
我が家から車で15分ほどの所、町田市能ヶ谷に、故白洲次郎・正子夫妻の旧邸宅である「武相荘」(ぶあいそう)があります。夫妻が1943年に移り住み、改築しながら晩年まで過ごした古農家を、2001年に長女の牧山桂子氏が記念館として一般公開しました。母屋(第1ギャラリー)・第2ギャラリー・お茶処・休憩所・ショップ&ビデオサロンという構成です。名前の由来は「武蔵と相模の境にある」ことと「無愛想」とをかけたもので、夫妻自らが名づけたそうです。
近くに住む友人と訪れたのは昨年の12月上旬、早朝に雪がちらついた寒い日でした。館内は撮影禁止なので建物の概観や庭の画像しかない上、天候が悪くてあまり良い画像ではありませんが、遅ればせながら記事にしたのでご覧ください。邸内の様子はHPのこちらで見ることができます。
(★これより下の画像をクリックすると大きい画像や別の画像が見られます。★画像にマウスオンすると解説が出るものがあります。○印が文頭にあるものには別画像がリンクされています。★撮影日は2011年12月9日です。)
武相荘 ~白洲夫妻の粋な暮らし~
明治初期(推定)に建てられた養蚕農家だったという邸は、夫妻が手を入れたとはいえ、骨組みはそのままで、当時の面影をそのまま残す稀少な遺産です。母屋には、正子氏が集めて日常に使っていた陶芸品が囲炉裏端に置かれ、夫妻が愛用していた着物や次郎氏が自ら竹で作った電気スタンドなども展示されており、夫妻の暮らしぶりが垣間見えるようになっています。土間を改築したダイニングの食卓には、次郎氏が大好きだったステーキなどが再現されていました(展示物は季節によって変わります)。当然かもしれませんが、書斎に並ぶ書籍の多さには圧倒されました。
次郎氏はイギリス留学の経験を持ち、晩年までポルシェを乗り回したりゴルフに興じたりと、時代の最先端を行きながら華やかに暮らしていたような印象がありますが、実際には東京の田舎で古農家に住み、企業の経営者である傍ら農業にも従事、「野人」と称されていたのですから、その対比ぶりがなんとも粋に感じられます。
一方、正子氏もアメリカ留学の経験があり、その行動派ぶりは「韋駄天お正」と称されていた一方で、女性で初めて能の舞台に立った人でもあり、文学はもちろん、骨董や着物などの染織工芸にも造詣が深い随筆家、美術評論家でした。やはり粋ですよねぇ。
「武相荘」で得たパンフレットによると、次郎氏について正子氏は、「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実で、プリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と語ったそうです。
粋で自由で闊達ながら、信念を貫いた夫妻...互いに一目惚れで結ばれ、「野人」&「韋駄天」と称されたお似合いの夫婦...そんなお二人が新しいものと古き良きもの、洋と和とをミックスさせながら暮らした魅力が今なお息づく、静かな邸でした。
蛇足ですが、NHK「スタジオパークからこんにちは」の1月5日の放送で、俳優の神山繁さんが白洲夫妻と親交があったことや具体的なエピソードを披露していました。
私も、2,3度訪れています。
風情のある素敵な暮らしぶりが伺える”武相荘”ですよね。
お玄関先の大きなつぼに活けられている
自然の草木が好きです。
紅葉がまだのこっていて
素敵ですね。
遅らばせながら、先日の小笠原邸でのご結婚
記念日おめでとうございます。
小笠原邸、懐かしい思いで拝見しました。
にりんそうさんのブログで武相荘の記事を拝見しましたが、そんなに何度も訪れていらっしゃるのですね。季節が変わると、全然違った趣でしょうね。
秋は紅葉と竹林のコンビネーションが本当に素敵でした。天気が悪かったのが残念です。
小笠原邸に行かれたことがあるのですね。何か特別な思い出がありそうですね。