日坂・佐夜ノ中山 江戸より25番目の宿
小夜の中山は、箱根、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の一つであったらしい。「年たけて、またこゆべしと思ひけや命なりけり小夜の中山」の西行の歌をはじめ、多くの旅行記などにその名が記されていることからも、旅人にとって印象深い場所だったことがわかる。小夜の中山とくれば夜泣石で、現在は近くの久延寺に祀られているこの石が、画ではごろんと道の真ん中に転がっていて、旅人の「……?」の雰囲気が面白い。背景の山は、左の切れているのが粟ヶ岳[あわんたけ]、その向こうは経塚山だろうか。
先に書いたように、我が志太平野(大井川下流域)の東の境が宇津ノ谷峠であり、そのランドマークが高草山とすれば、西のそれは日坂峠と粟ヶ岳ではないだろうか。我が家の前に出るとちょうど西の先に粟ヶ岳が見える(ちなみに東の先は白岩寺山)。山腹の大きな「茶」の字は充分に目立っているが、それだけでなく山容もなかなかの存在感がある。実際に、山頂林は遠州灘を行く船の航行目標保安林となっているそうだから、目印としての機能を果たしているわけだ。
頂上下にある廃寺は、無間山観音堂といい遠州観音霊場三十三箇所巡りの二十三番札所であったらしい。遠州七不思議の一つに数えられる「無間の鐘」が沈められたという井戸や、地獄穴なども山頂近くにあり、また山伏山という別称もあるようだ。こうした名称や北の経塚山などと併せて考えれば、ここも山岳修験と関係のあった信仰の山であったことが窺える。守護神は一寸坊権現。
現在は車で山頂まで行けてしまい、山道らしい雰囲気も少ないのが残念だが、頂上の展望台からの景観は素晴しい。南面は牧之原大茶園を眼下に、遠州灘から駿河湾、伊豆半島、冬場には伊豆七島も、北側には山々が幾重にもなって南アルプスへと連なっている。桜の名所としても知られ、シーズンには花見客で結構な賑わいを見せている。
(2004年1月記)
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【2024年9月追記】
これまでの手法に倣い、展望ソフト(アプリ)を使って背景の山を検証してみる。日坂宿から東へ旧東海道の沓掛の坂を上がっていくと、この画の絵碑と少し先に夜泣石跡の碑が建てられている。
碑の辺りと坂登り口の「二の曲り」辺りから北方の展望図を各々掲げる。
夜泣石跡からの展望図↑
夜泣石跡からの展望図↑
いずれにしろ広重画左の切れている山が粟ヶ岳(夜泣石跡からの展望図を見ると正確には粟ヶ岳北の高尾山・岳山辺りか?)であり、その右奥が経塚山であるのは間違いないように思われる。手前の彩色されたゴツゴツした山が何であるのかは残念ながら不明である。
ところで、日坂宿を描いた別の広重画には「日坂 小夜の中山夜啼石無間山遠望」とあって無間山=粟ヶ岳が描かれている。↓
粟ヶ岳は先日も南野陽子が登る姿が放映されたりして、すっかり全国区の低山となったようだ。短時間で山頂に立てる気楽さ(何なら車でも)と、山頂からの抜群の展望が人気の理由なのだろうが、何よりも東西南北それぞれに特徴あるルートを開いてきた地元の方々の努力が尊く、良い山になったと思う。
↑西山の郷登山口から尾根に取り付く(9/8)
↑粟ヶ岳山頂標識(9/8)
↑西山ルート初馬川上流部の夫婦滝
粟ヶ岳については上記の記事で海上からの目標ともなっていたことを記したが、御前崎沖「御前岩」から見るとこんな具合
粟ヶ岳の磐座群については下記参照
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