2023年度となりました。
淡野が愛媛大学に(専任教員として)着任して丸10年が経過し,本当に月並みながら,
時の流れの速さを感じます。
そりゃ,子どももいつの間にか小6と小2になるわな。
下の写真は登校班がそろうのを待つ間,下の子とのお遊び。
題して「無駄なダブルクロス」。
電車がポイントを通過する際のキヤーーー的な金属音を声で添えてあげると喜んでくれます。
相変わらずの鉄道熱とともに,物事をいろいろわかってきている様子を感じますね。
でまぁ今年度も,終わってみればあっという間だったとまた月並みな印象を持つのでしょうが,
早くも新たな任務が入ってきているので,はぁあぁあぁぁAAaaーーー!!?!的な心持ちで実はいっぱい。
でもきっとOK。
だって,2つ前くらいの記事で書いた,昨年度末までにやったるでーの業務も,
なんだかんだで有言実行して,ひとまずは自由の身になっちゃってます。
基本,できるかどうかわからないことに「挑戦」するタイプでは全くなく,
できること前提でやって「ほらやっぱり(できた)」とにんまりするのが大好きな性分ですので,
次の業務もまずまずかたちよくできちゃうはずです。今回もやったるでーー!!
とはいえ気の重い状態を少しでも癒すのは,やはり巷で目にするちょっとした違和感。
例によって車での通勤途中,赤信号で止まった際にふと前のトラックを見ると,
「うごくな!」と書かれたステッカーが貼られています。そうすると,
「これ,誰(何)に対するどんなメッセージ?」で,しょうもない思考回路が動き始めます。
普通に考えればそれを見ている人物なんでオレやけど,車に乗ってて動くなって言われても
困るし,かと言って貼られてる車自体に向けてだと,貼った人間の心理状況が意味不明。
ひょっとして,キョンシーのお札みたいに,中に積まれた荷物がぐらぐら動かないようにする
ための願掛けかも,いやこれ意外と正解ちゃう,などとすっかり目が釘付け。
一方その頃,車内ではいつ入れたのかわからない光GENJIの曲が流れていて,
「夢はFREEDOM FREEDOM」と全力で歌っている自分がいる。
目はまさに目の前の「お札」に拘束されている一方で,口では自由を叫んでる
オレがいちばんわけわからん。ほんの15秒ほどの出来事が,楽しい思い出の一部となります。
はたまた,ところ変わって近所のスーパー。
前を通過していった軽トラの荷台には,「弓矢」と貼り紙された黒っぽい袋が1つ。
そしてその袋には,まっすぐなゴボウが1本入っています。
「さあ,このゴボウは何ですか?」で回路始動。
このゴボウは矢である前提として,この1本は手持ちの装備品なのか,あるいは逆に
撃ち込まれたものなのかの二択だけでもいろいろ状況が沸き上がってきますね。
でも弓のほうが見当たらない以上,撃ち込まれた説のほうが有力か。
いやでも弓がないならないで,ささがきごぼうみたいに加工して相手に乱射する
スキルがあるなら,結構いけるかも。
あと,なんならゴボウの両端をくっつけたままうまく真っ二つにすれば,実は弓っぽくない?
はっきり言って上記の内容,文字にまでしている割に,大しておもしろいことだとは
思っておりません(いやむしろ,客観的に見てのおもしろ要素は皆無に近い)。
なんだけど,その状況を見てそこはかとない高揚感が出て,どうしてこういう状態が
目の前に発生しているのか想像するのが実に楽しい。
非日常なイベントで楽しむのももちろん一興ですが,当然それにはお金も手間もかかるし,
すぐにできるとも限らない。
ならいっそ,普段目にするものを勝手に題材にして楽しんでしまえば,自分自身では
準備もコストもかからずにそれなりの満足を得られちゃうわけです。
これが人生40数年で身につけた,ローリスク&ローコスト・ローリターン戦略ですね
(で,ここぞというときはハイリスク・ハイリターンいっちゃおうぜ,と思える余裕を残しておく)。
いつもどおり,近況報告の内容に特段のヤマがない割にはムダに長い!
じゃあ,ここから別におもしろくなるわけでは全くないけど,活動報告に移りましょう。
まずは新規掲載論文3本。
1)渡邉玲士・淡野寧彦(2022):苧環型蛇聟入伝承の特徴と地域との関係性-
愛媛県西条市加茂地区に伝わる『うすくも姫』を事例に-.愛媛の地理 ,27,10-24.
2)淡野寧彦・佐藤真愛(2023):愛媛県西予市における農産物直売所どんぶり館
青空市場の運営形態と出荷者の意識.愛媛大学社会共創学部紀要 ,7(1),107-118.
3)淡野寧彦・石水菜々香・大橋樹季・岸本直美・渡部結斗・井上雛菜・河内裕里・
秋丸國廣・牛山眞貴子(2023):コロナ禍におけるフィールドワークの実践と活動成果
-プロジェクト演習における愛媛県伊方町のサダワン動画分析の例-.
愛媛大学社会共創学部紀要,7(1),119-123.
1)と2)はそれぞれ,2021年度と2022年度に卒業したゼミ生の卒論をベースにしたもの。
思えば,どちらもコロナ禍真っ只中の時期のもので,国やら大学やらの方針に応じての
対応が必須の中,積極的に現地調査をしてもらいたいとの指導さえも難しい頃合いでした。
そんな中,例えば1)では下の写真のように,それなりの山間部まで民話に記された場所を
学生と二人で探しに行ったりなど,そのときにできることを手探りしていたことが思い出されます。
3)はまさにコロナ禍対応の中でのフィールドワークを記した活動報告で,平時と異なる中で,
いかにして現地との関わりやそこでの活動を維持しながら,一方で制約の受ける部分を
どうカバーしたかとの内容になっています。
論文中にも書いていますが,2021年度のこの活動が,コロナ禍以前の活動形態に
かなり戻しての翌年度のフィールドワークにもつながりましたので,いかにして活動を
継続させるかが重要との点で,自身のためにも良い記録となりました。
こうした経験を経たゼミ生たちが,前回の記事後に卒論発表会などを経て,
無事に卒業していきました。
それぞれの活躍と,自身の思いの達成を願う次第です。
さて,ここからは前回からの新企画,旧ホームページplay backのコーナー。
今回は旧ホームページ開設年の2007年からの抜粋(一部新規追加)です。
2003年度に大学院博士一貫過程に入学したわが身。
院生としてはほぼ最年長クラス,そして自身の博士号取得に向けて動いている
時期となります。
研究室が実施する,2年間で各1週間のフィールドワークでは,現地調査と
論文執筆を率いるリーダーを務めましたし(上写真:土地利用調査中),
自身の博士論文研究でも鹿児島県での現地調査を進めておりました
(下写真:鹿児島県内の農場にて)。
で,前者では本記事最初の記述と同様,何だこれ的な施設を見つけては
喜び勇んで撮影し(まるで食わせる気のない社員食堂),
後者では博士論文研究に関する学内での発表も一応まじめに行っていました。
なんだけど,いやもぅ,この時期の博士論文研究の内容はまだまだ全然ダメ。
この年を含めてさらに3年間,大学院生として(要は留年)苦しい時期が続くことになります。
いろいろ反省すべき点は多いし,お世話になった方々には何かとご面倒を
おかけするばかりでしたので,申し訳ない限りです。
ただまぁ,仮にもう一度このときに戻ってやり直すとして,劇的に改善するかというと,
きっとそうはならないだろうし,そうしようとも思わないだろうな。
もちろん,重要な助言には耳を傾けるし,そのときそのときの状況に応じて行動しますが,
基本的には自分が良いと思うペース・やり方でやって,最終的に必要な水準を達成して,
それでだいたいうまくいけばOKなわけで,少なくとも自分自身の意志として
それ以上の多くを求めようと思ったことはないし,そうする必要もないと心から思う。
おおよそこんな感じなので,2007年8月に道端で見かけた下の垂れ幕へのコメントでは,
「キムチとカルビで『キムカル丼』
じゃあ、キムチとタクアンで‥‥‥。
きっと売れない。」(カッコ内旧HP原文ママ)
というくだらないことを堂々と書き残しているし,そうかと思えば9月に
彼女(現妻)の引っ越しの手伝いに電車やバスを乗り継いでいったときのことを
下のような地図まで作って記録・考察したりと,16年前の淡野寧彦くんも
実にばかばかしくてまことに結構。
<公共交通機関利用によるつくば市発境町行の行程(2007年9月)*筆者作成>
なお,これより少し遡ること2007年4月から,前回記事でも少し話題にした
眼鏡をかけ始めたようで,研究室に置いていたミニランドくん(自宅のランドくんの
ミニサイズ版)を眼鏡姿にした1枚もアップしておりました。
この眼鏡,たぶん今でも車の予備用眼鏡として残っていますね。
ちなみにこの翌年くらいに買った,当時の流行りだった縁の太い二代目の眼鏡,
2010年の海外渡航中,飛行機の中で少し居眠りをしていたうちに
忽然と姿を消すという怪奇現象が発生したのも思い出しました
(眼鏡かけたまま寝ていたのに・・)。
前回記事から2回続けての淡野の眼鏡の話題,ほんとにどうでもいいな。
あとはホームページ上では未公開の2007年写真を少し探してみると,
2010年の愛媛県移転に先立って,香川・高知の2県をめぐる
四国上陸をしていたことを思い出しました。
香川ではうどん店めぐりと金毘羅山に行って,高知では大歩危小歩危で
ラフティングした後,香美市のアンパンマンミュージアムと龍河洞を訪れるという,
わりかしベタな観光を楽しんでいたようです。
そんな中でも普段の生活同様に,高松城址で見かけたとある光景を
下のように写真に収めるのが私。
文面そのものに加えて,文字の並び的にもう「いタイ!」
それを嬉々として撮っている自分も実にイタイ。
でも,これからもずっとこんな感じのままでいたい(しょうもな!!)
なんにしても2007年当時の自分,住んでる場所やら立場やらは現在と大きく異なりますが,
心持ち的にはそんなに変わった感がないなぁ,というのが正直なところ。
なので,当時も今も,大変なこともしんどいことも色々ありつつ悶えつつ,
自分なりに気分よく過ごせているんだろうと思います。
まあ,ええんちゃう。
というわけで,それではまた。
淡野が愛媛大学に(専任教員として)着任して丸10年が経過し,本当に月並みながら,
時の流れの速さを感じます。
そりゃ,子どももいつの間にか小6と小2になるわな。
下の写真は登校班がそろうのを待つ間,下の子とのお遊び。
題して「無駄なダブルクロス」。
電車がポイントを通過する際のキヤーーー的な金属音を声で添えてあげると喜んでくれます。
相変わらずの鉄道熱とともに,物事をいろいろわかってきている様子を感じますね。
でまぁ今年度も,終わってみればあっという間だったとまた月並みな印象を持つのでしょうが,
早くも新たな任務が入ってきているので,はぁあぁあぁぁAAaaーーー!!?!的な心持ちで実はいっぱい。
でもきっとOK。
だって,2つ前くらいの記事で書いた,昨年度末までにやったるでーの業務も,
なんだかんだで有言実行して,ひとまずは自由の身になっちゃってます。
基本,できるかどうかわからないことに「挑戦」するタイプでは全くなく,
できること前提でやって「ほらやっぱり(できた)」とにんまりするのが大好きな性分ですので,
次の業務もまずまずかたちよくできちゃうはずです。今回もやったるでーー!!
とはいえ気の重い状態を少しでも癒すのは,やはり巷で目にするちょっとした違和感。
例によって車での通勤途中,赤信号で止まった際にふと前のトラックを見ると,
「うごくな!」と書かれたステッカーが貼られています。そうすると,
「これ,誰(何)に対するどんなメッセージ?」で,しょうもない思考回路が動き始めます。
普通に考えればそれを見ている人物なんでオレやけど,車に乗ってて動くなって言われても
困るし,かと言って貼られてる車自体に向けてだと,貼った人間の心理状況が意味不明。
ひょっとして,キョンシーのお札みたいに,中に積まれた荷物がぐらぐら動かないようにする
ための願掛けかも,いやこれ意外と正解ちゃう,などとすっかり目が釘付け。
一方その頃,車内ではいつ入れたのかわからない光GENJIの曲が流れていて,
「夢はFREEDOM FREEDOM」と全力で歌っている自分がいる。
目はまさに目の前の「お札」に拘束されている一方で,口では自由を叫んでる
オレがいちばんわけわからん。ほんの15秒ほどの出来事が,楽しい思い出の一部となります。
はたまた,ところ変わって近所のスーパー。
前を通過していった軽トラの荷台には,「弓矢」と貼り紙された黒っぽい袋が1つ。
そしてその袋には,まっすぐなゴボウが1本入っています。
「さあ,このゴボウは何ですか?」で回路始動。
このゴボウは矢である前提として,この1本は手持ちの装備品なのか,あるいは逆に
撃ち込まれたものなのかの二択だけでもいろいろ状況が沸き上がってきますね。
でも弓のほうが見当たらない以上,撃ち込まれた説のほうが有力か。
いやでも弓がないならないで,ささがきごぼうみたいに加工して相手に乱射する
スキルがあるなら,結構いけるかも。
あと,なんならゴボウの両端をくっつけたままうまく真っ二つにすれば,実は弓っぽくない?
はっきり言って上記の内容,文字にまでしている割に,大しておもしろいことだとは
思っておりません(いやむしろ,客観的に見てのおもしろ要素は皆無に近い)。
なんだけど,その状況を見てそこはかとない高揚感が出て,どうしてこういう状態が
目の前に発生しているのか想像するのが実に楽しい。
非日常なイベントで楽しむのももちろん一興ですが,当然それにはお金も手間もかかるし,
すぐにできるとも限らない。
ならいっそ,普段目にするものを勝手に題材にして楽しんでしまえば,自分自身では
準備もコストもかからずにそれなりの満足を得られちゃうわけです。
これが人生40数年で身につけた,ローリスク&ローコスト・ローリターン戦略ですね
(で,ここぞというときはハイリスク・ハイリターンいっちゃおうぜ,と思える余裕を残しておく)。
いつもどおり,近況報告の内容に特段のヤマがない割にはムダに長い!
じゃあ,ここから別におもしろくなるわけでは全くないけど,活動報告に移りましょう。
まずは新規掲載論文3本。
1)渡邉玲士・淡野寧彦(2022):苧環型蛇聟入伝承の特徴と地域との関係性-
愛媛県西条市加茂地区に伝わる『うすくも姫』を事例に-.愛媛の地理 ,27,10-24.
2)淡野寧彦・佐藤真愛(2023):愛媛県西予市における農産物直売所どんぶり館
青空市場の運営形態と出荷者の意識.愛媛大学社会共創学部紀要 ,7(1),107-118.
3)淡野寧彦・石水菜々香・大橋樹季・岸本直美・渡部結斗・井上雛菜・河内裕里・
秋丸國廣・牛山眞貴子(2023):コロナ禍におけるフィールドワークの実践と活動成果
-プロジェクト演習における愛媛県伊方町のサダワン動画分析の例-.
愛媛大学社会共創学部紀要,7(1),119-123.
1)と2)はそれぞれ,2021年度と2022年度に卒業したゼミ生の卒論をベースにしたもの。
思えば,どちらもコロナ禍真っ只中の時期のもので,国やら大学やらの方針に応じての
対応が必須の中,積極的に現地調査をしてもらいたいとの指導さえも難しい頃合いでした。
そんな中,例えば1)では下の写真のように,それなりの山間部まで民話に記された場所を
学生と二人で探しに行ったりなど,そのときにできることを手探りしていたことが思い出されます。
3)はまさにコロナ禍対応の中でのフィールドワークを記した活動報告で,平時と異なる中で,
いかにして現地との関わりやそこでの活動を維持しながら,一方で制約の受ける部分を
どうカバーしたかとの内容になっています。
論文中にも書いていますが,2021年度のこの活動が,コロナ禍以前の活動形態に
かなり戻しての翌年度のフィールドワークにもつながりましたので,いかにして活動を
継続させるかが重要との点で,自身のためにも良い記録となりました。
こうした経験を経たゼミ生たちが,前回の記事後に卒論発表会などを経て,
無事に卒業していきました。
それぞれの活躍と,自身の思いの達成を願う次第です。
さて,ここからは前回からの新企画,旧ホームページplay backのコーナー。
今回は旧ホームページ開設年の2007年からの抜粋(一部新規追加)です。
2003年度に大学院博士一貫過程に入学したわが身。
院生としてはほぼ最年長クラス,そして自身の博士号取得に向けて動いている
時期となります。
研究室が実施する,2年間で各1週間のフィールドワークでは,現地調査と
論文執筆を率いるリーダーを務めましたし(上写真:土地利用調査中),
自身の博士論文研究でも鹿児島県での現地調査を進めておりました
(下写真:鹿児島県内の農場にて)。
で,前者では本記事最初の記述と同様,何だこれ的な施設を見つけては
喜び勇んで撮影し(まるで食わせる気のない社員食堂),
後者では博士論文研究に関する学内での発表も一応まじめに行っていました。
なんだけど,いやもぅ,この時期の博士論文研究の内容はまだまだ全然ダメ。
この年を含めてさらに3年間,大学院生として(要は留年)苦しい時期が続くことになります。
いろいろ反省すべき点は多いし,お世話になった方々には何かとご面倒を
おかけするばかりでしたので,申し訳ない限りです。
ただまぁ,仮にもう一度このときに戻ってやり直すとして,劇的に改善するかというと,
きっとそうはならないだろうし,そうしようとも思わないだろうな。
もちろん,重要な助言には耳を傾けるし,そのときそのときの状況に応じて行動しますが,
基本的には自分が良いと思うペース・やり方でやって,最終的に必要な水準を達成して,
それでだいたいうまくいけばOKなわけで,少なくとも自分自身の意志として
それ以上の多くを求めようと思ったことはないし,そうする必要もないと心から思う。
おおよそこんな感じなので,2007年8月に道端で見かけた下の垂れ幕へのコメントでは,
「キムチとカルビで『キムカル丼』
じゃあ、キムチとタクアンで‥‥‥。
きっと売れない。」(カッコ内旧HP原文ママ)
というくだらないことを堂々と書き残しているし,そうかと思えば9月に
彼女(現妻)の引っ越しの手伝いに電車やバスを乗り継いでいったときのことを
下のような地図まで作って記録・考察したりと,16年前の淡野寧彦くんも
実にばかばかしくてまことに結構。
<公共交通機関利用によるつくば市発境町行の行程(2007年9月)*筆者作成>
なお,これより少し遡ること2007年4月から,前回記事でも少し話題にした
眼鏡をかけ始めたようで,研究室に置いていたミニランドくん(自宅のランドくんの
ミニサイズ版)を眼鏡姿にした1枚もアップしておりました。
この眼鏡,たぶん今でも車の予備用眼鏡として残っていますね。
ちなみにこの翌年くらいに買った,当時の流行りだった縁の太い二代目の眼鏡,
2010年の海外渡航中,飛行機の中で少し居眠りをしていたうちに
忽然と姿を消すという怪奇現象が発生したのも思い出しました
(眼鏡かけたまま寝ていたのに・・)。
前回記事から2回続けての淡野の眼鏡の話題,ほんとにどうでもいいな。
あとはホームページ上では未公開の2007年写真を少し探してみると,
2010年の愛媛県移転に先立って,香川・高知の2県をめぐる
四国上陸をしていたことを思い出しました。
香川ではうどん店めぐりと金毘羅山に行って,高知では大歩危小歩危で
ラフティングした後,香美市のアンパンマンミュージアムと龍河洞を訪れるという,
わりかしベタな観光を楽しんでいたようです。
そんな中でも普段の生活同様に,高松城址で見かけたとある光景を
下のように写真に収めるのが私。
文面そのものに加えて,文字の並び的にもう「いタイ!」
それを嬉々として撮っている自分も実にイタイ。
でも,これからもずっとこんな感じのままでいたい(しょうもな!!)
なんにしても2007年当時の自分,住んでる場所やら立場やらは現在と大きく異なりますが,
心持ち的にはそんなに変わった感がないなぁ,というのが正直なところ。
なので,当時も今も,大変なこともしんどいことも色々ありつつ悶えつつ,
自分なりに気分よく過ごせているんだろうと思います。
まあ,ええんちゃう。
というわけで,それではまた。