たくやらな日々

大好きな『美しい男』たち、そして日々の出来事などを心の赴くままに。

第二の人生

2006年01月21日 01時53分28秒 | favorite
『山田隆裕』という人をご存知ですか?

What's海賊団のHPを開こうと格闘してると(だって、重たいんだもん)TVを見ていた息子が「これってあの山田???」と聞いてくる。
TVを見ると元横浜マリノスの山田隆裕さんといってる。うん、そうだね。あの山田だね。
TVでは元スポーツ選手の引退後の身の振り方みたいな番組をやってた。
そこで紹介されていたのはうちの家族が横浜マリノスのサポーターとして球場に通いつめていた頃に背番号『10』をつけていた山田選手でした。

現在の彼の姿は仙台で移動式のメロンパンを売る店をやっているという話。
自身でパンを作ってるところも映ってましたね。実際に売る仕事をしてるということでもなく、元締めみたいなことをしているようでした。
それを見ていた息子(二十歳)が結構ショックを受けてましてね。

横浜マリノスが初優勝した時(多分1995年)には祝勝会する予定の会場で待ち構えて選手達を捕まえてサインしてもらったりしてたんですよ。
そのとき、二手に分かれて長男と私がホテルの正面玄関で待ってたんだけど、山田選手は優勝が決まった試合には怪我かなんかで出てなくて、トイレから出てくる彼を捕まえて息子は帽子にサインしてもらったんですね。なんかそんなことを鮮明に覚えてるんであの頃のマリノスの選手には思い入れが強いんですね。私も息子も。
当時は練習を見にいったり、もちろん試合もね。レプリカユニホーム着てタオルを振り回して応援したものです。川口能活が入団したばかり、中村俊介はまだ高校生だったんでしょうね?(中学生?)

あれから10年・・・・・・山田さんも30過ぎたくらいでしょうか?
当時よりもかなり太ってましたね。若い頃から怪我とかが多くて試合に出られない事が多かったから選手生命も短かったのかな?
三浦知良はまだ現役を続けてるし、ラモスだって40過ぎまで現役だったんだからまだ続ける事ができない年でもなかったのかも知れないけど。
でもね、今の自分の仕事に誇りを持ってやってるようで立派だな・・・・と思いました。
ただね、息子はやっぱり昔の印象が強いのでかなりショックだぁーーと落ち込んでました。>若いね。
プロスポーツ選手になれる人なんてほんの一握りでその中でも一生その仕事で生きていかれる人なんてさらにほんの数%しかいないんですもんね。そんなことは頭ではわかっていても厳しさを感じますね。
山田さんだってまだ30前半のはず。これからの人生のほうが長いんだから・・・・って言ってましたね。これからも自分の仕事に誇りを持って生きて行って下さい。
仙台に行く事があったらそのメロンパン探して食べてみたいな。


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