はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

ちょっとだけ過激に

2013年08月21日 | 日記

 戦争というモノを考えてみる。これはつまり外交的失敗によるものであるとも言える。であるならば、その外交に失敗した指導者同士が殺しあって決着を付ければ良いだけの話ではないか。考えてみれば外交的失敗に拠る戦争って、その責任はその指導者の失敗にあるわけだ。であるならば、何も自国民を戦争に駆り出す必要はない。指導者同士が生死を賭して戦えば良いのである。

 この国は、一応民主主義国家であるとなっているが、選挙なんぞをしても、その政策そのものが国民に理解でき、承服できるものではないし、何よりも投票率が低過ぎる。これでは「民意」などは「反映」されているとはいえない。むしろ、科挙制度の延長である官僚制度が、この国を動かしているとしか思えない。偉そうなことを言う政治家も、官僚のサボタージュに遭うと、覿面その勢いを失う。つまり、実質的な指導者は、官僚なのではないか。

 であれば、官僚も、その官僚制度に乗っかっている政治家も含め、指導者層の責任は重大になる。特に戦争を起こすという場面では、そうした政官一体となった合意に基づくものとなるわけだ。ならば、政官もろとも指導者として、率先して戦地に赴き、是非華々しい成果を挙げていただきたいのである。

 たとえそうした指導者層が全滅したとしても、なぁに、外交に失敗して戦争を起こした程度の指導者である。その程度で指導者になれるならば、代わりはいくらでも居るのである。オレ、コレが本音の自論なのよ。それが責任というものでしょ。戦争の惨禍を知らせようと戦地に入り、心ならずも捕虜となって身代金を支払うハメになったとしても、そんなもん指導者連中の獲得している歳費を合算したものと比べると、実は屁でもない。自己責任論を語るヒトタチの多くが、政治家の外交の失敗による戦争突入への責任を語らない。コレ、まったく理解できないんだけど。