くちょ婆を介護して 早 6年半
たぶん 診断される 2年前くらいから 認知症だっただろう
結婚して以来 家族旅行に1度もいかず 家事と仕事と育児のみだった
息子が産まれたのちも 朝5時には 息子を起こし母乳を飲ませ
早々に 家事をこなした
2歳と3歳の息子に 背中にカイロを貼り おやつにたこ焼きを持たせ
車で待たせた 冬もあった
同居とは 名ばかりで くちょ婆は 家事 育児など一切しなかった
6時15分には出ていく くちょ爺の 弁当もタニシが作っていた
タニシにとって 地獄の毎日だった
新婚にして 心を病み 3年 自律神経が壊れていた
10分働いては 1時間休む 日々が続いた・・主婦時代
ある日 知り合いが タニシの腕を見込んで 仕事を紹介してくれた
7年の ブランクが心配だったが 仕事に復帰した直後
3年患った 自律神経が 即治り 薬をやめた
その 仕事=生きがいも あらゆる手段で くちょ婆が奪った・・
タニシは その時 二度と 仕事に出ないと誓って 辞めた・・
仕事を辞めて 数日後 預かっていた 主人の給料もとりあげられ
6人家族で 1月6万だけの 生活が 始まった (光熱費 大きな出費は出る^^)
それ以外は 何があろうと 必要経費は出なかった・・
1年中 やってくる義妹達 正月 彼岸 GW 盆 彼岸 祭り その他 所要のたび
必ず 昼前にやってきて (人数も時間も未定)
やりたい放題の 姉妹達と ほったらかしの旦那・・
タニシは 接待と家事と くちょ婆の嫌味と せっかちなくちょ爺に
たいがい16~35人に 振り回されてきた・・・(^^;
そして くちょ爺が 見守られて逝き くちょ婆の時がきたのだ・・
ちなみに タニシの実母は 1度も この家に泊まることなく
2回ほど 来ただけで 義妹達に 1円の香典ももらわず 花もなく
持たせてくれた 両親用の 帯地の布団も 1度も使うことなく
新品で 押し入れに眠ったままだ・・・
なのに どうして? 在宅介護ができたのか?
そこには 両親の献身的な姿と 真面目な人生を見てきたからだと 思う
つづく・・・