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さすらい塞翁が馬

(旧タイトル『さすらい教師・大陸系』)

日本語教員として働いた中国での日々。
そして、帰国後。

2006年・春節休暇 ~ 広東省の旅5

2007年04月15日 16時19分40秒 | 旅行(中国)
★1/26(木) 潮州3泊目

今日は韓江の川向こうに行ってみる予定。ホテルに置いてあった小冊子に路線バスのことが載っていたので、それで調べてみて、この日はバスを利用することにした。

先ずは繁華街から10番バスに乗って、韓文公祠へ向かう。この街のバスはマイクロバスタイプで、バス停で待っていると、ろくに停車もせず、車内に引っ張り込まれるような形で乗車した。車内に引っ張り込んでくれた切符売りのオバチャンに行き先を告げると「今、その道は通らないんだ」と言われ絶句。バス停の表示板に「行き先変更」とか何とか書いとけよ!と思ったが、もう遅い。オバチャンには「橋を渡りきった所で降りればいい」と言われた。バスは運転が荒くて揺れがひどく、アナウンスも、もちろん電光掲示もなかった。

長い橋のたもとで降りてから、韓文公祠までしばらく歩いた。その間、バイクタクシーがしきりに声をかけてきて、少々うざかった。

韓文公祠は、山をバックに石碑が並ぶ静かな場所であった。思えば河南省に来た時から、この韓愈にはずいぶん縁がある。この旅行記も、もっと推敲すべきかな。

それからまた道を引き返して、今度は鳳凰塔を見に行った。が、近くで見ると老朽化が激しく、少し斜めっていた。なので現在は外から見ることしかできないようになっており、登ることができなかったのは、とても残念。

この日も日差しが眩しく、とても暑かったので、韓江を眺めつつ川沿いの東屋でしばし休憩。

その後、近くの泰仏殿にも行ってみた。ここはタイの華僑が建てたものだという。入り口で、お香売りのバアさんがしつこかった。そういえば私は、旅に出ると寺ばかり見ているな。まぁ、中学生ぐらいから神社仏閣の類が好きではあったけれども・・・。

そしてまたバスに乗って、ホテルに帰った。
今日は何だかとても疲れた。今までの疲れがドッと出たのかもしれない。長旅に無理は禁物だ。早めに休もう。

2006年・春節休暇 ~ 広東省の旅4

2007年04月15日 16時12分55秒 | 旅行(中国)
★1/25(水) 潮州2泊目

今日はゆっくり歩いて潮州を満喫。のんびりしていて、とてもいい街だ。ただ、バイクの量が多すぎる。運転マナーも悪く、どこから跳び出してくるかわからないので、道を歩いていて恐ろしかった。のんびりしていて気候も良くて、食べ物も美味しくて本当にいい街なのに、それだけが残念。

この日は繁華街を抜け、韓江という川沿いを歩いた。日差しが強く、とても暑かったが、現地の人は皆セーターやコートを着ていて厚着だった。きっと昼夜の気温差が激しいのだろう。ちなみに日中の気温は25℃くらいだった。

ホテルを出て西湖を横に見つつ韓江に出、道なりに歩いていると北閣仏灯が見えた。高いところに登れるので、入ってみた。上からは、韓江を渡る船に自転車オバチャンたちが乗り込む様子や、モーターボートも見えた。見晴らしの良い東屋のある場所には、ちょっとした展示館の他に小さな食堂もあって、庭でたくさんの猫が寝ていた。

この辺りはずっと立派な城壁に囲まれていて、洪水などから街を守っていたのだろうか、古き情緒あふれる佇まいであった。

それからしばらく歩いて、開元寺という国指定文化財にもなっている寺へ行った。中では特別に祈祷(?)を受けている一団がいて、9人の僧たちによる厳かな読経の声が響き渡っていた。若い僧の、歌のように小節のきいた読経を聞いているうちに、私まで心安らかになってゆくような不思議な気持ちになった。きっと疲れていたからだと思う。

それから近くに博物館があるというので行ってみたが、これはショボイものだった。

今日もずっと歩き通しで、しかも暑い日でもあったので、街を見ながら一度ホテルに戻って休憩した。夕方再び繁華街をぐるぐる回り、適当に食事と買い物をして一日を終えた。

2006年・春節休暇 ~ 広東省の旅3

2007年04月15日 16時09分05秒 | 旅行(中国)
★1/24(火) 広州→潮州1泊目

朝6時過ぎにホテルをチェックアウトして、長距離バスターミナルへ。昨日7時に来るように言われたが、乗り場への案内が6時50分に始まったので、早めに来て良かった。パネルを持った係員に誘導されるままについて行ったら、隣のバスターミナルだった。しかも、そこから先ず郊外のバスターミナルに行って、それからやっと潮州行きのバスに乗れるのだった。

郊外バスターミナルでしばらく待って、9時に潮州行きのバスに乗ることができた。バスは寝台タイプで、人一人やっとは入れるくらいの枠に汚い布団が置いてあった。しかし広州の予想外の寒さに勝てず、その臭そうな布団を掛けて寝転んでいた。朝早く起きたので、バスの中でずっとウトウトとまどろんでいた。途中、午後2時頃に昼食タイムがあって道端の食堂で停車したのだが、動いていないので腹が減らず、トイレにだけ寄った。トイレの様子は・・・描写できない!

予定では5時間半ほどで潮州に着くはずだったのに、渋滞に巻き込まれ、五時間経った時点でまだ恵州までしか来ていなかった。それはまだ3分の1ぐらいしか進んでいないということ。その後もなかなか目的地に着く気配がなかったが、どうすることもできないので、ただただバスで眠ったり起きたりを繰り返していた。

午後6時過ぎ、突然乗務員が「潮州に行く人、ここで降りて!早く!早く!」と言い出したので、跳び起きた。このバスは広州を出発して、いくつかの都市で客を降ろしながら進むのだったが、まさか途中で乗換えがあるなんて思わなかった。切符にも何も書いてなかったし、買った時も何も言われなかったので、当たり前のように直通バスだと思っていた。

やはりここは中国だ・・・“ありえない”の定義が違う。油断は禁物である。
この時、掲陽という街で降りたのは私も含め4人。私達は乗務員のオッサンに導かれ、掲陽バスターミナルへ。そこでオッサンが潮州行きの切符を買って、私たちに手渡した。一体どういうこと?と思ったが、それは中国なのだから、わからない。ありえないことに腹を立てるのではなく、楽しんでやろう!というふうに心の切り替えができないと、まいってしまう。私はこの時、広東語だか客家語だかで言葉が全然わからない+しかも初めてで全く知らない土地に一人+空が暗くなっていく不安…を好奇心に変換していた。

30分くらい待っただろうか・・・そこから、揺れで窓が開いてしまうようなボロいバスに乗り、最終的に潮州に着いたのは夜8時頃だった。

潮州バスターミナルでバスを降りると、そこは街の中心地だったので、すぐに適当なホテルを見つけることができ、ホッとした。ホッとしたら急に小腹が減ってきたので食事をしようと思い、すぐ近くの繁華街に出てみた。街は道が狭い割に交通量がとても多く、危険だった。

その日は海鮮炒麺を食べた。海が近いので魚介類が大変おいしかったが、店員に日本人であることを見抜かれ、ジロジロ見られてあまり食べた気がしなかった。
今日一日いろいろあったが、潮州の気候の暖かさのもとに全てを許すことができた。

2006年・春節休暇 ~ 広東省の旅2

2007年04月15日 16時03分35秒 | 旅行(中国)
★1/23(月) 広州2泊目

朝のニュースでも放送されていたが、広州駅の混み様は尋常じゃなかった。ホテルから駅近くのバスターミナルへと潮州行きの切符を買いに行く途中、道に長い列ができていたので「何だろう?」と思ったら、その500mくらい先が駅の切符売り場だった。結構広い駅前広場だが、駅内の待合室に入れない人でいっぱいになっていた。春運(春節の帰省ラッシュ)恐るべし!!

駅向かいの流花汽車站(長距離バスターミナル名)で潮州行きの切符を購入。それから地下鉄に乗って、『地○の歩き方』に載っている旅行会社に帰りの切符を予約しに行った。広州市内は地下鉄が伸びていて、とても便利。しかし肝心の帰りの列車の切符は予約できないと言われた。最近、切符の買い占め規制等が厳しくなったようだ。それにしてもカウンターのお姉ちゃんの態度が悪い。まあ、ここは日本じゃないから仕様がないけど。

それから繁華街・北京路→六榕寺へ。小さなお寺だった。近所の光孝寺にも行ってみようかと思ったが、寺の周りには物乞いや怪しげな自称占い師が多く、しきりに話し掛けてくるので、門の近くまで行ったけど嫌になって引き返してしまった。

そこから陳家祠(陳氏書院)へ向かう途中で、玉器やアンティークを所狭しと売っている細い通りがあって、面白かった。古い時計でかわいいのがあったけど、荷物になるので見るだけにしておいた。

陳家祠は建物に見られる彫刻が立派だった。中には工芸美術品などが展示されていて、外国人客も多く訪れていた。

そして頑張って繁華街その2・下九路方面まで足を伸ばし、また地下鉄に乗ってホテルに帰った。今日は1日中歩きっぱなし。本当に疲れた。

2006年・春節休暇 ~ 広東省の旅1

2007年04月15日 15時58分21秒 | 旅行(中国)
★1/22(日) 河南省新郷市(当時の勤務地)→広州1泊目

今日はいよいよ広州へ向かう日。先日の雪で交通に影響が出ているそうなので、早めに家を出た。午前9時に新郷駅へ行き、駅構内バスターミナルから鄭州行きのバスに乗った。新郷→鄭州までは約1時間で着く予定である。毎度のことながら、バスに乗るなり眠ってしまったのだが、目が覚めたら既に11時15分だった!雪と帰省のため鄭州市内の道路が渋滞していたのだ。本当に大雪が降ったようで、道はガタガタな上、幅も狭くなっていた。そのままバスはダラダラと走りつづけ、鄭州駅前バスターミナルに到着したのは11時40分だった。

大幅に時間をロスしてしまったため、民航大酒店から出ている空港行きバスに乗るのは諦め、駅付近でタクシーを拾おうとしたが、皆お客を乗せていて、なかなか捕まらなかった。やっと空車を見つけたと思ったら、空港まで150元と言う。まぁ、いっか……午後2時の飛行機に乗るのに、空港に着いたのは午後1時。ぎりぎりだ。急いで搭乗手続きをしようと窓口に行くと、「広州行きの便は、悪天候のため1時間半ほど遅れる」と書かれた張り紙が・・・。ああ、急いで損した気分。

結局、広州空港に着陸したのは夜6時頃になってしまった。空港出口前からは、たくさんのバスが出ていたので、駅行きに乗った。車内アナウンスが広東語・普通語(中国の標準語)・英語で行われていて、「遠くに来たもんだぜ!」ということを実感できた。

30分くらいで市内へと到着し、バスを降りたらホテルの勧誘に捕まった。「ホテルを紹介するよ。」と言ってパンフレットを見せてくるので、ちょっと話を聞いてみたら、安くて部屋の感じもまあまあだったし、近いと言うのでオバチャンに案内してもらうことにしたのだが、実際のところ結構遠かった。

以前、安く宿を斡旋しておいて、部屋についたらしつこくツアー参加を勧める人がいたので、歩きながらオバチャンと話しつつも「私はこれから潮州へ行くんだ。広州は通過点にすぎない。」ということを、それとなく強調しておいた。しかし私が心配するまでもなく、オバチャンは「どこで切符を買えばいいか」などをいろいろ教えてくれて、本当の善人だった。オバチャン、ちょっとでも疑ってゴメンよ。

チェックインをすませ、近所のスーパーで少し買い物をしてから、部屋で風呂に入った。久々のバスタブだ。日本から持ってきた温泉の素を入れて極楽気分。それでも今日の広州は、思ったより寒かったのがショック。

2005年、国慶節~長沙⑥

2005年10月06日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
10月5日(水)

今日は最終日。
17:10発の帰りの列車に乗るまでには時間がある。
ホテルを昼頃チェックアウトし(中国は昼12時までにチェックアウト)、とりあえず駅に向かった。
最後の日に天気は暖かくなって、半袖でも大丈夫なくらいだった。

まだ時間はあるし、どうしようかと考えた結果、駅から比較的近い所にある烈士公園に行くことにした。
この公園は結構大きくてきれいだったけど、入場は無料だった。
公園内には烈士塔のほかに、遊園地みたいなものや湖もある。

湖にはいろいろな種類のボートや船があったが、湖一周船というのがあったので、私はそれに乗ってみた。
一周するといいながら、半周だったのには苦笑してしまったが……。
嬉しそうにボートを漕ぐ家族連れや、時代遅れのアトラクションなどを見ると、何だか日本の昭和時代の旅行のようで面白かった。

あとは駅に戻って、買い物をしたり食事をしたりしてから汽車に乗り、いろいろあった長沙ともお別れ。
住みなれた街へ帰る安堵感と、連休が終わってしまう切なさ。
人々の様々な思いを乗せて、列車は時間通り、鄭州へ向けて出発したのであった。

            

……と、大変な旅ではありましたが、「中国滞在3年目にして生活にも慣れ、すっかり緩んでいた気持ちを引き締める良い機会になった」と思うことに致しますよー!!
(でも、あのデジカメ気に入ってたんだよなぁ……

2005年、国慶節~長沙⑤

2005年10月05日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
10月4日(火)

次の日、じっとしていてもしょうがないので、再度岳麓書院へ行って、落し物が届いてないか尋ねてみた。
でもやはり、連休中で観光客が多かったせいもあって、「知らねえよ」と一蹴されてしまった。

それから、どうしたらいいのかわからないまま街をぐるぐる回っているうちに、王陵公園にたどり着いた。
ここにも西漢長沙王室の墳墓がある。
墓跡のある小山を登っている途中、名前は忘れてしまったが、根元から八股に伸びている木があった。
近くの看板に「縁起がいい」とか「幸運を願う」みたいなことが書いてあったので、無理は承知だけれども一応「パスポートだけでも戻ってきますように」と祈っておいた。

そして失意のままにホテルに帰り、フロントで切符が取れたかどうか訊いてみると、「明日も明後日も空席はないようだ」とそっけなく言われ、目の前が真っ暗に……。
河南に帰ることさえできない!!もう、絶体絶命だ。

とにかく一休みしてから、また考えよう……と思って部屋に帰ったら、ベッドのわきに何やら伝言が。
「あなたが失くした物は見つかりました。帰ってきたらすぐに派出所に電話して下さい」と!!

ええっ~!?私は驚きつつも天にも昇るような気持ちで、すぐさま派出所に駆けつけた。
デジカメとお金(及び貴重品ケース)は戻って来なかったが、パスポートとカードと切符のみ届出があったのだそうだ。

派出所に行くと、警官が懐からその3点を取り出し「お前のだな。」「はい、そうです!」「なら、もう帰ってよろしい。」「ありがとうございましたー!」と、あっけない結末。

24時間ぶりに一件落着……とまではいかなかったものの、こんな乱雑な街でパスポートが返ってきただけでも奇跡だと思った。
切符も見つかったため、予定通り河南に帰ることもできる!

2005年、国慶節~長沙④

2005年10月04日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
10月3日(月)

この日は朝、リュックを駅に預け、岳麓山風景区をまわってから、夕方には岳陽(長沙から2時間ぐらいの所)に移動する予定。
この日も天気が悪かった。
ロープウェイに乗ったのだが、風景区だというのに、もやがかかって何も見えなかった。

中国ではロープウェイといっても、実際はスキーのリフトだったりする場合が多い。
今回もチャチなブランコみたいな椅子で、ものすごい高さの所まで吊り下げられ、落ちそうで怖かった。
「手すりが落ちたら、どうしよう」とか「停電で止まってしまったら、どうしよう」とか、そんなことばかり考えてしまう。
が、今日は岳陽への移動もあるので、体力を使い切ってしまうわけにはいかない=楽をしたかったのだ。

乗っている時間も結構長かった気がする(30分くらい?)。
高所恐怖症の人には絶対おすすめできないと思った。
しかし、行きはこの様におびえていた私だったが、復路では腹が減ってパンを食む余裕ぶり。
恐怖の中にありながら、空腹に勝てない自分の生命力に呆れた。

山の中には、古麓山寺や愛晩亭などの見所が散在している。
その他にも黄興と蔡鍔という人の墓が、それぞれ長い階段を上りきった所にある。
墓碑を見ると、二人とも近代日本に留学経験があるようだった。

この日は時折小雨も降るなど、とても寒かったのでムキになって山歩きをしていたら、却って汗だくになってしまった。
その後、岳麓書院(宋代につくられた大学跡)を見てから、バスに乗って駅へと向かった。
疲れてヘトヘトだったが、バスでは運良く席に座れたので、そのままグースカ寝てしまった。

次は岳陽行きの列車に乗る。
駅に着いたところで切符を出そうと思ってバッグを開けたら、……なんと貴重品入れとデジカメがない!!

ああ、岳麓山で汗をかいた時に、暑かったので首から提げて服の中に入れていた貴重品入れと、デジカメをバッグにしまったのだった。
しかし最終地点の岳麓書院にいた時は、まだあったはず。
そこでデジカメのバッテリーがなくなったので、やはりバッグに入れたのだ。

バスの中では、膝の上にバッグを置いていたし……チャックもきちんと閉まっていた……そういえば、岳麓書院の門を出る時に人が多かったな……いや、バスに乗る時も揉みくちゃになった……
等々、疲れて注意力も散漫になっていたようで、一体いつどこで盗まれたのかサッパリ見当がつかなかった。

それにしても、私はなんてウッカリ者なのだろう!も~ぅ、いい気になって!バカバカ!!

そりゃあパニクったとも!
貴重品入れにはお金の他に、パスポート・カード・帰りの切符が入っていたのだから!!
狼狽しすぎて本当にどうしたらいいのかわからなかったので、すぐに近くにいた若い警官をつかまえて事の次第を話した。

しかしこの警官、国慶節期間だけヘルプで来ていたのだか何だか、「岳麓書院でパスポートをなくしちゃったの!外国人だから、どうしたらいいかわかんないよー!」と言っても、岳麓書院という観光地名がわかってない様子。

とりあえず駅の派出所に連れて行かれ、他の先輩警察官に引き渡された。
一とおり事情を説明すると「お前は外国人だから、外事警察に来てもらう。ちょっと待ってろ。」と言われ、派出所内で待機。

その間、本当にいろんな人が入れ代わり立ち代わりやって来た。
中にはスリとか偽札所持者とか、人身売買の疑いのあるものも……。
それにしても警官達の中国人に対する態度がとても横柄かつ乱暴で、そんなのを目の当たりにしてしまった私は生きた心地がしなかった。

こんなんじゃ、この先どうなっちゃうんだろう……と心細くて泣きそうになった。
それを察したのか警官が「もうすぐ来るから、もうちょっと待て。な?」などと、私に対しては優しく声をかけてくれたのだが、そう言われてもねぇ?……複雑な気分だった。
この派出所内にいた警察官達は皆、噛みタバコみたいな檳榔というものをクチャクチャしていて、口の中が真っ赤だった。

どのくらい待っただろうか……やっと外事警察だという女の人が来て「もう一度岳麓山へ行って、そこの派出所に届出よう」ということになり、パトカーに乗せられた。
それから、岳麓派出所で取調べを受け、調書を作成し、紛失証明を発行してもらった。
警官達は私相手に一生懸命、標準中国語で話してくれたが、それでも外事警察の女の人以外はかなり訛っていて、何度も聞き返してしまった。

困ったことに、中国では身分証がないとホテルに泊れない!ということで、刑事さんに派出所近くのホテルまで一緒に来てもらい、事情を説明してもらった。
ホテルのフロントで本当に(中国でもドラマみたいに!)「こういう者だが」と警察手帳を見せていた。

幸いお金は分けて所持していたため、宿泊費等はまだ残っており、そこで帰りの切符も予約した。
それから警察官にお礼を言ってホテルの部屋へと向かうと、心身ともに疲れがドッと出た。

外国人の“命”とも言うべきパスポートを盗まれてしまったドジな私……。
とにかくショックでショックで、ただただ呆然とするのみであった。
(もちろん岳陽行きは中止である。)

2005年、国慶節~長沙③

2005年10月03日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
10月2日(日)

天気が悪く肌寒い。
来る前の天気予報では、軽く30℃を超えていたのに、何なんだ?この変わりようは??
せっかくこんなに南に来たのに、最高気温18℃じゃ河南と変わらないよ!

さて、この日は先ず湖南省博物館へ行った。
この博物館の中心となるのは、やはり馬王堆漢墓関連の出土品であるが、全体的に展示物はすばらしいものばかりであった。
中国は長い歴史を有する国だけあって、出土品もパンパじゃない。
「日本でこんなのが出てきたら、大発見だよ!新聞の一面を飾れるよ!NHK特集だよ!!」というようなものが、さりげな~く置いてあったりして。
中国ではたくさん出るから、大して珍しくもないのだろうね。

そしてメイン、前漢長沙国宰相夫人・辛追の遺体と対面!
30年ほど前の発掘調査の際、まるでさっき死んだかのような、非常に良い保存状態で発見されたもの。
今はホルマリン漬けになっているけれど、皮膚も髪も、みんな残っている。
まさか2000年以上も経って掘り起こされて、衆人環視の的になるなんて思ってなかっただろうな。
口元が緩んで、ちょっぴりアカンべ~&歯茎ちゃん状態になっている。

それから開福寺という寺院を見に行った。
開福寺は楚の時代から続く古くて格式のあるお寺だそうだが、残念ながら寺も含め、付近一帯が工事中だった。
しかし、改装中ながらも中を見ることはできた。

立派な門をくぐって入場券を買い、中に進もうとしたら切符きりのオバチャンに呼び止められ、お香を渡された。
ここでは、入場料に“お香代”も含まれていたのだった。
ここのお香は、日本のお線香とは全く違い、見た目は手で持ってやるタイプの花火にソックリ。(もちろん煙しか出ないけどね!)
中国ではどう寺を拝むのか、わからなかった私は、周りの参拝客達を見てマネすることにした。
見よう見まねで手を合わせてお辞儀をしたり、クッションにひざまずいたり……。
寺院内には若い方からお年を召した方まで、いろいろな尼さんが静かに仏像を見守っていた。

そして寺院の前の通りは、自称“占い師”でいっぱい!
私は手相のオッチャンに「アンタ、きっといい相が出てるよ。見てやるから寄って来な!」と手を引っぱられたりもしたが、「いいです!結構です!」と振り切って逃げた。

それから、湘江という大きな川沿いを歩いた。
この付近には船着場や杜甫江閣などが点在している。
川の中洲は橘子洲と呼ばれ、結構広い。公園もあるが、今回は遠くから眺めるだけにした。
そのあと『地球の迷い方』いや、『地球の歩き方』に「天心閣から町全体を見渡そう!」みたいなことが書いてあったので、実際に天心閣まで行って登ってみた。
が、思ったより低く、見晴らしもそれほどではなかった。

今まで「一人旅って寂しくない?」と思っていたけれど、今回それなりに楽しんでいる自分が不思議だった。

2005年、国慶節~長沙②

2005年10月02日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
10月1日(土)

列車は2時間ほど遅れ、長沙に着いたのは午後1時頃。
駅から出ると、すぐにホテルを探した。
駅前通りにホテルが幾つか並んでいたので、フロントで「空き部屋はあるか?一晩いくらか?」等を尋ねてみる。

が、思いのほか方言がきつく、何を言っているのかサッパリわからないことが多かった。
この程度の中国語で困ったのなんて、何年ぶりだろう。
中国語がわかる人にしかわからない例かもしれないが、「衛生間」が「VCD」に聞こえるんですぜ!

その後、無事ホテルも取れたので、少し休んでから、馬王堆漢墓の発掘跡地を見に行った。
地図とは違う場所にあって、少し迷ったが、とある病院の敷地内にそれはあった。
現在は、墳墓の小高い山と地下深くまで掘られた穴(棺が安置されていた場所)があるのみ。かなり深かった。
今から30年前、こんなに深い所から棺を運び出したのか……当時は大変だったろうな……。
パネルの写真に写っている作業者は、みんな人民服に人民帽という出で立ち。
いろんな時代を感じさせる空間であった。

市内は路線バスがたくさん出ていて、移動には便利……といえば便利なのだが、運転手の勤務態度は最悪だった。
運転が乱暴なのはもちろん、ほとんどのバスでアナウンスを流さない。
これでは地元民以外は、どこを走っているのか全然わからない!
その上、停車場で停まらなかったり……。
おかげで何度も乗り越してしまった。

街全体の印象からして乱雑な感じがした。毛沢東の故郷というだけで、全てがおざなりになってるような。
その他、バイクタクシーが非常~に多かったのが印象的。

夜、ホテルの近所の食堂で地元の料理を食べた。
ガイドブックにもあるとおり、やっぱり長沙の料理は激辛!
メニューには“ピーマンと肉の炒め物”と書いてあったが、出てきたのは緑のトウガラシと肉の炒め物だった。

それと、中国の旅で個人的に楽しいと思うのは、地方ごとに必ず、ご当地限定ビールがあること。しかも“市”単位で!
青島ビールや北京の燕京ビールのように、比較的有名で、全国区で売られているものもあるが、それぞれの街にそれぞれのビールがある場合が多い。
例えば、河南省開封市なら●京ビール(「●」は、さんずい+「下」という字の上に「ヽ」)、新郷市なら航空ビール、焦作市なら月山ビール……というように。

湖南省長沙市のビールは、白沙ビールという名前だった。
湖南の辛い料理を食べ、地ビールを飲む。嗚呼、至福の時!(オヤジ度UP!!)

2005年、国慶節~長沙①

2005年10月01日 00時00分00秒 | 旅行(中国)
中国では5月の労働節(メーデー)の時と、10月の国慶節(建国記念日)の時と、年に2回のゴールデンウィークがあり、ほとんどの学校や会社は1週間ほど休みになります。
今回、私はこの休みを利用して(民族大移動の中!)、湖南省長沙市へ旅に出かけました。

            

9月30日(金)

午後の授業を終え、夕方にはシャワーも浴び、準備完了。
夜8時半頃、ある学生とその従兄弟の車で駅に向かった。
鄭州(省都)行きの汽車が遅れたので焦ったが、乗り換えには間に合ってホッとした。

鄭州で22:50発の列車に乗った。
国慶節だけあって、列車の中は通路まで人でゴッタ返している。
長い時間、することも無いので日本から持ってきた本を読んでいたら、近くの席の人達に「アンタ、何読んでるの?」「日本語を勉強してる人?」「この人、日本人なんじゃない?!」などと、回りが騒然となり、みんなの質問攻撃を受けることに。
中には「マジで日本人?じゃあ何で俺らの話がわかるんだよ?」などと疑ってるお兄ちゃんもいて、おかしかったが、まあ毎度のことである。

列車内では水や食べ物、ご飯時には弁当や果物、それに子供用におもちゃなど、いろいろなものを売りに来る。
中でも面白かったのは、列車員による靴下の実演販売。金属製のペット用ブラシみたいなのでゴシゴシこすったり、引っぱったり、客にもやらせたりして、「破けない!」と力説してみせた。

北朝鮮の記念切手セットは、一瞬買いそうになってしまった。……見開きに金日成・正日父子の顔がイイ感じに描いてあったのが、妙にレアだった。