おはようございます!
今日は、何の日??
- 二十四節気・雑節等
- 禾実る
- 七十二候の一つ(42候)。
- 宝くじの日
- 9月2日の語呂合せから生まれたもので、せっかく当選しても引き換えない時効扱いとなる宝くじが多いことから、第一勧業銀行が時効防止のPRの一環として1967年(昭和42年)に制定。
- ダイアナ靴の日
- 銀座の婦人靴専門店「ダイアナ」が1992(平成4)年に制定。 「く(9)つ(2)」の語呂合せ。
- 世界老人給食の日
- (9月第1水曜日)オーストラリアで長年老人に対する食事サービス活動を行っている「ミールズ・オン・ウィールズ」が制定。日本では全国老人給食協力会が実施している。
禾実る・・・・何が実るんですか?
感じ読めまへ~~ん^^
教えて・・・
さて、葛城古道を歩きまして・・・
九品寺へ到着!
九品寺
戒那山の山号を持つ九品寺は、行基が開き空海が中興した戒那千坊の一つで、浄土宗知恩院派の名刹だ。しかしこの寺を訪れる者を圧倒するのは、裏山に並ぶ総数1800体あまりの石仏たち。千躰石仏と呼ばれるこの石仏たちは、長い間埋もれていたために顔立ちのわからなくなっているものも多い。
伝承によると、この石仏たちは、南北朝時代にこの地を支配していた豪族の楢原氏が南朝方について北朝と戦ったとき、死んだ兵士たちの「身代わり地蔵」として奉納されたものといわれている。秋にはさびしそうな石仏を慰めるかのように、境内に植えられた何本もの楓が美しく色づく。
くほんじ・・・と読みます。
きゅうしなとちゃいまっせ^^
本堂です
あの柄杓の中に、アマガエルが2匹いてましてん。
びっくりしましたで
行基さま・・・
しかし、屋根の上・・・
いろいろついて、めっちゃ賑やかでんな
ここを上れば・・・・
1000体を超える石仏・・・
こちらにも・・・・
こじんまりとした古刹ですね。
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080902
おはようございます!
野菜の日でございます。
今は、なすびでんな^^
水茄子・加茂茄子・・・・美味いよ
さてさて、土曜日に行ってきました葛城古道・・・
まずは、一言主神社の駐車場へ止めて
いちごんさん・・・でっせ^^
会談を登ると、左手にでっかい銀杏が・・・
乳イチョウですわ
ほらっ、乳房がいっぱい^^
なんか、おばあちゃんの乳房を思い出すな~~
本殿・・・・
願いは、一言でっせ・・・
ぼけ除けです^^
つとめてかぼちゃを食べて・・・
へ~~。かぼちゃんがききまっか
お稲荷さんも・・・
土蜘蛛塚!
なるほど・・・
眠ってはんのか。
もし、起きたらどないします???
さっ、週明けの月曜日・・・
目覚めてまっか~~~??
では、
今週も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
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おはようございます!
今日は、何の日??
終戦記念日です・・・・
高野山は、涼しかった^-^
また、明日より高野山・・・・アップします
はてさて、愛宕念仏寺・・・・今日も続きます。
お寺の紹介も終わったし・・・・
石仏さまでいきますかね^^
なんせ、1200体もありますからね^^
背中に、造られたかたの名前が彫られてました。
お釈迦様と10大弟子さんたち。
続く・・・・
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080815
おはようございます!
今日は、何の日??
- 二十四節気・雑節等
- 下弦
- 半月。月と太陽の黄経差が270°となる日。
- 聖マクシミリアン・コルベ神父の祝日
- ポーランドの織物職人の子として生まれた聖マクシミリアンは、フランシスコ会に入り、1930年から6年間日本で宣教活動を行った。帰国後、その教えがナチスの思想と相反したものであったことからゲシュタポに捕えられ、アウシュビッツ強制収容所に送られた。そこで、みせしめの為に処刑される見ず知らずの他人の身代りとなって餓死刑となり、「聖母の被昇天祭」の前日の8月14日に亡くなった。 1982年10月17日、教皇ヨハネス=パウルス2世により、「愛の殉教者」として聖人の列に加えられた。
- 特許の日
- 1885年(明治18年)のこの日、日本で最初の専売特許が免許されたことにちなんで。ちなみに第一号は錆止め塗料とその塗り方。
愛宕念仏寺・・・・
続きでございます。
3つ鐘から、坂を上りきると・・・
地蔵堂です。
中には、入れませんでした
反対側に・・・・
本堂です。
ここも、閉まったまま・・・・
隣りには・・・
ふれあい観音さま
触ってください・・・
癒されるご尊顔・・・・
絵馬も可愛い^^
ピンボケやけどね
虚空蔵菩薩像です・・・
多宝塔です
左が伝教大師はんです
中には、石のお釈迦様
ふくよかな、癒されるお顔をしてはります。
続く・・・・
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080813
おはようございます!
今日は、何の日??
さあ、いよいよお盆休み~~~
ってかたがほとんど???
今日の配達は少ないぞ・・・・
わては、明日から連休だ。
さて、先日デジブックにしました1200羅漢・・・・
いてはりましたのは、京都・嵯峨野の愛宕念仏寺ってところです。
お寺さんの紹介をば
ここには、1200体もの羅漢さんが・・・500羅漢って聞いたことあるけど??
楽しみでんな^^
一つ・一つ顔が違うし、ほんと癒されますよ
おこしやす・・・・
よろしおまんな^^
パンフレットも可愛いでっしゃろ^^
うちわは、300円也~~
入山料も300円
あちらこちらに・・・・
中は、そんなに広くなく・・・・
コジンマリしております。
奥の鐘・・・・
珍しいですよ^^
珍しい3つ鐘
仏・法・僧の3つからなります。
綺麗な音色でした。 小さくしかたたけませんでしたけど・・・・
続く・・・・
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記 http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080813
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おはようございます!
今日は、何の日??
パークの日・・・
そういえば、先週京都へ行った時、大谷さんはお盆でお寺さんの駐車場は入れない状態・・・・
近くのコインパーキング
高い・・・・びっくりしまっせ。
10分200円
1時間停めたら、1200円でっせ。
それにしても、高すぎるわ・・・・
さて、その大谷さんでの法事の前に、ちょこっと足を延ばして嵯峨野まで
愛宕念仏寺へ行ってまいりました。
おたぎねんぶつじ・・・です。
あたご・・・ちゃいまっせ^^
ここには、500羅漢ならぬ1220体もの羅漢ちゃんがいてはります。
ほんと、癒されてきました^^
お寺さんの紹介は、また後日・・・
今日は、1200体の中から好きなやつを50体選びまして・・・・デジブックにしました。
(50枚が限度枚数なので^^)
デジブック 『愛宕念仏寺。』
癒されましたか~~
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080809
おはようございます!
今日は、何の日??
政治を考える日です。
まさに今ですよね・・・・
マニフェスト対決
できたら、ゆっくり読ませてもらいますかね^^
さて、世界遺産・下賀茂神社シリーズ!
今日は、”河合神社”
糺の森の中にあります。
糺の森の中、「瀬見の小川」の西側にあるのが玉依姫命を祀る摂社の河合神社。正式名称は鴨河合坐小社宅(かものかわいにいますおこそべ)神社で、賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったという。秦氏が祀っていたが、賀茂氏が秦氏の婿となり、祭祀権を譲られたとの伝承がある。元はここより少し南の賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)河原に祀られたことから河合神社という。鎮座の年代は不詳であるが神武天皇の御代からあまり遠くない時代と伝えられていて、「延喜式」には「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とはこの神社の鎮座地をいい、「小社宅(こそべ)」は「日本書紀」に「社戸」としるされ、本宮(下鴨神社)の祭神と同系統の神との意であるという。
明治10年(1887)賀茂御祖神社(下鴨神社)の第一摂社に列せられた。現在の社殿は、延宝7年(1679)式年遷宮により造営された古殿を修理建造したもので、賀茂御祖神社の本殿と同じ三間社、流造、桧皮葺である。境内には「方丈記」の著した鴨長明の資料館と、長明が考案した「方丈の庵」とがある。
なるほど・・・・
これが、鴨長明はんの方丈です。
狭いでっせ^^
長明の「方丈の庵」
鴨長明50歳のとき、すべての公職から身を引き大原へ隠遁し、大原から方々を転々として58歳のころに落ち着いた。各地を移動している間に「庵」として仕上げたのがこの「方丈」である。移動が便利なように全てが組み立て式になっていて、広さは、一丈(約3m)四方、約2.73坪。畳で五畳半程度。間口、奥行きとも一丈四方ということから「方丈」の名がついた。さらにもう一つの特徴が、土台状のものが置かれ、その上に柱が立てられていることである。これは、建物の移動ということを念頭に柱が構築されるからである。下鴨神社は年式遷宮により21年毎に本殿が造り替えられる建築様式(土居桁構造)であり、これにヒントを得たものといわれる。
3坪弱・・・
狭いね^^
ちと、鴨長明はんもご紹介
鴨長明(かものちょうめい) 久寿2年(1155)~建保4年(1216)62歳
久寿2年(1155)、下鴨神社禰宜・長継の次男として泉の館(現在の京都大学北方辺り)において生まれた。応保元年(1161)、7歳のとき、下鴨神社の第六回式年遷宮が行われ、長明も神職の道につき、従五位下に叙せられたが、その後、長明は禰宜(神職のこと)になれなかったとされている。
しかし、長明は幼少の頃から学問に秀で、特に歌道に優れていた。安元元年(1175)21歳のとき、高松女院歌合せに和歌を献じ注目を集めた。治承4年(1180)26歳のとき、福原へ都が遷され(平清盛による)たため、宮中に奉仕する長明も福原へ赴任したが、源頼朝の乱により平家は滅亡し、都は再び平安京へ遷都され帰洛している。
正治2年(1200)、46歳のとき、後鳥羽院から召されて院の歌会や催しに和歌を献じることとなった。翌、建仁元年(1201)、和歌所の寄人に任ぜられる。また、琵琶や笛、琴にもたけていて、その記録も随所に見える。しかし、元久元年(1204)、50歳の春、宮中の要職を辞して出家し、洛北大原に隠遁した。その後、世の無常と人生のはかなさを随筆として著したのが「方丈記」である。大原から方々を転々として、承元2年(1208)、58歳のころに落ち着いている。 (伏見区日野町に「長明の方丈庵跡」がある。)元久2年3月、「新古今和歌集」に『石川や 瀬見の小川 清ければ 月も流れを たずねてやすむ』をはじめ十首が採録された。「瀬見の小川」とは、現在も河合神社の東に流れる川のこと。「方丈記」を、ついで「無名抄」を著した。建保4年(1216)6月8日、62歳で没した。
方丈記・・・
覚えてはりまっか?
冒頭の部分、暗記させられましたよね
、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとゞまりたるためしなし…」
鴨長明の資料館もあるんですけど、朝早く開いてませんでしたので・・・
奥へ進みましょ^^
わての文字まで色変わってしもうた
いっぺんに6社も・・・
便利なのか???
光ってますね~~
あの釣灯篭・・・・
高い・・・・
これにて、下賀茂編終了~~
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080727
おはようございます!
今日は、何の日??
ビキニだ^^
ある意味、水着の省エネだわ
さて、こないだの日曜日・・・・
明日香の帰りに”談山神社”に寄って帰りました。
ここもアジサイの名所ですが、やっぱり紅葉のほうが旬みたいですいてました~~^^
大和多武峰鎮座 談山神社
御祭神 藤原鎌足公
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。藤原の姓はここに始まります。
鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。
なるほど・・・
ここで、会談が行われ、大化の改新が。。。。
あじさいは、もう飽きましたやろ
山の中にあるさかいに、しんどいでっせ
ここから入ります^^
その向かえには・・・・
あの絵・・・いいですね^^
その前に・・・・
流星と四角い凧・・・
意味わからんわ
会談を登ると・・・
世界唯一やったら、国宝にしましょうや・・・
その右手奥に・・・・
楼門に拝殿です・・・
拝殿の中に入り・・・・
本殿を拝みます・・・・
談山神社http://www.tanzan.or.jp/index.html
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080705
おはようございます!
今日は、何の日??
- 二十四節気・雑節等
- 新月
- 朔。月と太陽の黄経差が0°となる日。旧暦ではこの日が暦月の朔日となる。
- 沖縄慰霊の日
- 1945年(昭和20年)のこの日、太平洋戦争の沖縄戦が終結されたとされることから。20万人におよぶ犠牲者の霊を慰め平和を祈念する日として、琉球政府時代の1961年(昭和36年)から沖縄ではさまざまな行事が行われてきた。
- オリンピックデー
- 1894年(明治27年)のこの日、国際オリンピック委員会(IOC)がパリで創立したことを記念したもの。
さて、矢田寺・・・・
ほんと、素晴らしい紫陽花でしたが^^
まずは、お寺さんの紹介、2日目!
なかなか紫陽花ちゃんにはいけません
味噌なめ地蔵・・・・
その昔、近在の農婦が自家製の味噌の味が悪くなり、困っていました。ある夜のこと、夢の中に石のお地蔵様があらわれて、「我にその味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」とお告げになりました。
翌朝、矢田寺へ参って参道を見ると、夢に立たれたお地蔵様がおられたので、早速くだんの味噌をその口許にぬったところ、家の味噌は味が直っていたそうです。
これを伝え聞いた里人たちは、新しい味噌を作ると味が良くなるようにと、こぞってお地蔵様の口許へぬるので、誰言うとなく「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになったのです。
こんな由来があったのですね^^
ほんとに舐めてはります^^
ここにも、もう一本・・・・沙羅の木がありました。
本堂です・・・
しかし、あの夫婦連れのストーカーになってるな~~
お寺の紹介いうて、写真の羅列だけやがな~~
さっ、いよいよ、明日から紫陽花シリーズ~~
では、
本日も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080623
おはようございます!
今日は、何の日??
さて、昨日は2年ぶりに紫陽花寺と呼ばれる・・・・矢田寺
行ってきました~~。
満開のあじさいをば、堪能してまいりました。
まずは、お寺さんの紹介をば・・・・
一番近い駐車場・・・500円也。
遠くになるにつれ、400円になり300円になり・・・・
一番遠いところは、無料やった
◆日本のお地蔵さま発祥の地 |
「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は、城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。 今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。 当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。 |
◆「矢田寺」の名で親しまれています |
当山の本当の名前は、金剛山寺(コンゴウセンジ)と言いますが、「矢田寺」という名で親しまれているのは、この地が、万葉の昔より「矢田の里」と呼ばれていたことによるものです。
|
あの坂の途中に・・・
ええ雰囲気でしょ^^
スイカも、こんなところで食べたら美味しいんでしょうね
紫陽花・・・・期待もてまんな
入山料・・・・400円也!
この階段は、ほんときついですよ。
ゆっくり、休憩しもってね
やっとこさ、階段終了~~
右手には・・・・
みなさん、写真を撮っておられます・・・
こいつですわ^^
まだ、3分咲きですが・・・
習いましたね^^
平家物語の冒頭部分・・・・暗記させられました。
覚えてはりますか?
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
”口語訳”
祇園精舎の鐘の音には
永遠に続くものは何もないと言っているような響きがある
シャラの花の色は
栄えたものは必ず滅びるという法則を表している。
権力を持ったものも長くその権力を持ち続けることはできない。
それは春の夜の夢のようだ。
強い力を振るったものも結局は滅びる。
それは風の前にあるちりと同じである。
ほんと、綺麗な白い花・・・・
ツバキ科やさかいに、花がぼったんと落ちるから・・・
ここに使われたんでしょうね。
横には、こんな木が・・・
これが、またでっかい花が咲いてるんですわ・・
1個しか咲いてなかったけど
手のひら大の大きさ・・・・
迫力あって美しい~~
たくさん咲いてたら、さぞ綺麗んでしょうな・・・
写真、アップするのんサイズ間違ったな・・・・
続く~~
さっ、月曜日・・・
しんどいでっけど、起きてくださいや^^
では、
今週も、笑顔と気合で乗り切りまっしょい!
去年の同日の日記
http://blog.goo.ne.jp/takomusume97/d/20080622