山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

天狗岳西尾根

2024-08-13 16:26:55 | 山行

立秋は過ぎても相変わらずの猛暑の最中、山の仲間二人と北八ヶ岳・唐沢鉱泉から天狗岳を周回してきました。
山の日連休二日目のこの日は朝8時には唐沢鉱泉駐車場は満杯、600mも手前の林道路肩に駐車しました。
久しぶりの八ヶ岳には大勢の登山者が登っていました。
天気は晴れでも雲がかかりやすく眺望は今ひとつでしたが、休みの一日を元気に過ごせました。

しゃくなげ橋を渡って西尾根登山道に入る

ワンピッチの上りで尾根に出た

第二展望台から目指す西天狗岳を見上げる

諏訪方面の展望

巨石の積み重なった登山道を上っていく

西天狗岳山頂に到着

向かい側の東天狗岳山頂には大勢の登山者の姿

東天狗岳山頂に到着

稜線南側はガスに覆われがち

稜線北側、蓼科山を望む

岩がちの稜線を中山峠に向かう

登ってきた東・西天狗岳の姿

中山峠に到着

黒百合平に到着

苔むした滑りやすい道を下っていく

渋ノ湯との分岐まで下りた

鉱泉手前の唐沢の冷たい流れで汗を流す

今日の歩いたコース


アカクボ沢のトチノキ

2024-06-22 11:48:51 | 山行

山住古道とアカクボ沢の栃巨木

○期 日:2003年12月10日(快晴)
○コース:浜松市天竜区水窪町・山住河内浦(8:20〜40)…鳥居橋…〈山住古道〉…二合目(9:08)…六合目(9:50)…山住峠(10:25〜30)…常光神…1108三等三角点「山住峠」(10:42)…山住峠(10:56〜11:22)…山住神社(11:25〜40)…鳥居橋(12:37)…河内浦・山住家(12:42)…駐車地(12:52)=〈車移動〉=アカクボ沢下降点(13:05)…アカクボ沢栃巨木(13:17〜27)…アカクボ沢下降点(13:40)
○メンバー:6名

山住古道(山住神社旧参道)入口

 山住(やまずみ)古道は県道・水窪森線開通以前に歩かれていた参道で、河内浦(こうちうれ)と山住神社を結ぶ距離約2キロ・標高差約550メートルの山道が、水窪のNPO「山に生きる会」によってハイキングコースとして整備された。山住アカクボ沢のトチは、河内浦からアカクボ沢を800メートル程溯った上流部に在って、目通り8.7メートル、樹高35メートル、樹齢600年で静岡県下一のトチの巨木だろうと言われている。

徳川家康の腰掛岩

 河内浦に車を置き、鳥居の掛かる山住古道入口から登り始める。九十九折の急斜面に付けられた道でザラザラとして歩きづらい。一旦県道に出るがすぐに再び山道となる。穏やかな天気であるが北斜面の谷沿いの道は陽が射さず、相変らずザラザラの急斜面で、お世辞にも快適とは言い難い。途中には「落ちない橋」と命名される微妙なバランスの桟橋があって、下りでは少しスリルを感じた。標高900メートルの六合目で尾根に出ると道幅も広くなって、やっと歩き易く、参道らしくなった。「家康の腰掛石」は山住神社と徳川家の関係を窺わせるが、他に参道を感じさせるような遺物はなかった。2時間程で山住峠へ出た。太陽の光を全面に浴びる常光寺山(じょうこうじさん)は、水窪河内川の谷を隔てて大きい。

山住峠から望む常光寺山

 今回の目的のひとつは、今までの山歩きで山住周辺を訪れて気になっていた箇所を訪れること。峠からスーパー林道を家老平(かろうだいら)方向に進むと「常光神」と書かれた標識を目にする。尾根に上がってみると祠があって、樹林の合間からその先を望むと常光寺山頂を向いている。ここは常光寺山の遥拝所だったのだろう。実際、山住神社の宮司は「常光寺山が山住神社の奥の院である」と語っているのだった。常光寺山→山住神社→竜頭山→秋葉山と尾根沿いに南下していった元々の古い信仰の痕跡が見てとれる。

 常光寺山の「光」の信仰が、焼畑農業や冶金の火と結びついて、平地に近い秋葉山の方へ集約され、長野市北方の飯綱山からもたらされた秋葉信仰(秋葉三尺坊)とが加わり、根付いたことになる。(「秋葉古道の成立過程と果たしてきた役割の研究」中根洋治ほか)

 祠から平らな尾根を少し北に行った1108m三等三角点の点名は「山住峠」、「水窪百山」の標識が掲げられていた。

1108三角点手前の常光神祠

 昼食と山住神社に参拝の後、一時間程で河内浦に下り、これも目的であった山住家に立ち寄った。城のような大きく堅牢な石垣の上に建つ山住家は、800年に亘って山住神社の神事を司ってきた名家であったが既にこの地を下りている。とは言え屋敷や庭が荒れた様子は無いのは、過日の塩の道ウォークで訪れた水窪川右岸の集落と同様に、定期的に通ってくる一族の者があってのことだろう。山住家に限らず周りに生活の気配は感じられず、もはや河内浦自体は無住の集落となっているようだ。屋敷地内には「山住大権現」を祀った社があって、修験道との関連も窺われる。また山住家は青崩峠下に鎮座する足神神社の社家・守屋氏の分家であったと言われるから、山住の信仰と遠山谷を通ってきた諏訪信仰との関係も窺われる。

山住家屋敷地内に祀られる「山住大権現」

 一旦車に戻り県道を上ってアカクボ沢のトチノキ入口に向かう。細い山道を谷底に向かって十数分ほど下ると沢の岸辺に堂々と巨木が立っていた。トチノキは日本の山村地域の暮らしを支えた重要な樹種で、実は縄文時代より食用され、材からは臼や捏ね鉢などが作られる。水窪地域にはアカクボ沢以外にもトチの巨木が何本か残り、またトチ餅も地場の名物である。「里近い栃の木は人びとに守り育てられてきたのであり、そこには栃と人の共生関係があった」(「神と自然の景観論」野本寛一)

水窪河内浦・アカクボ沢のトチノキ

 今回の番外篇では、山住・河内浦周辺の山行で気になっていたが省略してきた事象をいくつか拾うことができて、自分なりに満足した山歩きだった。

(2003年12月記)


伊豆山稜線歩道・手引頭

2024-05-29 11:07:15 | 山行

2024年5月26日/伊豆山稜線歩道(天城ゆうゆうの森〜仁科峠)

天城ゆうゆうの森(8:35)…二本杉峠(9:47〜55)…滑沢峠(10:20)…三蓋山(11:03)…つげ峠(11:30)…P1014・手引頭(12:00〜25)…猫越岳(13:55)…仁科峠(14:50)

手引頭のタコブナ(2024.5.26)

大ブナ峠(通称・P1014西)のブナ巨木(2024.5.26)

 所属会の5月定例山行は、伊豆山稜線歩道の二本杉峠から仁科峠を歩く。ハイライトは、昼食場所としたP1014「手引頭」周辺のブナ林、広々としたいかにも天城の森らしい雰囲気のある場所だ。山頂近くの大シャクナゲの下部は既に花を落としていたが、頭部はまだ可憐なピンクの花を十分に残していた。山頂に根を張るこの森の主のようなタコブナは、何本もの太い枝を横に長く伸ばし、威厳に満ちた存在感を示していた。いずれも天城山系随一の巨木とされている。この伊豆山稜線歩道沿いの森は、百名山の天城山周辺の喧騒に比べだいぶ静かなところも良いと思った。

P1014「手引頭」の山名板(2024.5.26)

 ところで、P1014が「手引頭」と呼ばれるようになったのはいつ頃からなのだろうか。山行にあたって私がWEBで見た範囲では、『趣味人倶楽部』というSNSサイトで伊豆在住の[Yさん]が2008年5月にガイドブックに載らない穴場として紹介しており、「手引頭」の山名板が写る写真も掲げられていた。

 もう四半世紀も前になるが、今回と逆コースの仁科峠から天城峠を歩いたことがあったが、P1014を踏み同じタコブナを見たのかどうも記憶が定かでない。例えば山と高原地図『伊豆』1996年版では、現在のツゲ峠から南面をトラバースする破線道ではなく、尾根通しで1014標高点の僅か南を通るルートが示されているし、2000年発行のヤマケイ・アルペンガイド『駿遠・伊豆の山』に載る「天城峠から伊豆山稜線歩道」も同様であるから、以前の伊豆山稜線歩道はここを通っていたのだと思うが「手引頭」の山名記載はない(いずれも調査執筆者は真辺征一郎氏)。またガイド文でツゲ峠付近の「巨大なブナの原生林」には触れているが、大シャクナゲやタコブナについては触れられていない。「手引頭(てびきがしら)」という名はいったい何に由来しているのだろうか、何やら雲霧の一党みたいだな・・・と思った。

『山と高原地図/伊豆』1996年版に載るツゲ峠〜猫越峠間のルート

 以下は、その四半世紀前の山行記。

ブナに囲まれた散歩道

 伊豆山稜線歩道は、天城湯ヶ島町の天城峠から西に向かい町境の稜線上を船原峠まで北上、さらに西伊豆スカイラインに沿って修禅寺町の達磨山、金冠山まで続いている道だ。今回は湯ヶ島町の温泉会館に車を置き、タクシーで持越林道を仁科峠まで上がり、ここから天城峠を目指した。天城湯ヶ島町は来年「植樹祭」が開催されるようで、これにあわせ西伊豆スカイラインとつながる広い道路の建設が山中で進んでいる。

「“植樹祭”のために木を切って道路を造るんだから変な話だよね」

とはタクシーの運転手の弁。まさに同感。船原峠までは比較的静寂だったこの山稜線も大きく変るのだろう。

 工事用の車両が動く脇から登山道に入る。スズタケの中の道を猫越岳へ緩やかに登る。小一時間程で展望台に着く。暖かな日差しと風もない天気のせいか霞んではいるが、北に富士山が望む。冠雪は、山頂付近にひだのように僅かに残るだけで、数週間前よりかなり少ない。すぐ下には天城牧場の赤い屋根が見えるが牛の姿はなかった。西に目をやると駿河湾、宇久須港に入る漁船だろうか小さく見える。さらにその先には御前崎が霞んで見え、目を移していくと南アルプス主稜線の山々も遠望できる。

「あのあたりが島田だね」

などと話しながら小休止する。僅かに下った所に火口湖があったが、水はほとんどなく小さな泥沼のようだった。二等三角点を過ぎ猫越峠へ緩やかに下る。

 後はもうほとんど平らな道が続く。幅は並んで歩けるほど広く、良く整備されていて、まさに“歩道”である。両側はツゲとブナの林だ。五、六メートルも横に太い枝を延ばしたブナの大木に驚かされる。展望はないが、落葉が敷き詰められた明るい平坦な道は、登山というより散歩という感じ。所々に残った紅葉がアクセントを付けていた。

 ツゲ峠に昼少し過ぎ到着、大休止で昼食を摂る。近くのブナの林の中で木登りを始めた子供を真似て、大人達もやや重くなった身を持て余しながら、しばし童心に帰る。滑沢峠を過ぎると植林も目立つようになった。ここまでに会った登山者は、反対方向からの単独者2人のみ。静かな山行だ。二本杉峠は旧の天城峠である。今、放映中の徳川慶喜の時代、開港をめぐってハリスや吉田松陰らが越えた峠だ。古い休憩舎が建っていた。さらに天城峠まで、晩秋の午後の陽に追われるように足を早めた。天城トンネルバス停から湯ヶ島に戻り、汗を流し帰路に着いた。

(1998年11月14日)


4/28山伏周回

2024-05-13 09:58:53 | 山行

大谷崩れP(7:14)…蓬沢林道ゲート(7:17)…鳩胸尾根登り口(7:35)…1582標高点(8:36)…稜線(10:01〜11)…山伏(11:33〜12:05)…蓬峠(13:11〜20)…蓬沢林道終点(14:20〜25)…大谷崩れP(15:15) 距離:11.77km 累積標高:上り・下り1108m

メンバー:5名

会の若手のAK君に誘われ、鳩胸尾根から安倍奥の山伏に登った。快晴の天気に加えて、久しぶりにワクワクドクドクの充実した山行だった。鳩胸尾根は名前のとおりタフなルートだったが、ヤブっぽい箇所も少なく比較的歩きやすい尾根だった。蓬峠から蓬沢林道へのトラバースルートは踏み跡も薄く、15年前に清水のAH氏と歩いたことがあったが、ルートの状態はだいぶ変わっているようだった。終止引っ張ってくれたAK君、ON君には感謝。

苔むして良い雰囲気の鳩胸尾根

鳩胸尾根から大谷崩れを望む

山伏山頂に到着

南アルプス南部を望む

蓬峠からザレた斜面をトラバース

蓬沢の堰堤群


大札山ーアカヤシオ

2024-05-10 15:11:12 | 山行

2024.4.21 大札山のアカヤシオ

 会の定例山行で大札山に出かけた。大札山でアカヤシオを観るのは、2017年にRyoと来て以来だから実に7年ぶりとなる。大井川畔から立ち上がる大札山は名前のとおりの大きな山体で、麓の元藤川から上るとそれが良く分かる。

 肝心のアカヤシオの花は、当たり年の部類だろうか。南尾根は満開の様子で、北尾根では既に落花したものもあった。ピンクの色が以前と比べて薄くなったような気がしたが、どうなのだろう。それにしても、このシーズン真っ盛りで自分たち以外誰も居ない山頂というのは初めてだった。雨が予想された天候と共に、3年前からの赤石林道通行止めの影響が大きいことだろう。せめて肩の駐車場まで早く開通して欲しいものだ。

 昨日の新聞には5日から行方不明の男性(75歳)が、大札山で遭難死亡されたことが報じられていた。特に歳をとると単独で行くこと、届けを出さないことのリスクを改めて感じた。