日吉本町1丁目1717,1718にあるのは
開発計画の歴史かもしれない
昭和40年宅地分譲された住宅地である
日吉本町1丁目1717、1718番地の特徴は
平地ではないこと 入り口の一部を除けば東にも南にも
急斜面の山林
かっての持ち主はこの地形のまま山荘として樹林の
中に暮らしていたと聞いている
大きな建物の建築の前にまず山を崩すことから始めなけ
ればならない形状である
入り口となる道路幅5mの坂道でL字型の曲がり角
曲がり角の中に1段低く産婦人科医院があるという
ダンプカーやコンクリートミキサー車にとってはまことに
都合の悪い地形である
日吉本町1丁目1717番地この地にビル建築が計画された
のは初めてではない
昭和40年マンション建設の計画に始まって
昭和58年日吉箕輪の森全山開発の計画
平成3年ワンルームマンション計画
いずれも計画の段階で断念された
そして10年前
平成6年6月22日建築業者が近隣住民宅を突然訪問した
ことから始まった建築計画
(株)光栄による事務所ビル建築工事のお知らせであった
中高層建築物であるにも拘わらず標識もなかったため建築
業者の来訪まで誰も何も知らなかった
戸別に説明されたことを突き合わせてみると各戸によって
説明に違いのあることがわかった
調べてわかったことだが、1年以上前平成5年3月30日に
建築の確認をしており 又平成5年3月12日づけで横浜市に
対して 「誓約書 関係住民と工事協定を締結してから工事に
着手します。尚、この建築物に対し紛争が生じた場合には責任を
もって解決に当たり、横浜市には一切迷惑をかけません」を
提出していたこともわかった
住民に建築業者からついぞそんな話しはでなかった
この時の建築計画は台形の土地に柄杓の柄のような長い土地が
ついているという変形の敷地に 地下1階地上4階第一種低層
住居専用地域には3階の一部であるという倉庫が計画されていた
住民が釈然としないと思ったことを建築士弁護士に依頼
横浜市に対し平成6年8月18日行政不服審査請求をした
横浜市建築主事は同年11月28日建築確認がなされて
1年以上経過していることを主な理由に棄却を求めている
住民はこれを不服として平成7年2月23日当時の建設大臣に
再審査請求をした 現在に至っている
斜面緑地と箕輪の森を守ろうという多くの人々の運動で
3200人余の署名を市長と横浜市会に提出した
それから丁度10年
(株)光栄は箕輪の山林と土地の交換をして変形だった敷地を
おおきな台形に変えてビルの計画は
さらに高く大きくなって再び提示された
住民は10年前に引き戻されいる