はなびらに相模の海の潮騒を乗せてすがしきホトトギス花 丹人
寸心居士の墓前に立てば時止まりて絶対矛盾的自己同一性 丹人
瞬間は直線的時の一点と考えねばならない。
しかし、プラトンが既に瞬間は時の外にあると考えた如く、
時は非連続の連続として成立するのである。
時は多と一との矛盾的自己同一として成立するということができる。
具体的現在というのは、無数なる瞬間の同時存在ということであり、
多の一ということでなければならない。
それは時の空間でなければならない。
そこには時の瞬間が否定せられると考えられる。
しかし多を否定する一は、それ自身が矛盾でなければならない。
瞬間が否定せられるということは、時というものがなくなることであり、
現在というものがなくなることである。
然らばといって、時の瞬間が個々非連続的に成立するものかといえば、
それでは時というものの成立しようはなく、
瞬間というものもなくなるのである。
時は現在において瞬間の同時存在ということから成立せなければならない。
これを多の一、一の多として、現在の矛盾的自己同一から時が成立するというのである。
現在が現在自身を限定することから、時が成立するともいう所以である。
時の瞬間において永遠に触れるというのは、
瞬間が瞬間として真の瞬間となればなるほど、
それは絶対矛盾的自己同一の個物的多として
絶対の矛盾的自己同一たる永遠の現在の瞬間となるというにほかならない。
時が永遠の今の自己限定として成立するというのも、
かかる考を逆にいったものに過ぎない。
西田幾多郎
*画像:ホトトギス 西田幾多郎の墓 2008. 9.23 14:30 東慶寺(鎌倉市)にて
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芸術人文15位なり 50代13位茨城2位なり 短歌6位なり
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