山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

山を彫る(番外篇)山伏

2025-04-05 09:01:10 | 山を彫る

山伏(ヤンブシ)

よもぎ峠

「乗鞍岳」をもって締めにしたつもりだったが、大作(?)を見過ごしていた。「山伏」ヤンブシ、いい響きだなぁ。この山は地理的にみても、我が山歴に於いてもヘソにあたる。若い頃から安倍奥を歩いてきた。十枚山を皮切りに竜爪山、真富士山、青笹、大光、安倍峠、八紘嶺と連なる安倍川東尾根。井川峠、笹山、猪の段と続く西尾根。その奥まったところに山伏があり標高2,013mと最も高く、まさに安倍奥の象徴である。大昔は路線バスで行くしか手段が無かったため登山口まで、とても遠かった。先に挙げた山々を、いくつかこなしてから挑戦した。その後度々登ってきたからエピソードも多い。

因み山行】1999/7 Tanさんと。孫佐島から取り付き井川峠へ、笹山を越えて牛首峠、猪の段への急登をしのぎ山伏小屋泊。翌朝、頂上を極め更に縦走。新窪乗越から険吞な道を行き大谷崩れの頭着。山梨100名山「行田山」の標識にはやっきりしたが、ここの標高が1,999.7m山の高さに因む山行だった。

積雪期】2月、山の師匠M氏と登った。乗越に達したが積雪が深くルートが分からない。手分けしてルート探索、とは言え腰までの雪の中でのラッセルはかなり厳しい。暫くして彼から声がかかった。樹に矢印がプリントされた板が打ち付けてあった。瀬戸引きで白地に朱の矢印。昭和32年、静岡国体の際、安倍奥、大井川奥、南アルプス深南部のルートが随分整備された。その時の標識を見つけたのだ。国体の山岳競技に出たことのあるM氏の眼は確かだった。後刻、M氏から頂戴した写真を元にハガキサイズの画を彫った。版画教室に入って間もない頃の作品で稚拙だが、いい雰囲気が出ていて私は気に入っている。

山伏峠】JIMNYに乗って山伏の裏側(北側)を走り抜けた。山伏峠を越えた辺りからガソリンが残り少なくなりアラームが点灯し始めた。焦っているせいか、そこからの林道が長かったこと。見神の滝を眺めるのはチョンの間に済ませ先を急いだ。ようやく52号線に出た所にガソリンスタンドがありガス欠は免れた。
ヤナギラン】山伏に登り始めた頃は、頂上手前にヤナギランが普通に咲いていた。今はネットの中で細々咲いている。鹿に食べられて激減したらしい。

撤退】Nakさんと山伏小屋に泊まるつもりで遅くに出発した。ワサビ田を過ぎて沢沿いの道を上っていた。1,200m地点で沢から離れるべきところを、かすかな踏み跡に誘われて直進していた。沢は次第に狭く、きつくなっていく。ようやく道を間違えたことに気づき引き返した。もう上る気力も失せて、そのまま家に戻った。

マンチャリ】よもぎ沢峠の下1,425m地点の水場で休憩中、マウンテインバイシクルで下ってくる奴と出会った。渡渉点のゴロゴロ石をものともせず乗り越えて行った。一体どこから上ってきたのだろう。尾川丁仏参道を苦労してダウンヒルしていた我にしてみれば超人に思えた。

金メダル】新窪乗越を下っているとき高橋尚子がシドニー五輪のマラソンで優勝した。

ベストコース】山頂へのルートは数々あるが、私にとってのベストは牛首回りの道である。西日影沢登山口の手前で対岸に渡る。取り付き点は平坦でチョッと判りにくい。尾根まで標高差約500mジグザグ道を黙々と登る。タラの木が多くあるところを通るが、どうも食用の芽を摘むため植林したものらしい。尾根に出ると空が開け開放的な雰囲気になる。ここで熊と遭遇したことがあった。牛首峠までは巻道気味で緩やかな上りが続く、崩壊しているところが2,3ヶ所ある。この為このルートを通る人が少なく、それだけに静かな山行が楽しめる。牛首峠に出たら、ここまでのファイトを自画自賛しながら大休止。猪の段への上りはきつい、小一時間、ガンバ!その先の尾根筋は快適だ。緩やかに上下する林の中、西側千畳敷駐車場から上ってくる道との合流点辺りの解放感あふれる窪地。先は見えてきた、ゆっくり行こう。まもなく山伏小屋、折角だから覗いてみる。1957年静岡国体時に建てたそうだから傷みが進んでいた。ここには3度お世話になったのかな。小屋を発ち大ガレの頭を通過した後の縦走路に5月GWの時に雪が残っていたことがあった。緩やかに登れば山頂に到着。春夏秋冬、晴れの日、霧の日、いつ訪れても気持ちがいい場所である。山伏って、いいなぁ。少し前、西日影沢登山口を先に行った林道から上記の巻道に出るコースを、静岡市山岳会が開いたと聞いた。この道を登れなかったのが心残りだ。

富士山大好きプロジェクト】NHK総合テレビ、夕方、視聴者投稿の富士山が映される。山伏から見る富士山を何度も目にした。聞いたところでは、日の出時を撮るため夜駆けで臨むという。山岳写真にのめり込んでいたNakさんと登ったときのことだった。同好者として情報を得ていたのか、案内されるままついて行くと、山頂を少し北へ行った茂みの中にありました。撮影用具の一部が箱に入れられ鍵を掛けられた状態でデポしてあった。なるほど、このような努力があって、世間に問える作品をものにできることが解った。
画像に対して木版画で表現してみることに。放映される画は、当然のことながら富士山が見える絶好の天気ばかりだ。敢えて富士山が見えない画とする。枯木の向こうに富士山が在るのは、判る人には、判る。山の大きさに負けずと自分が彫れる最大サイズf10号とした。手前の笹は葉数が多く面倒だったが彫り抜けた。もっと繁茂させても良かったかも。霧はスプレーを吹いたが思っていたほどの霧にならなかった。結果としてヘソにあたる山の表現は十分ではなかった。

(2024年4月、IK記)

*  *  *

山伏はIK氏と一緒に何度も訪れた山で、上記文の【因み山行】もそのひとつだ。山伏の写真をPC内に探していたら、旧『岳人』(東京新聞版)誌に寄稿した昔の案内文が出てきた。

山伏山頂部より望む富士山

 温暖な気候の静岡、殊に中部の平野部では滅多に降雪を見ることはないが、一月の終りから三月にかけて、冬型の気圧配置が崩れ南岸低気圧が通過した後の週末となると、俄然心が躍り出す。遥かに望む銀嶺の南アルプス南部より連なる大井川、安倍川筋の山々が手頃な日帰りの雪山になるのだ。そうした中にあって安倍奥の盟主「山伏」は、僅かとはいえ標高も二千メートルを越え、雪原となった山頂部、富士山、南アルプス主脈南部の展望と、雪山の気分を手軽に味わえる魅力ある山で、冬季においても賑わいを見せる。

山伏山頂

 山伏への登路は幾つかあるが、積雪期においては西日影沢からが一般的なようだ。このルートは山伏へのメインルートであり、多くの登山者に歩かれているのだが、どういう訳か地形図に破線の記載がない。登山口は、梅ヶ島新田バス停より左の車道に入る。大谷崩へ続く舗装道を右に見送り、ダートとなった林道を一キロ程進むと左側に駐車場がある。駐車場から西影沢を渡り少し進むと右側に登山口の指導標が立つ。

山伏山頂より望む南アルプス、聖岳・上河内岳

 ルートは夏道どおりで、良く踏まれた右岸沿いの道を進む。沢を渡りしばらく進み、ワサビ田跡を過ぎて再び右岸へ渡り返すと大岩に出る。標高一二〇〇メートルのこの辺りまでは積雪を見ることは少ないが、桟橋を渡る際には凍結によるスリップに注意したい。大岩の先でもう一度西日影沢を渡り右にルートをとる。山腹の桧林を登り、幾つかの小沢を越えるといつしか自然林の斜面となり蓬峠へ着く。

広大な雪原となった山伏山頂部

 蓬峠は山伏より東南に派生する尾根上にありほぼ中間点となる。ここから積雪も増してくるが、トレースは通常ならば付いている。峠から左へ北側を巻きながら緩く登り、南側の斜面に出る。急登を混じえながらジグザグに登っていくと尾根に乗る。霧氷の花を付けたブナや、クリスマスツリーのように雪を乗せたコメツガ、ウラジロモミなど冬の林は結構華やかだ。さらに急坂を登り切ると尾根は広くなり、稜線部に飛び出る。一旦下り、窪地状を少し進むと市営山伏小屋への分岐に出る。左に十分も行けば避難小屋があるので非常時には心強い。山伏山頂へは分岐を右に雪の丘を緩やかに登って行く。鹿の食害防止柵を左に見れば、すぐに標識の立つ山頂に着く。なお、大雪の直後は分岐手前よりトレースが無くなり、ラッセルとなる場合もある。

多雪時の山伏小屋分岐付近

 高原状の山伏山頂は広い雪原となって、動物の足跡が転々と続く。その雪原にすくっと立つ疎林、温暖な地静岡にあって解放感ある貴重な雪山の景観だ。眺望も一級で、悪沢、荒川、赤石、聖、上河内と赤石山脈南部の主峰群がきれいに顔を並べ、その奥には塩見も顔を覗かせる。東側にはお馴染みの富士山が大きく鮮やかに見える。穏やかな天候に恵まれ時間があれば、贅沢な景色をゆっくりと堪能したいものだ。
 下山は往路を戻るのが一般的だ。急坂やトラバースもあるので、アイゼンを着け慎重に下りたい。

(2010年2月記、『岳人』No.752「週末、雪の中へ」掲載)


山を彫る(番外篇)乗鞍岳

2025-01-23 15:18:32 | 山を彫る

東海フォレストツアーとして乗鞍高原スノーシューハイキングの案内があった。友人夫妻と共に我々夫婦も申し込んだが‥‥。妻が帯状疱疹に罹り取り止めて、我が家は私だけの参加となる。ロッジ「ふもと」到着後は、早い時間から飲みながら談笑。上等な宿とは言えないが酔ってしまえば、なんていうことはない。
2日目、観光センターが起点。スノーシューを借り衣装を整えた。私は積雪期登山や高遠少年自然の家での経験から難なく支度できたが、中にはスノーシューは初めてと言う人もいて手間取った。目が届き易いようにA,B2班に分けられた。ガイドの後に続いて参加者が、えっちらおっちら歩を進める。スノーシューは大きくて足にまとわりつく。多少の上り下りでも、それなりのテクニックが要る。間もなく牛留池に到着。氷結した上に真っさらな雪、Yonさんの計らいで向う岸までのかけっこ、よーいドン。こけつまろびつ各人好きなところをドタバタ、ドタバタ。「ここで後ろを振り向きましょう」の合図に振り返ると‥‥、わーお、林の上に乗鞍岳が、素晴らしい!要所々々でガイドがあり楽しい。おっ、熊の食事処(熊棚)だ。楢の木の梢に枯れた枝が広がっている。あんなに高い細枝の所まで上れるのだ。熊に遭遇して木の上に逃げたとしても追いつかれてしまう。もっとも、この姿では木に上れそうにもない。小さなコブを上がったり下がったり進み一ノ瀬遊園地に到着。ここは、更に開けていて絶景の場所だ。弁当を食べながら良い時間を過ごした。この後急降下して善五郎の滝へ。氷瀑を登っているところを初めて見た。14時スタート地点に戻り道具を返却。乗鞍岳には不気味な雲が現れていた。天気が崩れる予兆とか、天気に恵まれスノーハイクを充分楽しむことができた。
乗鞍岳は姿が良い。一ノ瀬遊園地からの眺めを彫ることにした。先生から中景に樹林を置くようにアドバイスを受けた。美しい峰を、それなりに表現できたと思っている。
2018/7SHC夏山合宿で乗鞍岳に登った。乗鞍高原が眼下にあった。

追記
このツアーに一緒に参加したT夫妻とは長きに亘り旅行を共にした。7月乗鞍高原泊、シャトルバスで畳平へ、富士見岳下のコマクサ群を見てもらいたいと宿の予約をしたのに‥‥。奥様が病に罹り予約をキャンセル、10月亡くなられた。版画の師に続いて大切な友人を失い、とても悲しい。今になって乗鞍岳は様々な想いが重なる山となっている。

(2025年1月・IK記)

*  *  *

この画の素材となった乗鞍高原は、IK氏の個人的なツアー参加ゆえに、それがいつのことか、また元になった写真など全く分からないのだが、2012年3月、会の合宿山行で乗鞍岳西麓の乗鞍青少年交流の家に泊まった。丸黒山を目指してのスノーシューハイキングは、時間と天候の関係もあって3分の1ほどの行程で終わったが、フカフカの積雪の中のどこを歩いてもOKという自由な感覚は、初心者を混じえて楽しいものだった。

 昨年の高見山に続いて今回の冬期合宿にも大勢の方が参加され、企画した者として嬉しく思います。今回のテーマは、「スノーシューを使って雪の上に自分達のトレールを刻む」ということでした。交流の家備品のスノーシューはあまり上物ではなく、装着に手間取ったり、最初は足の運びに戸惑ったりしましたが、時間が経つにつれ、皆さん人の踏んでいない所をどんどんと進んで行きました。雪の上を自由に歩き回る愉しさを覚えたことが、皆さんの感想から伝わってきました。力にあった場所を選び、充分な用意をし、そして少しだけ大胆な気持を持って臨めば、雪の野山ほど心が解放される所はないと思います。
 帰りの時間や下り坂の天候のこともあり、目的地の半分くらいの地点で引き返しましたが、なだらかで静かなこの尾根は気持ち良く、冬のこんな遊びには最適のフィールドと感じました。ぜひとも機会を作ってあの続きを歩きたいものです。(『やまびこ』No.182)

この3月「あの続き」を歩けることになった。どんな景が待っているだろうか。


山を彫る(番外篇)会津駒ヶ岳

2025-01-10 15:16:12 | 山を彫る

会津駒ヶ岳1

駒ノ小屋が見えてきた、稜線まであとわずか

愛唱歌「夏の思い出」の中の一節に「はるかな尾瀬遠い空‥」とある。尾瀬が好きで何度か行っているうちに燧ケ岳、至仏山から見える会津駒ヶ岳が気になり始めた。地形図を見ると尾瀬よりも更にはるかな峰である。その地の様子も知らないままルートを考えた。桧枝岐から登るしか道はなさそうである。桧枝岐か、遠いなぁ。島田からのアクセスが悪い、長い。計画倒れのまま幾星霜。2012年チャンスが巡ってきた。SHC夏山合宿で会津駒ヶ岳を目指す。ここで問題発生、先に計画していた東北旅行と日が重なった。山行担当者にお願いして7/27桧枝岐の手前、会津線「会津高原尾瀬入口駅」で落ち合うようにさせてもらった。旅行は全体を1日前倒しに、車には旅行の支度と山の支度を用意した。7/27会津若松駅まで送ってもらい、しばしの別れ。独り会津線に乗車、呑み鉄のはしりであった。会津高原尾瀬入口駅で降車、SHCを待つ間にもうワンカップとソバの昼食。貸切バスに乗り8時間かけてやってきた会友と無事合流できた。その夜は七入山荘で早速宴会。

会津駒ヶ岳2

駒ノ大池の脇を通って山頂を目指す

7/28いよいよ会津駒ヶ岳に登る日が来た。広葉樹の中の急坂をひたすら登る。2ピッチ、1:40登った所に水場があり、しばし休憩。つわものは給水に行ったが私にはそんな余裕はない、あきらめた。ひと上り後、視界が開けてきた。いつしか周りは針葉樹に変わり駒ヶ岳も見えるようになってきた。ここまで来ればしめたもの、木々は矮小になり展望がどんどん広がる。10:45駒ノ小屋に到着、ここで早めの昼食。エネルギーを補給し、衣装を整え出発、山頂を目指す。この上り道も爽快だ。11:40はるかな峰であった会津駒ヶ岳にとうとう登ることができた。班毎に集合写真を撮り中門岳に向けて出発。計画書でこの名前を目にしたとき、聞いたことがない名称の山に首を傾げた。しかし、この道こそ永年求めていた楽園だった。ほとんど起伏のない広い尾根をゆったりと歩く。お花畑、中でもハクサンコザクラ、残雪、湿原、求めていたものが揃っていた。中門岳で山行の達成を祝い、来た道を引き返した。小屋付近でOさんが捻挫して下山は難儀したが、なんとか宿に戻ることができた。

会津駒ヶ岳ハガキ

 

会津駒ヶ岳山頂

さて、会津駒ヶ岳を彫るのは、なかなか手強い。山が大きくて画がまとまらない。考えた末、小屋下から下を見たところ(登ってきた道)を彫ることにした。木道に人ひとり、これは私だ。永年の夢が叶い達成感を反芻しながら下っている姿です。満足する出来映えではなかったためもう一枚挑戦。ちょうど年賀状の時期だったためハガキサイズで一作仕上げ構図を決めた。ほぼ同じ構図の絵を描きf6サイズで彫り上げた。駒ケ岳山頂に向かって笹原が広がり針葉樹が点在する様は、とても気持ちが良い雰囲気だが納得できる表現には到達せず。勢いそのままハクサンコザクラをハガキサイズで、結局、会津駒ヶ岳は4作品を生む元になった。ありがとう会津駒ヶ岳。

ハクサンコザクラ

追記
山行の4年後、版画教室は先生の高齢化を理由に閉じた。太田友一先生が’24/9亡くなられた。102才の大往生!与えることをいとわぬ大人でした。人生の後半に良き人に出会えてラッキーだった。深謝。

(2025年1月、IK記)

駒ノ小屋から尾瀬へと続く稜線、遠く燧ヶ岳を望む

頂稜湿原の稜線上は池塘が散在する

会津駒山頂から中門岳に続く稜線は天上の楽園

「この辺り中門岳」標識、皆で寄り掛かると倒れちゃう?

*  *  *

この2012年7月の夏山合宿は、企画した私にとっては会心の山行のひとつだった。檜枝岐の宿手配、貸切バスの運行スケジュール管理、三日目昼食場所の手配から、会津駒ヶ岳と駒止湿原の山行まで、Oさんの怪我トラブルを除いてほぼ計画どおりに運べ満足のゆくものだった。ところで、この年の夏山合宿地に檜枝岐を選んだのにはわけがあった。

 夏山合宿「会津駒ヶ岳」山行が今月末に行われます。昨年は震災後の自粛ムードもあって自主山行としましたので、2年振りの夏山合宿となります。目的地を敢えて原発事故被災地の福島としたのは、私たちが山を登る意味や周りとの関わりなどを、答えのないことを承知の上で、少し考えてみようということです。福島県の最西端に位置する檜枝岐は、福島第1原発から約160キロ離れているにも拘らず、尾瀬や南会津の山々への入山者は減ったそうです。尾瀬全体では約2割、福島側沼山口では約4割減とのこと。観光業など第3次産業就業人口が9割を占める村にとって、これは大きな痛手となっているでしょう。福島県を訪れ、彼の地の山に登ることが、ささやかながらも復興に向けての要素になればと思います。無論これは対岸のことでなく、浜岡原発より30キロ圏内に生活する私たちにとっては、我が身のことでもあります。(2012年7月『やまびこ』184号)

また山行後には次のような感想を持った。

参加者全員から寄せていただいた感想と多くの写真で、この夏の思い出を振り返りました。皆さん本当にいい笑顔をしているし、感想からも全員で中門岳まで行けた充実感が伝わってきました。色々な制約や面倒もあるけれど、仲間と共にやり遂げることに、合宿山行の確かな感動があると思いました。本来ならば、この〝天上の楽園〟は、もう少しのんびりと時間をかけて味わいたい所ですから、皆さん各々が、機会を作ってチャレンジしてもらえれば嬉しいことです。また、今回は残念ながら不参加となった皆さんも、次はこの笑顔の中に加わってください。山はいつでも〝行ったもの勝ち〟です。(2012年9月『やまびこ』186号)

 

 


山を彫る(番外篇)守屋山キャンプ場にて

2024-12-04 08:31:08 | 山を彫る

高遠少年自然の家を利用するようになったのは、いつ頃からだろうか?随分昔から行っているはずだ。試みに会報「やまびこ」の索引を使って検索してみた。始まりは1998/2、よほど気にいったのだろう、7月も。以降2002年まで2月ないし3月のスノーハイクは恒例になっていた。しばらく休み2008,9年、また少し飛んで2013、2020年と訪れている。自然の家ではクロスカントリースキーやスノーシューを無料で貸してもらえるからありがたい。チョットしたルールを守れば格安で利用できるのも嬉しい。コテージで薪ストーブを囲み、呑み、かつ歌い、踊れば浮世の憂さを忘れる至福の時だ。初回は自然の家周辺で雪と戯れていたが2回目’98/7には守屋山へ登っている。

2013/2/10自然の家出発、立石口から登山開始。雪はあるがアイゼン無しで進行。立石から少し剣呑な道になる。南面にあたるため雪が融け、岩が露出する箇所が多い。間をおいて慎重に進む。木にできた二つ瘤がちょうど女性のバストの様で“平成のビーナス”の銘板に一同緊張がほぐれた。鬼ヶ城のある巨岩地帯、浅間の滝を経て、急な上りを凌げば前岳のコルに出る。ひと休みしたら開けた道をジグザグに進み、杖突峠への分岐点に出れば山頂は近い。灌木になり、空が広くなった道をひと上りで東峰の頂に到着。わーお、360度の展望だ。北アルプス、美ヶ原、八ヶ岳、手前に入笠山、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、ぜーんぶ見えた。本隊は西岳へ。芦田、天野、池田ロートル3人はここに留まり、自然の家特製の昼飯を戴く。快晴無風、抜群の眺め、ええなぁ。西峰に向かった本隊が戻ってくるのが見通せたので3人は先発。下りはアイゼンを着けた。順調に下りキャンプ場に着く頃、本隊が追いついた。夏の賑わいは知らない、人影は無くひっそりしていた。ふと見上げると青い空、白い雲、葉を落としたカラ松がアートしていた。これ、いただき、この様を版画に彫った。写真の通りの画を描いたら、先生からは中心に向かって木を配置するようにアドバイスを受けた。カラ松が落葉して枯枝に粒々が残っている状態を表したい。その頃はまっていた木田安彦の表現を応用した。浅丸刀で丹念に彫る。加減しながら摺ってみると粒々が出てきた。それらしい表現ができたと思っている。この画は、東京に住む孫の部屋にピンナップされている。(どうも傷隠しらしい)

平成のビーナス

鬼ヶ城

浅間の滝

守屋山頂から望む八ヶ岳連峰

追記
2024/2/11,12高遠少年自然の家に泊まり、守屋山に登ることができた。この時も快晴、無風、素晴らしい山行になった。3月末をもってSHCを退会。始まりから終わりまで関わってきた自然の家と守屋山に感概ひとしおである。

(2024年11月 IK記)

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IKさんが書くように、高遠少年自然の家は冬合宿の常泊場所だった。最後の冬合宿となったコロナ禍前2020年2月もここに泊り守屋山を目指したのだったが、残念ながら雨模様で神長官守矢資料館や諏訪大社四社巡りとなった。

【2020年3月記】

(前略)守屋山頂からは眼下に諏訪湖が、そして東に八ヶ岳連峰とその南西麓がはっきりと望まれる。縄文期の諏訪に住む人々はこの聖なる山に立ち、自らの集落と生活の場である山(もり)と湖(うみ)の姿を一望し、どのような感懐を持ったのだろうか。共生する自然への鋭い感性=インスピレーションを持ち合わせた彼らは、現在ここに立ち眺望する我々には受けることのできないものを感じとり、視ていたのかもしれない。さらに、この豊かな古代諏訪文化は、天竜川水系、富士川水系を下って太平洋岸にまで至り、また屛風のようにそそり立つ南アルプスの峠を越えて井川にまで達していたらしい。我々の大井川流域の山々と八ヶ岳連峰は、古代において結ばれていたのであり、その結節点が守屋山であったとも言えるだろう。
(会報『やまびこ』№191「月々の山」)

 これが、私が山を歩くことの関心(テーマ)のひとつである。前宮から守矢史料館、本宮にかけての一帯は、是非とも案内したいと思っていた場所で、雨で守屋山から代ったのも良い機会になった。この地区をもっとじっくりと探っていけば、それだけで面白そうな史跡ハイキングを企てられそうである。
 宿泊した高遠青少年自然の家のロビーには、ランドサットが撮影した写真に自然の家の位置を印したパネルが掲げられている。これを見ると、ここがちょうど南アルプスを挟んで南北に我が街と対の位置にあることが理解できる。実は、この話は高遠青少年自然の家に通っていた初めの頃、当時代表であったIKさんが、夕べの集いの団体紹介で挨拶された事柄で、懐かしく甦る。すっかり〝長老〟(?)となられたIKさんが、今回の合宿にも参加され、夜の懇親会ではノリノリでハモニカを披露してくださったこと、また合宿初参加の皆さんも気持ち良く輪の中に加わり、全く良い思い出となった。「会員同士の親睦を図る」という合宿のもう一つの目的も叶えられた。


山を彫る(番外篇)三方分山

2024-11-23 10:07:59 | 山を彫る

三方分山西面の展望図

私はこの山が好きだ。まず名前が良い。“サンポウブンザン”山の名前としては珍しい字面である。名前の通り山頂から三方へ尾根が張り出している。頂きでは判りにくいが地図上で見ると見事に三等分されている。次にロケーションが良い。定例山行での上り道は中道往還であった。駿河から甲州へ抜ける街道のひとつ。駿河湾で獲れた魚を担いでこの峠を越えた。沼津からここまでの道のり、更に峠を下り上九一色村(古関)までの距離を測ると想像し難いが紛れもないことだ。上り始めの精進集落の佇まいは、それとなく歴史を感じさせる。峠を西進すれば気持ち良い尾根を通って小一時間で三方分山に着く。富士山方面は切り開かれていて明るい。西側は樹木が茂り、眺めが遮られるが木の間越しに南アルプスが見える。あのピークはどこだろう?眺めを楽しんだら南南西への尾根を急降下。精進峠を過ぎた辺りより精進湖が現れ富士山がますます大きく見えてくる。大室山を懐に抱いた“子抱き富士”は面白い。続く尾根筋は快適だ。根子峠を過ぎ、ひと歩きでパノラマ台に出た。前にも増して富士山がドーンと在った。素晴らしい。上り口から山頂へ、更にパノラマ台へ、このコースは本当に良い。
付け足しになるが、アクセスが良いことを挙げる。広々とした駐車場の存在もありがたい。時間的、体力的に三方分山が無理な時でもパノラマ台往復も可、十分に眺望を楽しめる。

阿難坂方面から望む三方分山

パノラマ台からの子持ち富士

2013/1/13積雪期の山行を彫った。良いアイデアを思い付いたので山頂から西を眺めた構図とする。立川さんにお願いして山頂から見える南アルプスを表してもらった。同定された山々を木の間越しに見えるように配置した。際立つピークは東岳(悪沢岳)だった。左寄りの木と木の間に置き、続く山並みは木に遮られたり、見えたりしながら北に連なり、右寄りの樹間に北岳が在る。原画の段階での先生からのアドバイスに従い倒木を追加、なるほど。

蛇足
定例山行の際、斎藤、小沢、池田は精進峠から集落へのショートコースを選択した。急坂を一気に下り集落近くまで来て、ルートを見失った。ボサを通して集落の屋根が見える程の位置だったから右往左往している間に道が見つかった。近道のつもりだったが通る人は少なく踏まれていないようだった。後に続く方あれば注意あれ。

(2024年11月、IK記)

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阿難坂(女坂)

駿河・甲斐を結ぶ街道の一つ中道往還は、IKさんが触れられているとおり「魚の道」でもあった。吉原(富士市)を起点に富士山西麓を通り、精進湖西岸から阿難坂(女坂)1215mで御坂山地を越え、さらに古関(旧上九一色村)からは右左口(うばぐち)峠855mを越えて、甲府まで20里の道程だった。朝、沼津沿岸から揚げられた海産物は、暑い日中を避けて夕方から夜通し馬なども使って運ばれ、翌朝には甲府の魚問屋に並んだという。甲府周辺は、内陸へ生魚を運べる限界である「魚尻線」にあたり、中道往還は別名「五十集(いさば)の道」(魚介類の道)とも呼ばれた。現在、山梨県は人口あたりの寿司屋の件数が日本一、またマグロの消費量が静岡県に次ぐというほどの魚(マグロ)好きは、中道往還あってのことだったのだ。なるほど、山梨の長男妻実家で出された料理の刺身が旨いものだったことを思い出した。山梨土産と言って、中央道の談合坂SAでアワビの煮貝を買ってきて、驚いたこともあった。現在の中道往還といえるR358・精進湖道は中部横断道開通前には、大菩薩嶺など山梨東部の山行によく利用した道だった。