仙台メデアテーク6階で戦争被災者や旧満州からの引き揚げ者ら3000人がが入居した追廻住宅の追想展がおこなわれている。同地区は仙台に陸軍第二師団が有った当時射撃演習場として使われ、明治維新以前は馬術練習場だった処、広瀬川河畔で青葉城下に位置する場所。今年の夏には全国緑化フェアが開催された処。終戦直後600戸の簡易住宅を建て、引揚者らを住まわせたが仙台市はその後、同所を青葉山公園として整備する為住民らに立ち退きを求めたが頑として退去に応じず頑張り続け昨年ようやくただ1軒だけ残った家が立ち退きに応じ同地区は77年もの追廻住宅に幕をおろした。
川沿いのその暮らしぶりは生活用水を汲んだ井戸や密集家屋の防災から家の前にはバケツを準備し、河原でサイカチの実を拾ってきて洗濯に世間代わりに使うなど自給自足の生活ぶりだった。「隣のじいさん、ばあちゃんに子供を風呂にいれてもらった」というようなエピソードどおり寄り添い合って暮らした懐かしい昭和の生活だった。
展示室にはほぼ原寸大の簡易住宅が再現されこんなせまいところでの暮らしはさぞ大変だったろうと思う反面だからこそお隣さん同志の濃密な裸のつきあいが有ったのだろう。話は変るが10年ほど前は殆ど立ち退き残った数軒だけで、その空地に車を置いて広瀬川でのアユ釣りをさせてもらったもので貴重な場所だった。終戦直後の何も無くても暖かい人情溢れるくらしのなかで育った子供達に郷愁を覚え展示を観て来た。
当時の航空写真びっしり住宅が立ち並んでいる防災上は危険極まりない、親和会が組織され協力して生活を営んだ
狭い宅地内は元気な子供達で溢れかえった
懐かしい生活ぶりを偲ばせる家具
壁に並んでいるのはサイカチのサヤこれで石鹸代わりに洗濯した