取り除くことができるという利点もある。

まとめナリ

過去に作ったナポリタンもそうだったが、「お料理行進曲」の歌詞通りに作ってもその料理はちゃんと作れる。しかし、必然的に手作り感が強くなる上に、詳細な情報がないので分量や時間など自分で判断するしかなく、かなり個性も出るし、その人の料理の腕が試されると言ってもいいだろう。

まんま歌詞に沿って作ることはおそらくもうないだろうが、今回僕は、手作りコロッケも悪くないということを覚えた。今後も気が向いたら、度々作ってみたいところだ。今回で揚げるコツも少し身についたので、より良く作れそう。
料理は奥が深いし、楽しいね。


のび太のパパとママの年齢は?

2021-06-15 19:49:00 | ドラえもん
「のび太のママは、パパよりも年上の"姉さん女房"である」


さて、本当にそうだろうか?



「ドラえもん」に登場する、のび太の両親。
言わずと知れた、国民的知名度を誇るパパとママだ。
父・野比のび助36歳、母・野比玉子38歳。


作中で年齢に関してそれぞれに記述や言及があり、そこから上記のように「ママの方が年上」という風に語られることがある。

しかし、僕はこれに異を唱えたいのだ。

結論から先に述べておくと、「長期連載中に設定に変化があったが、パパの方がわずかに年上であることは作品通して変わらない」と主張したい。



早速、本題に入ろう。


まず、パパ36歳・ママ38歳という具体的な設定年齢だが、作中ではそれぞれ1回ずつしか出てこない。

パパの方は
「地下鉄をつくっちゃえ」(小学一年生1973年12月号掲載、てんとう虫コミックス第2巻収録)
で、のび太とドラえもんが作った地下鉄用の定期券に、名前と一緒に年齢が書いてある。

ママの方は
「恐竜の足あと発見」(小学二年生1985年7月号、てんコミ44巻)
であり、対象物ができてから何年経過しているかがわかるひみつ道具「年代測定機」をママに使ったところ、38年と出た。


ご覧の通り、掲載時期としても単行本の巻数としても大きなスパンがあるのだ。この2つを比較するのは、いささか無理があるのではないか。

というか、無理があるのだ。
それ以外の描写を照らし合わせていくと、時間が経って設定が変化していることや、パパの方が年上であることを裏付ける証拠がたくさんあるのである。


まずは初期の作品から考察していこう。

パパの少年時代に行く初期話として「白ゆりのような女の子」(小学四年生1970年6月号、てんコミ3巻)がある。
この回でのび太たちが向かったのは昭和20(1945)年6月10日で、パパがのび太と同じくらいの年齢の頃だ。掲載年の1970年から数えて25年前。初期設定で36歳だとすれば当時は11歳程となり、辻褄が合うようになっている。

詳しい説明は割愛するが、「この絵600万円」(小学四年生1972年12月号、てんコミ6巻)も過去のパパに会う話であり、この時学生服姿でのび太よりやや年上に見えるパパが当時13歳ほどとすれば現在36歳で矛盾しないようになっている。

以上から、「地下鉄をつくっちゃえ」にて登場した、パパ36歳の設定は少なくとも初期のうちは疑う余地はないだろう。


一方ママだが、初期にて彼女の少女時代に行く話として「ママのダイヤを盗み出せ」(小学六年生1973年7月号、てんコミ7巻)がある。
ここでのび太たちが向かったのは昭和23(1948)年7月10日。掲載年から数えて25年前。この時のママは見た感じのび太より年下に見え、仮に8歳程だとするとこの時のママの設定年齢は33歳程で、36歳のパパより少し年下ということになる。
後に明かされた38歳という設定から逆算すると昭和23年時点でのママは13歳ということになるが、どう見てもそれほど大きくは見えない。


初期話においてはママの年齢について具体的な数字は出ていないが、以上からパパよりは下である可能性が高い。


ここまでが初期の描写による分析だ。
これから先は、後期(厳密には設定変化後)の描写から分析していこう。

初期の他にも、パパの過去が描かれる話がある。例えば「夢まくらのおじいさん」(小学六年生1976年12月号、てんコミ14巻)も、パパがのび太と同年代くらいの頃にタイムマシンで行く話で、具体的には「三十年ほど昔」と語られている。
原作全体の基本設定である4年生として考えても、掲載誌と同じく6年生と考えても、30年前に同じくらいだとすれば現在は40歳は超えていることになる。三十年「ほど」と少しぼかした表現なのは、36歳から40歳程度へと設定が変化している最中にある段階だからだろうか。

「タイム・ルーム 昔のカキの物語」(小学四年生1988年7月号、てんコミ40巻)は、部屋をまるごとタイムスリップさせる道具で、やはりパパがのび太と同じくらいの頃にタイムスリップしている。ここでは明確に「三十年前」となっている。30年前に10歳ほどなら、やはり現在は40歳程度となる。

「『スパルタ式にが手こくふく錠』と『にが手タッチバトン』」(小学五年生1984年1月号、てんコミプラス1巻)では、のび太の「おじさん」が登場し、自らが年男だと語っているので、まず間違いなくこのおじさんは36歳だろう。このおじさんがパパの弟であることもほぼ確実で、必然的にパパは36歳の弟よりは年上ということになるのだ。

アニメについても参考として紹介すると、「逆成長グラス」(1994年9月30日放送)でも、パパがのび太と同じくらいだった頃が30年前となっている。

このように、当初「36歳」とされたパパの年齢だが、後に「40歳くらい」へと改められたことが考えられるのだ。


最後に紹介するのは「のび太が消えちゃう?」(小学六年生1981年2月号、てんコミ43巻)だ。20年前、「運命の別れ道」にいるパパの所に行く話だ。
この時のパパは、詰襟姿で、おじいちゃんには「もう子どもじゃない」と言われ、金持ちから本格的に結婚を持ちかけられている…といった描写があり、これらを加味すると20歳以上かつ大学生ほどの年齢と考えるのが妥当だ。20年前にそれであれば、やはり現在は40歳ほどだ。

また同エピソードでは単行本化(奥付によると1992年1月25日初版第1刷)の際にママとの出会いのシーンが加筆されている。ママはこの時セーラー服を着ているため高校生ほどだろう。現在38歳だと20年前には18歳となり、矛盾はない。そしてやはり、パパよりは少し年下ということになるのだ。



以上をまとめると

初期はパパ36歳、ママ33歳前後。
後にパパ40歳くらい、ママ38歳へと変わった。
どちらにしても、パパの方がやや年上なのは変わらない。

ということになる。これはほぼ間違いないと思うのだが、いかがだろうか。


しかし…こうした分析も、あくまで第三者による推測にすぎず、作中で正確に書かれた数字の前には無力なのだろうか。いわば、「サザエさん」におけるフネ後妻説と似たようなものなのだろうか…。

(今直接関係ない話題ですが、「フネは波平の後妻でありサザエは波平の前妻の娘」という設定は「サザエさん」には存在しないのでご注意ください)


しかし、同時に、作中に明確な記述がないだけで根拠としては十分すぎるほどあるのではないかとも思う。
特に、後期にてパパがのび太と同じくらいの年齢なのが30年前になっているのは、それだけで設定の変化を示せるのではないか。


ここまで読んでくださった方にお聞きしたい。

今回の記事を読んだ上で改めて、「のび太のママはパパより年上の姉さん女房である」と思いますか?

自らの言説に自信がある…と言うと厚かましく思われるかもしれないが、それ以上に、他の人から見てこの話がどこまで信憑性や説得力を感じられるものなのか、というのが気になる。

これを読んでどう思ったか、是非お聞かせください。

謎深まるレレレのおじさんの過去

2021-06-05 20:51:10 | 赤塚不二夫






レレレのおじさんは、「天才バカボン」の名脇役である。
いつも路上を掃除しつつ、パパたちに「おでかけですか?」などと声をかける、とぼけた感じが人気のおじさんだ。



基本的にチョイ役であるが時折目立った活躍をすることもある。
また神出鬼没のキャラであり、夜中でも路上に布団を出して寝ていたり、地中を掘り進んでいるとそこに突然現れたりすることもある。

ここで気になるのが、レレレのおじさんの「過去」だ。チョイ役ながら度々そのキャラが掘り下げられるレレレのおじさんだが、そこでのそれぞれの情報を総合すると彼が非常に謎の多い人物であることに気付かされるのだ。一度、その辺りについてまとめて考察してみたい。

…尚、長期連載作品において後付設定が増えて辻褄が合わなくなるというようなことはよくある話であり、まして天才バカボンはギャグ漫画なのだから、真面目に考察することはそれこそナンセンスなのかもしれないが、あえてそんな誰も触れることがなかったことに触れるというのは面白いんじゃないかということで、あえて今回はこの話題で真面目に語っていきたい。

さらに、レレレのおじさんは少なくともマガジン掲載分までの原作ではレレレのおじさんとは呼ばれず殆どは「おでかけのおじさん」と呼ばれているのだが、ここでは現在の公式名称であり一般認知度も圧倒的である「レレレのおじさん」の名称を使うことにする。
また、本編の時間軸は便宜上「現在」と呼び、「●年前」などの表現は非常に大雑把に用いる。

原作中にある「過去」

まず、レレレのおじさんの過去エピソードとして比較的有名だと思われる「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼︎」(竹書房文庫第19巻、月刊少年マガジン1975年11月号)から紹介しよう。
レレレのおじさんが、いつも道端で掃除をしている理由が明かされる回だ。

これによれば、レレレのおじさんは50年前に結婚し、そこからさらに5年後(つまり45年前)には最終的に25人もの子供に恵まれたという。現在はすでに全員、独り立ちする年齢にまで育っており、妻とは死別している。掻い摘んで言えば、たくさんの子供たちの相手をするのに箒を使っており、子供たちが巣立っても妻に先立たれても、その時の癖が抜けずに外をずっと掃除している…ということだ。

ここでの情報をまとめれば、レレレのおじさんは50年前には既に結婚するほどの歳になっており、子供たちも現在の時点で少なくとも45歳くらい(パパと大して変わらないはず)となる。レレレのおじさんは現在で推定70代ほどといったところか。おじさん、と言いつつほぼ「おじいさん」の年齢だ。
子供たちの自立の後、妻に先立たれたようなので、だいたい30年前に子供たちが自立、20年前に妻が死去と考えて問題はなかろう。
最も「正史」として扱うべきは、やはりこれだろうか。

次に紹介するのは「わしの初恋の若さなのだヤマちゃん」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年11月21日48号)。これはパパとママの馴れ初めエピソードだ。パパもママもまだ学生なので、概ね20年ほど前だろう。学生寮にいるパパがママにラブレターを渡しに行くときに、パパと同じ学生帽学生服のレレレのおじさんがお掃除をして「おでかけですか?」と見慣れた調子で声をかける。パパはその後、「いまおでかけのおじさんにあったので」と言っているので本人の可能性が高い。パパと大して変わらないように見えるので20歳くらいか。

ここでの情報では、レレレのおじさんは約20年前に20歳くらい、現在で40代程度か。…この時点で「あれ?」と思った方は多いと思う。それが、まだまだ序の口なのだ。

パパとママの馴れ初めから新婚までのエピソードは3部作で実質一続きになっている。
新婚エピソード「新婚はヤキモチだらけなのだ」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年12月5日50号)でもレレレのおじさんは登場する。この時点でレレレのおじさんは現在とほぼ変わらない姿だ。学生時代から大して時間は経過していない…多めに見積もっても5年くらいじゃないかと思うが、その間にレレレのおじさんは完成しているのだ。まぁ、ママももうこの時点で現在と殆ど変わらないので、これはあまり不自然ではないのかもしれない。

さらにややこしくなるのが、パパの赤ちゃん時代を描いた2部作「わしの生まれたはじめなのだ」「わしの天才がバカになったのだ」(竹書房文庫第10巻、週刊少年マガジン1972年1月1日1号・1月9日2号)である。
パパの赤ちゃん時代なので推定約40年前。なんとここでは両編ともレレレのおじさんは現在と変わらない姿で登場する。後編では赤ちゃんパパに「あなたはこれからもずーっとおそうじしてますよ‼︎」と言われているので本人だろう。

ここでの描写から解釈するなら、レレレのおじさんは約40年前で30〜40代で、現在70〜80代ほどと考えるのが自然だろうか。50年前に結婚して子供が生まれたとなると年齢上は一応無理はないが、子供たちはまだまだ巣立っていくような年齢にはなってないだろうし…?

そして直接「過去」が描かれているわけではないが、驚くべきなのは「竜宮カメちゃんわしのものなのだ」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年9月19日39号)だ。現在の話ながら、ここではなんと、レレレのおじさんの「むすこ」が2コマだけ登場しているのだ。10歳にも満たない感じで、明らかに先述の50〜45年前にできた子供たちの中の1人ではない。60代で授かった子供ということになる…?またレレレのおじさんは25人の子供を産んだ奥さんには先立たれているので、再婚した可能性すら浮上する。

分析

さて、閲覧者の皆さん。いささかややこしい話に、頭がこんがらがったのではないでしょうか。自分も書きながら、多少混乱してしまった。ここで、これまで挙げた情報を、時系列順に並べてみよう。


①50年前:結婚。まず5人の子供ができる。(推定20代くらい)
②45年前:子供が25人まで増える。(①からプラス5歳)
③約40年前:既に現在と変わらない風貌で外を掃除している。子供や妻はどうなっているのか不明。(推定30〜40代)
④約30年前:子供たちが自立。(推定40代くらい)
⑤-1 約20年前:妻に先立たれる。(推定50代くらい)
⑤-2 約20年前:お掃除はしているが、見た目も若く学生服姿で、当時のパパと同じくらい、つまり大学生。(20歳くらい)
⑥約15年前: 既に現在と変わらない風貌で外を掃除している。(⑤-2からプラス5歳くらい)
⑦10年未満前:息子が生まれる。(60代??30代??)
⑧現在:我々もパパやバカボンたちもよく知る、レレレのおじさん。(70代?40代?)

こうして並べたら、明らかにおかしいことはわかっていただけるだろう。これが全て事実で、全て同じ人だとすれば、突然若返ったり、かなり遅くに再婚して子供を作ったりしていることが考えられるのだ。

現在の年齢の説が2通りあるため、複数のパターンに分けて考えようにも、③でパパの赤ちゃん時代に現在と変わらない様子でいるレレレのおじさんだけはどうにも解釈が難しくなる。
そもそも何種類も存在すると考えることができてしまうレレレのおじさんって一体…。

やはり謎は尽きず、これだけでは結論も出そうにない。

疑惑

ここで、振り出しに戻るような形にはなるが、このことについて考えてみよう。

そもそも、これらの過去のエピソードは、どこまで信用に値するものなのだろうか?

こうしたエピソードが紹介される時は、殆どの場合はあの世界における「正史」として疑われることもなく語られるが、果たして本当に「正史」なのだろうか?よくよく見ればこれらのエピソードには、食い違い的な矛盾以外にも、描写としておかしな部分がいくつかあるのだ。

まず「はじめてあかす(以下略)」では、その過去や心情から照らし合わせると不可解な行動をとったレレレのおじさんに対してパパが「なんだかわかったようなわからないような話なのだ・・・・」と首を傾げるというオチになっており、微妙に疑わしいものを残している。

またパパは「天才バカボン」の初期の頃は「〜なのだ」という口調で話しておらず、時間が経つにつれてそうした口調が定着していった。つまり時系列的に言えば「天才バカボン」本編開始前の学生時代や赤ちゃん時代(バカになった後)はこの口調を会得(?)していないはずなのだが、ここで紹介した過去編ではいずれも既に「なのだ」口調になっている。

さらに、「わしの生まれた(以下略)」ではパパは生まれた直後に喋り出すほどの超天才児だったことになっているが、竹書房1巻「しゃべりハジメなのだ」にてハジメちゃんが生後2週間で初めて喋った時にパパは「わしゃ十三ではじめてしゃべったのに!」と語っている。

極めつけは「わしの天才が(以下略)」である。
この回の中で、茶々を入れてくるウメボシ仮面に対してパパのパパが「劇のじゃまをするな‼︎」と言って蹴っ飛ばすくだりがある。
言葉の意味が不明瞭で扱いに困るからか殆ど注目されていないが、これは聞き捨てならない台詞である。我々は、劇を見せられていたのだろうか。

ここでは割愛するが、これ以外にも過去編におけるおかしな部分はまだまだたくさんあるのだ。

もしかして…

パパのパパの発言は、実は大きな手がかりになる可能性がある。

我々はやはり、パパのパパの言葉にある通り、過去のエピソードを見せられているとずっと思っていたが、パパたちによる演劇のようなものを見せられていたのではないか。

考えてみれば、ここで紹介したエピソードはいずれも、「ドラえもん」のようにタイムマシンで実際の様子を見に行っているわけではない。

そして赤塚漫画はスターシステムを多用する漫画だ。「おそ松くん」で顕著だが、「天才バカボン」でも度々見られる。スターシステムというと、いわばキャラクターたちは役者であり、作品中で様々な役を演じるということである。
というか、バカボンには「漫画というのは役者が演技をしているもの」という前提で展開されるエピソードすらある(竹書房14巻「天才ハカホン」)。
そうした一貫として、パパたちが一種の再現ドラマを演じているのではないだろうか。
その場合、どこまでが正しい出来事なのかということの判断も難しいところだが…。

これが正しければ、レレレのおじさんが過去のエピソードにて度々登場するのも納得がいくのだ。

…などと書いておいて、気がついた。この仮説だと、パパの赤ちゃん時代や学生時代の話については説明がつかなくもないが、
「現在」の時間軸にて現れた、小学生くらいのレレレのおじさんの息子に対する不自然さは消えないことになる…。
レレレのおじさんが頑張ったと考えれば全く考えられないでもないが…。

う〜む。
この話題は収拾がつかないまま終わることになりそうだ。
「謎深まるレレレのおじさんの過去」という題に偽りはないので、いいのかな?

改めて

結論が出たようで出ていないような記事になってしまったが、いかがだっただろうか。

「天才バカボン」はギャグ作品といえど、キャラ設定や世界観や時系列はちゃんと存在する作品なので、そこでのレレレのおじさんの過去に関する謎めいた描写について前々から疑問を持っていたので、それを分かち合いたいと感じてこの記事を書いた。

とはいえやはり、「天才バカボン」はギャグ作品なのである。
そしてレレレのおじさんは先述の通り神出鬼没のキャラであり、いわば登場するだけでギャグになるともいえるキャラだ。
その神出鬼没さは過去のエピソードでも変わらないというだけなのだ。

レレレのおじさんは、時空を超えて作品に現れ、ぼくらを笑わせてくれるのである。


…というわけで、レレレのおじさんの過去は「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼︎」のみを正史として、あとはギャグとして深く考えない、とすれば問題ないと思います。


最後の最後に余談。

これまでは過去について紹介したが、未来についてもひとつ紹介しよう。
「20年後のお話なのだ(前編)」(竹書房文庫第10巻、週刊少年マガジン1972年1月30日6号)にて20年後のレレレのおじさんが登場。なんと「レレレ電気商会」の社長として登場するのだ。社長という事実もさることながら、どの時点で社長だったのか、という点も気になるし、何より現在で70代だとすれば20年後は90代になるはずで、そんな高齢でも変わらぬバイタリティを持っている。

つくづく不思議なお人である…。