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山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

夏焼城ヶ山

2025-05-01 14:52:11 | 日記
会の仲間が奥三河の夏焼城ヶ山(豊田市)に行ってきた。
報告に「夏焼という名前が気にかかり」とあるが、夏作の焼畑地に由来するのは確かだろう。
因みに地理院地図で「夏焼」を地名検索すると青森、秋田、静岡、愛知、岐阜、富山、徳島、山口の各県でヒットした。この内、静岡(水窪・飯田線大嵐駅の南)から富山(南砺市・五箇山の北)の中部4県での分布を見ると、民俗学でいう「中のボカシの地帯」に沿っていて興味深いところだ。

青旗の場所に「夏焼」地名
豊田市の夏焼は南朝所縁の尹良親王伝承の場所でもあり、木地師系の集落だったのだろう。伊那根羽村との国境の峠(旧三州街道)となる杣路峠にも興味が湧いた。
ところで「夏焼」地名で一番有名なのは静岡水窪・佐久間湖畔の廃村のようだ。
この水窪の夏焼開郷に係わる天龍村坂部の熊谷家については、宮本常一が『山の道』の中で触れている。
「天竜川中流、長野県の南端に坂部という所がある。飯田線の車窓から天竜川を距てた急斜面の上日本のちょっぴり集落が見える。ここが坂部である。坂部は今から六〇〇年あまり前に熊谷直実の子孫の住みついたところである。この家は『熊谷家伝記』という比較的確実な記録を残しているので、いわゆる落人伝説を持つ家がどのように山中に住みついたかを知るのに大変教えられるところがある。」
「多くの平家谷の伝説を持つ村々も平野地方で戦に敗れた人たちが熊谷家のように山中深く入り開墾定住し、同類の者と婚姻圏を形成することによりそれ以外の村々とは比較的接触が少ないままに今日にいたったものもあり、また木地屋や狩猟などを主業としつつ、一般農民とはやや違った生活をしていたために、その人たちとは出自を異にする者と見られて来、山人もまた蔑視を避けるためその出自を誇示しようとする意図を持っており、それをまた裏付けようとする遊行聖たちが居て、これらの伝承が、まことしやかなものになっていったのではないかと思う。
 いずれにしても山中には里人には知れないきびしい生活があり、また殺戮がおこなわれていたことはここにあげた例ばかりでなく、実はもっともっと多かったのである。そして山中の居住は決して夢多く平和なものではなかった。
 にもかかわらず、里人は山の彼方に幸福の世界を夢みていた。」

友人の四十九日

2025-02-10 16:02:13 | 日記

8日朝、八幡山展望台からの富士山

安倍奥(遠景)も白くなってきた

今日向かう松風閣は遠景(高草山)右端の小さな突起・虚空蔵山の場所にある

2/8、昨年暮れに脊髄腫瘍で亡くなった友人Suyの四十九日法要を宗傳寺で、その後、お膳上げを焼津・松風閣で行った。
昨年秋に母親を亡くしたSyoに身寄りはなく、友人葬とでもいったところ。地元在住の友人4人(とその家族)、東京から足を運んできた大学時代の友人、ShyとTumとは40年ぶり近くの再会となろうか。こうして旧交を温められたのも、まめな付き合いをしていたSyoのおかげだ。それぞれが彼の思い出を語り、彼の好きだった芸をして小さいながら良い供養の宴だった。

松風閣窓越しの富士山

Ryoも一緒に供養してくれた

9日帰宅後、伊太まで散歩、梅がチラホラと咲き始めた

伊太八幡神社


この正月

2025-01-10 10:36:07 | 日記

新年も10日になって間の抜けたことだが、本年も穏やかな年でありますように。

仕事納めの28日になって、15年程も使っていたPCが逝ってしまった。暮れの仕事が片付くまで持ったのは彼なりの意地だったのだろうか。後生大事に使い続けたのは仕事に使うソフトのバージョンが古いからで、今は何もかもサブスクリプションの方式になってしまって必要もない機能に無駄に金がかかってしまう。買取済みのソフトを活かせる方法をネットで検索したり、帰省中の息子に尋ねたりしたが、そんな都合の良いことはもはや無かった。あと何年仕事ができるか分からないが、取り敢えず年明けの仕事再開に間に合わせるために、中古(整備品)の新しいPCを手配し、正月中かけてソフトのインストール、周辺機器の接続、データの移動などに追われ、何とか再構築することができた。で、ブログも再開できる運びとなった。

温暖な当地では風もなく穏やかな正月を迎えることができた。

波田の立石稲荷に参詣し、いつものように八幡山のパノラマ台に上がった。

初富士と志太平野・駿河湾の向こうに伊豆半島

初山行は5日、精進湖北の三方分山へ。前夜のものかうっすらと白いものが。

精進諏訪神社の境内には国天然記念物の大杉(樹齢1200年、目通り10.2m、高さ40m)

旧中道往還を登り切った阿難坂(女坂)峠の石仏

パノラマ台からの富士山

精進湖

 

 

山を彫る(番外篇)三方分山 - 山の雑記帳

三方分山西面の展望図私はこの山が好きだ。まず名前が良い。“サンポウブンザン”山の名前としては珍しい字面である。名前の通り山頂から三方へ尾根が張り出して...

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師走あれこれ

2024-12-29 15:11:41 | 日記

12/15、粟ヶ岳の後の忘年会で新型コロナに感染、熱は2、3日で平熱に戻ったが胃腸の不調が今も続く。忘年会参加者の約半分が感染というクラスター状態でやれやれのことだ。幸い家族への感染は無し。

12/24、旧い友人(高校の同級生)のSが亡くなった。末期ガンで年は越せないと告げられていたが、前週には蓮華寺の畔に連れ出してもらい、そばを啜って、ビールを舐めて、好きな煙草も吸った。前年、年老いた母親を亡くした後は彼に身内はなく、数人の友人だけでの静かな見送りとなった。寂しさが押し寄せる。

12/28、末っ子が十山のウィスキー「Flora 2024」を届けてくれる。噂には聞いていた南アルプスの貴重な酒は職場忘年会で引き当てた由。旨い!

 

 

新製品:シングルモルト デッサンシリーズ フローラ 2024|十山株式会社

十山株式会社は、南アルプスの奥深い山々の価値を世界にお伝えすることで、自然に関心をもっていただき、自然を楽しむと同時に、それが少しでも自然を守る行動に繋がるよう...

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日切から粟ヶ岳へ

2024-12-17 17:48:02 | 日記

粟ヶ岳山頂からの富士山

 2024年最後の会山行は、我がランドマーク「粟ヶ岳」へ東側の大鉄・日切駅から目指した。馴染みの粟ヶ岳へは、東山いっぷく処、西側の倉真温泉、そして本年8月には南側の西山から登っているが、日切からは初めてのこと。昔々に(中学の遠足?)金谷から登ったような記憶が微かにあるが、ここからだったのかは定かでない。

志戸呂の坂途中からの富士山

台地の上の行人塚

近づいてくる粟ヶ岳の「茶」文字

 志戸呂の坂を登って台地の上に出ると行人塚が建つ。1603年(慶長年間)、大井川の氾濫で島田宿が消失し山側の元島田(島田市医療センター南側))に移転し、島田市大鳥、大井川渡河、牛尾山、島田市(金谷町)志戸呂谷北という中世のルートが復活、1614年まで約10年間、仮の東海道とされた。ここはその一部で碑には「正徳二年巳八月二日 帰真 満願院全行得道上座霊位」と彫られている。数10メートル先には摩滅が進み判読困難となった石の道標があって、古くからの街道であったことが窺われる。直進すると小鮒川・日坂へと下っていく慶長の仮東海道のルートとなる。今回は右折し安田(あんだ)へと向かう。進むに従い粟ヶ岳の「茶」の字が随分と大きくなり、茶畑を前景に存在感のある山容が望まれる。途中には国営農業水利事業(平成9年度完了)の大きな調整水槽がいくつもあって、大井川の川口取水工から水路橋を経て大代の牧之原揚水機場から揚げられた水が溜められている。

安田の大ジイ

 粟ヶ岳北東中腹の集落・安田(あんだ)には、県指定天然記念物のスダジイの巨樹があって神仏をその懐に抱えて悠然と立っている。樹高は27メートルとそれほど高くはないが、枝張りは東西26メートル、南北23メートルにも及び、八俣の大蛇(やまたのおろち)のように八方の天空に枝を張りくねらせ、一樹なのに一つの森のような風貌を持っている。ところで[安田/あんだ]という地名だが、[あだ]とルビが振られていることもある。『民俗地名語彙事典』(ちくま学芸文庫)によれば「アダ ①オク(奥)に対する里がアダ ②日あたりのよい土地」とされている。金谷安田の場所を見てみると、粟ヶ岳北東に位置し、東側が開けた菊川上流部の小さな谷であるから、「①オク(粟ヶ岳)に対する里 ②日あたりのよい土地」の語意を充たしていると思われる。

名残の紅葉

 安田から奥貝戸を経て東山からのハイキングコースに合流すると、ひと登りで山頂の阿波々神社に到着、本年の山登りの無事を感謝し参拝後、眺望の効くかっぽしテラスで暫し富士山や伊豆半島(やや霞みがちであったが)、そして眼下の大井川とわが町の景観を楽しんだ。山頂には「かっぽし(刈干し)」で作られた来年の干支・蛇が飾られ、多くのハイカーで賑わっていた。

粟ヶ岳山頂の大蛇

大代のジャンボ干支

 下山は岳山との鞍部から小尾根を大代に下って、山頂のそれに比べてジャンボな二匹の大蛇が飾られた「大代ジャンボ干支」会場に、予定時刻の11時半に到着した。こちらも大賑わいであったが、大蛇をバックに参加者全員で集合写真を撮って、本年最後の定例山行を終了した。その後は迎えのマイクロバスに乗車し川根温泉へ移動、忘年会を楽しんだ。

 

 

安田の大椎 - 山の雑記帳

かねてから気になっていた粟ヶ岳北東中腹の安田(あんだ)にある巨樹を訪ねてみた。ムラの小さな神仏たちをその懐に抱えて悠然と立つ。静岡県島田市金谷安田の大椎と呼ばれ...

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ランドマークとしての粟ヶ岳 - 山の雑記帳

山頂下の「茶」の字で知られる粟ヶ岳我が家から外に出ると、ほぼ真西の方角に粟ヶ岳(あわんたけ)の「茶」の字を見ることができる。振り返って真東を見ると白岩寺山で、こ...

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