まあ、どうにかやってる淡野寧彦(TANNO Yasuhiko)の活動状況報告

お堅い内容はこちらから https:/researchmap.jp/read0139951

10歳頃の自分がやっていたステイホーム的趣味で,子どもと接する今日この頃

2020年05月06日 | 日記
ゴールデンウィークに入りましたが,新型コロナウィルスの影響で外出等を
自粛せざるをえず,ニュースで流れる例年ではありえないほどの閑散とした空港や
駅の様子を自宅のテレビで過ごす日々となっています。
わが家でも,本来であれば妻の実家に帰省しがてら,首都圏方面を観光する予定を
立てていたのですが,当然ながらそれは中止。
暑いほどの晴天の下,狭い狭いベランダでルッコラ栽培を始めたのが新たな出来事に
なるほどのステイホームな連休を過ごしております。

新型コロナの影響により,様々な立場の方々の苦境や負担も耳にするようになりました。
私自身,幸いにして生活面での即座の困難は生じてはいませんが,教育・研究等の
ための行動にはかなりの制限があり,工夫が求められているのが現状です。
例えば前回の記事にも書いた通り,大学としての教育方法は「遠隔授業」となって
いますので,4月下旬には指導学生20数名(ゼミ生だけでなく,ゼミ配属前の学担
学生も含む)と数時間かけてZoomで個別面談しました。
これ自体は大きな支障なく,新しい面談方法がありうるといった経験を得たのですが,
同時に,対面ならば当たり前でできる,互いの顔を見て声を聞いて話す,といったことの
ためのセッティングがうまくいかない場合があるなど,プラスの時間や労力が必要と
なりました。
互いの遠隔を保つためのオンライン授業は他大学等でも実施されつつありますが,
上記の通り,今後に向けたプラス面もありつつも,試行錯誤や苦労があろうかと思います。

これとともに,連休中は我が子たちと接する機会も増えます。
先述のようなレジャーが実現していれば,まあ,これはこれでその場その場での
大変なこと(子どもが機嫌を悪くして泣いてその場を動かないとか,それをきっかけに
夫婦間で揉め事が起こるとか)もあるのでしょうが,パワーと主観的に長く感じる時間を
持て余した子どもを満足させるための手段が,いつも以上に求められるところです。

自宅内での子どもの遊びの1つが,プラレール。
淡野自身も同じ年頃にお世話になったおもちゃですが,大人になり,子を持つように
なってから気が付いたことがあります。
プラレールって,電池を入れてスイッチをonにすれば勝手に走り出すおもちゃなのですが,
子供(「供」も漢字なのは,そのくらいの年代という意味で使い分けてます)は存外,
この機能を使いません。すなわち,自分でプラレールの車体そのものをがっしりと持ち,
大概において電車の動きを想像させる擬音語を自ら発しながら動かすのです。
例えば「ガタンゴトン」とかは絵本なんかにも出てくる定番の擬音語ですが,
家に居ながらにしてyoutubeで様々な電車風景に接する我が子的には,発車時に
「イーー,ウーーーー,ウーーーー,ウーーーー」のような声を発していて,
それVVVFねと淡野自身も多少苦笑いしながら見ております。
ちなみにVVVFって何のこと? と思われる方は,wilipediaを読んでも
いまいちわかりにくいと思うので,youtubeのほうでこの単語を入れてもらえれば
たくさんヒットしますよ。たぶん,興味のない人は引くくらいの数です。

それにしても思うのは,電車のテンプレ的な「ガタンゴトン」という音は,
線路の切れ目部分を電車の車輪が通ったときに発せられる音なのに対して,
VVVFのほうは電車そのものから発せられる音なので,実は注目点が
少し違うわけです。これなんかも,電車に乗って移動するということ自体の
関心だけでなく,電車そのものというか,細部に関心が向けられるように
なった現れとも解釈できますね。
あるいは,電車はどんな音を出して走っているのか,という点からすれば,
社会の当たり前や認識なんかを読み解く視点(音だから「聴点」?)の1つに
なるかもしれません。例えば,現在はまだ開発中のリニアモーターカーが
「ガタンゴトン」という音を立てて走るはずはないし(浮いて動くので),
線路の上を走る新幹線ですら,「シャー」といった音に紛れて小さく,
「カタン」,「コトン」と聞こえてくる程度にすぎません。
人間というのは,若いうちに当たり前のものと信じたことをなかなか
修正できない生き物ですが,ふと今の現実をなるべく先入観なしに
見聞きする機会があれば,世の中の変化を実感できるのかもしれませんね。

まとめのような書き方になりましたが,上の段落,完全に余談です。
うちの子が自宅でプラレールを自ら動かして遊んでいるという話に戻って
(自分で長々とした余談に振っておいて,なんと強引な引き戻しだ),
親にも参加を求めてくるわけですが,まぁ正直,そんなに楽しいものでは
ないし,長く続けるにはしんどい遊びでもあります。
しかも,こっちが本格的に一緒にやろうと心づもりしたくらいの頃に,
子どものほうは飽きて別の遊びを始めたりもするものです。
そんなとき,自分が子供の頃にやっていた遊びの一工夫を思い出しました。
はい,ここからようやく本題です。

先述のyoutubeにて,我が子らがよく見ているのが近鉄の大和西大寺駅の動画。
あっ,これもなかなかの動画があふれてますよ。電車に興味のない人でも,
よくもまあ,こんだけの電車が同じ地点をぶつかることなく毎日動き回って
いるのかと,感心してもらえるものと思います。
で,子ども(主に下の子)が自身でプラレールをもって電車を駅らか発車
させているのを見て,これならもう少し大人の自分も楽しくできるのでは,
と思いついたわけです。すなわち,行先表示板の作成・活用。

とはいえ,すでに40歳を迎えたおっさんである淡野としては,全部が全部,
子供の頃と同じではいかがなものかということで,大人なりにできるこだわり
から始めてみます。

まずは近鉄大和西大寺駅から発車する電車の主だった行先表示を,ネットで
調べながらなるべく忠実に作ってみます。うむ,我ながらなかなか良い出来だ。
そしてここからが10歳頃の自分とのコラボ。

次に,枠線に沿ってなるべくきれいにカットしていきます。
ただこの作業,正直ハサミで切っても十分です。

1つずつの断片になったものに,その上側表面にセロハンテープを貼って,
別の断片の裏側にテープを回して貼り付けます。
同じ作業を何度か行い,数枚の断片が上側でくっついた状態にします。

テープの付いていない側が広がってくるので,手で押し付けてなるべく平らに
したら完成です。1つ前の写真もあらためて見てもらえばよくわかりますが,
あとは断片をめくってそれを裏側に回すと,次の行先表示が出てきます。
以降は,テープでくっつけた断片をひっくり返し続けることで,表示を何度でも
表示できることとなり,次にやってくる電車(の想定)に随時対応できます。
これを2つ3つほど作れば・・・

「1番線から奈良行快速急行が発車します。」
「2番線から大阪難波行急行が発車します。」
「イーー,ウーーーー,ウーーーー・・・」が実現。
発車させた後,何の仕掛けもないなら,子どもの動きにあわせて電車(プラレール)を
ただただ動かすだけですが,これなら「次は何の電車にする?」と子どもと
会話しながら,次の目的地へと向かう電車を設定できます。
そう,面倒をみる親にとっても,「目的」ができちゃうわけですね
(文字にしてみたらあんまりうまいかけ言葉ではなかったな・・)。
ちなみにこの行先表示板もどきの装置のことを,「パタパタ」と呼んでました。
あっ,ここで問題。なんでこの装置を「パタパタ」と名付けたか,わかりますか?
装置の形状もヒントになりますが,想定外にここまでの記述が伏線になってました。
よろしければ,お考え下さい。



では,答えを。
30年ほど前,淡野の子供時代,よく利用していた近鉄では,ホームなどの
行先表示板は今のような電子画面によるものではなく,横長の2枚のプレートが上下に
そろって1つの目的地や列車種別を示す仕組みになっていました。
文字だけでの説明は難しいのですが,この表示が変わる際に,物理的に
「パタパタパタッ」という音が発せられて,「次は何の電車が来るのだろう?」
という子供心をくすぐるものでした。この音がそのまま,名前の由来となりました。
電車そのものがそこまで頻繁に来る地域に住んでいなかったこともあるのか,
そしてなんでもかんでも乗りたい電車に乗れるわけではなかったためか,
電車自体よりもこの行先表示板に強い関心を持っていたように感じられます。
今やこうした装置はほとんどないはずで,そうなると現在の子供たちが行先表示板の
ことを「パタパタ」と呼ぶことは,当然ながらまずありえないわけです。
普段の行動の中でどこかしらに聞こえてくる音の有無が,認識の差異にも結び付く
一例といえるのではないでしょうか。

さらに,この装置を考え付いた頃のことを思い出してみたのですが,
自宅にプラレールはあったとはいえ,今の我が子のように何台もの車両が
あったわけでもなく,線路もぐるっと一周作れるくらいの数しかなかった
ように思います。なので,プラレールそのものを出す機会自体が少ない。
そこで手近なおもちゃとして,握りこぶし2つくらいの大きめの積み木を電車に,
ひらがな学習のための平たい積み木をホームにそれぞれみたてて,先述のような
電車ごっこを弟と一緒にやっていたものでした。
なんせモノが積み木なので,想像力にもおのずと限界がきますね。
そんなとき,親がチラシを切って裏面の無地の部分を電話用のメモ用紙に使っている
ものを拝借して,さっき書いたのと同じように断片に切って,それから
これはもう完全手描きで,「急行 西大寺」などと書いて表示板を作っていました。
「急行」が赤,「準急」は緑。といったあたりは色鉛筆やクレヨンも動員です。
セロハンテープだけは,やたらと手近なところにあったので,いろんな工作を
ひたすらテープでくっつけながら作っていた記憶があります。
まぁ,その頃は自分がいろんなものを作れると思っていたのですが,その後,
自分がいかに手先が不器用でこうした分野に向いていないかを痛感するときが
くるのかについては,また別のお話といたしましょう。

話があっちゃこっちゃと飛びましたが,こうして我が子にも自身が30年も前に
考え付いた方法を披露し,楽しんでもらえました。この点,実に満足。
ですが,やはり子供の心は移り気。そんなに時間がたたないうちに,この表示板は
ポイっとどこかにやってしまいました。その後,作ったものの1つで
思い出したようにねだってきたのがこちら。

子どもに言われるがままに書いた,作り方はさっきのものと同じながらも,
ただサインペンで書いただけの伊予鉄道の駅名の表示板。
結局,大人が凝ったものを作るよりも,出来は多少どうであれ,子どもにとって
なじみの深いものこそが求められるのだなと感じた瞬間でありました。

というわけで,家の中でもできる楽しみごとは自らの経験と発想によって自由に
生み出されてくるのだと思います。少なくとも思考停止状態にならないことが,
今後も見据えた最大の自己防衛であり,自己啓発ではないでしょうか。
同時に,今回書いたほぼほぼの余談。本来ならば,ぜひ授業時の息抜きに使ってみたい。
その残念さも当然感じながら,それも次への一歩としたいものです。